19. ショー・ダウン!
合格発表みたい、と桐花はざわめく胸を押さえた。
見たいけど見るのが怖い。会いたいけど会うのが怖い。だって合格発表は落第発表でもある。
ダルジ少将がお呼びです。と告げて先導する衛兵はお呼びの理由を教えてくれない。私物を全部持って出るように、という指示は監獄へのお引越し命令に聞こえた。
四日間暮らしたのは前女王の執事頭やメイド長クラスが使ってた風の、簡素ながらも一通り家具が揃った部屋。ドアの外に衛兵が常駐してただけで身体の拘束はなし。あったかい食事が出て、詐欺および殺人未遂容疑者としては優雅な軟禁生活だった。
うん、とっても優雅だった。
寝られるベッドがあるだけで五つ星ホテルだよ! だって袋とじ本を持ってただけで籠に詰めて鷲の厩舎に一晩転がされたり、使用実績のある石棺に寝かされたりしたんだよ? 自由に使えと言われたベッドは枠しかなかったりしたんだよ?
そんな鬼畜のそばにいたくて発砲した自分が変人に思えてくるからやめよう。
そういえば食事にしつこく鯨が出たのは何だったんだろ。食べてくださいと怯えたアントニオに泣いて頼まれたこともあった。鯨にはキレやすい性格を緩和する成分が含まれてるとか? 百科事典で調べなきゃ。
……あ。
もう出来ないんだった。
フフと自嘲に笑ったら、前を歩く衛兵の肩がビクッと怖がった。背後からでも十字を切ってる仕草が丸分かりだ。うわー絞首台に連れてく罪人を哀れんでるみたいじゃないか。冗談になってないけど。フフリ。
あの時、どうするのが正解だったんだろう。
トレードをバラされるとネイティヴとの和平の象徴という大義が失われ、ラウーのそばにいられなくなる。少将に危害が及ばないなら、キャスがアニキのワイフだった過去を黙っとくのが波風立たない解決法だと思った。
でもキャスはもっと完璧に口封じしたかったんだ。辞書が弾を防いでくれなければキャスの思惑通りになってた。すっごいムカついて、もう絶対に信用できないキャスを口封じし返すしかないと覚悟した。
だってキャスを告発したらトレードが発覚してしまう。ラウーが妻の出身詐称を承知していたのか追及されてしまう。軍人として忠誠を誓ったアダマスへの裏切りだ。でも、実際には婚姻関係のない元妻が犯した殺人ならスキャンダルで済むかも。
どっちにしてもラウーのそばを追われる。ならラウーへの悪影響が少ないほうがまし。少将の愛人殺しで逮捕されてもひたすら黙秘しとけば、ラウーが背任を問われることはない。
なーのーにー。
そんな決死の覚悟でいたっていうのに「私がその女を撃つ」とかいきなり水の泡な発言は何だー! わたしが黙秘に耐えられないとでもっ?
そっかラウーは拷問が得意な毒針使いを雇ってるんだったね。計画倒れになる計画だったね。実行性のなさまで計算されちゃったのかな。キャスがアニキのワイフなことも、トレードした側でキャンセル権持ってないことも見抜いてたし。
キャス=アニキのワイフって図式にいつ気付いたんだろ。わたしを戦艦に降ろした後に指名手配用の似顔絵作りに行ったらしいから、その時かな。怪我人の治療を終えたら捕まえる予定だったのかもしれない。
なんていうかもう、ラウーの足を引っ張った気しかしない。両足にタックルかまして汚泥に転倒させて複雑骨折させるぐらいの勢いで引っ張った気しかしない。
『紡ぐ家のトカ。ネイティヴの誇りを保って聴取に答えろ』
って言われたからダルジ少将の聴取でもトカに徹し、トレードのことは一切「ワカリマセーン」で通した。キャスがしゃべったらしくて焦ったけど、ラウーが国家反逆罪に問われるのは困るから頑張った!
今、その結果発表に向かってる。
四角錐の鋲が並ぶいかにも堅牢な、本丸ココですと主張する鉄扉を覚えていた。ダルジ少将の執務室である扉の隙間をすり抜け、ダンディな副官が出てきた。背を丸め肩で息をついている。トランプの意味は切り札だと教えてくれたシュレイダー氏だ。
桐花の姿を認めた瞬間、柔和で穏健な副官の顔が苦痛に歪んだ。痛みをかばうように上半身をグッと折り、涙の浮いた目線だけで「あなたを見るに耐えません。失礼してよろしいですか」と訴えてくる。桐花の反応を待たず、副官は肩を震わせながら風より速く隣室へと消えた。
ものすごく哀れんでた。殺人未遂の罪で収監される乙女に胸を痛め、涙してくれてた。被害者側のダルジ少将関係者なのにいい人だ。
逆に言えばダルジ少将側の人さえ憐憫をもよおす処罰って一体……。
どうなっちゃうんだろう、という不安はなるべく考えないようにしてきた。この世の冥府からでも連れ戻すとラウーは言ってくれたけど、アダマスと天秤にかけられたら国家に忠誠を誓った軍人が選ぶものは決まってる。
だからどんな処罰が下っても嘘つきなんて思わない。
ただ両親に謝りたい。ラウーとの幸福を願ってくれたのに、自分で壊しちゃってごめん。親不孝でごめんなさい。もう伝えるすべもないけれど。
ぶわっと涙がこみ上げて、慌てて私物を詰め込んだカバンのハンカチを探した。
衛兵がギョッとしてる気配がする。見るな! 女優さんと違って一般庶民の泣き顔は真っ赤で歪んでてしゃくりあげて鼻水も出るし、見られたくないというより見られない大変なことになるものなんだ!
その大変なことになってる顔にどうにかハンカチを押し当てたとき。
ドン、と勢いよく開かれた扉に吹っ飛ばされた。大理石の硬く冷たい床へ前のめりに突っ込む。
外開きのドアは廊下を確認してから開けろー!
不注意な乱暴者を怒鳴りつけるべく振り返った。
立ちはだかっていたのはキビッと無駄に緊迫溢れる軍服姿。踏まれた記憶のある軍靴。背中にめり込んだ覚えのある膝。緩めて寛いでいるのが新鮮だった襟。そこに縫い取られた大佐の記章。
知ってる。顔を確かめなくても誰だか知ってる。だってずっとずっと思い返してた。
あと少し視線を上げればあの異色の瞳があるはず!
「聞いていたか?」
ラウー。会いたかった!
という満開の心の花畑を瞬間凍結、ナノレベルまで粉砕する高性能プレス機に睨み潰されていた。泣く子も凍る地球温暖化の最終兵器だ。
そっか大理石って柔らかくて温かいものだったんだね。比較対象がラウーだと。
わーん二度と会えないかもしれないと思ってたのにー抱きつきたいのにー奥ゆかしい日本人が抱きつくのがどれだけはじけた行動か分かってるのかードアで殴ったの無視かー無様に転んでるのに手を差し伸べるとかないのかー。
めそめそと小さく反抗する。
「聞いたかって何を? こんな分厚くて硬くて痛いドア越しに聞こえるわけないじゃん!」
さりげなく痛かったと主張してやった!
「立ち聞きなどで教えるつもりのないことをだ」
思いっきりスルーされた!
「ええとそれって……罪状?」
そうだな……と地球規模の冷気を召喚しながら白い魔王様が言う。
「不器用と鈍感が処罰できるなら、おまえは三回絞め殺しても足りない重犯罪者だ」
覚えのない言いがかりで絞首刑を宣告された! 自分の腸で首を吊れタイプの自虐的懲罰じゃないのが珍しい。キレてんの? 鯨が足りないんじゃないの? と突っ込めちゃうほど落ち着いたというか泣く気も失せた。
どうしてこんな再会しなきゃいけないんだろ。
床に座り込んだままドンヨリと大理石を撫でさすっている間に、尊大な足音が執務室と廊下を行き来する。大嫌いな金属音で鎧を身に付けていると分かる。時間だ出かける、の憎らしい告知とセットの音。
けれど聞こえてきた言葉は違った。
「行くぞ、桐花」
「監獄に?」
「製紙事業の期限まであと四日と八時間二十七分だ」
時計より淡々としたカウントと共に辞書入り穴開きトートバッグを渡される。
……まさか牢屋の中でも紙を漉けと?
しまった、和平の花嫁役から追放されても助手の契約は一生涯なんだった。牢屋で罪を償う心静かな日々なんて許さない気なんだ!
ラウーはいつもの金属鎧姿に戻り、弓矢も返してもらっている。背任の疑いはないってことだ。よかった、巻き込まなくて済んだ。
「レオン副官、明朝五時発でアダマス本土へ戻るフライトプランを提出しておけ」
きっと何事もなかったように、結婚なんてなかったみたいに軍務に戻っていくんだね。そばにいられなくなっちゃったけど、監獄の中から手伝わせてね。柵越しでいいから、ラウーが展望し実現する知の時代を話して聞かせて。
でも再婚だけは黙ってて。
執務室の奥でダルジ少将が指一本で招いている。刑を言い渡されるんだ。倍増した重力をどうにか押し返して立ち上がり、亡霊が絡んだみたいにけだるい身体を机の前まで運んだ。謝罪を込めて一礼する。
「ご迷惑をおかけして、」
「おまえはジョーカーだ」
ジョーカーって名前の刑罰があるのかな。
「最強のジョーカーだろうと、それ一枚じゃ役になれない。俺のジャックとペアにしておく」
「あなたのジャックではありません」
開いたままの鉄扉を通して、背後の廊下から食い気味にラウーの訂正が入った。
「俺のクイーンだった二枚舌のカードは、二度と誰も脅かせない場所に閉じ込めた」
不服だけど諦めた。そんな顔をしていたダルジ少将は、そこでやっとニカッと笑った。
「ジャックと一緒にアダマス発展に励めよ、トーカ・スマラグダス」
「製紙と並行して活版印刷と出版事業の準備に入れ。文字サイズの鋳造に長けた職人を確保しろ。校正に明るい者を三名選んで」
「ラウー!」
感謝の挨拶を最速の早口で済ませ、少将の執務室を飛び出した。レオン副官に指示発令中なのは分かってたけど、助走つけて思いっきり金属鎧に抱きついた。
「今まで通りでいいって! よかった、ありがとう、きっとラウーがまた得意の凶悪知能犯な闇取引とか恫喝とかしてくれたんだね! ありがとう!」
「……選んで桐花に面接させろ。四日間で滞った業務を優先度の高い順に報告しろ。最優先事項は礼の述べ方をわきまえない口のしつけだが」
ガッブー。痛い痛い痛い下唇に噛みつかれたー!
痛さに一瞬固まったせいで逃げ遅れた。腕でガッチリ捕縛され、頬とか耳とか喉まで歯を立てられる。やめてー身体に歯形を集める趣味はないって否定したのにー!
ん? してない気がしてきた。月天の発言だったらいいなって現実逃避したような記憶が。ちゃんと否定しなきゃ!
出かかった声は、硬い歯が急に温かな柔らかさに化けたせいで昇華した。
「おまえら、愛人が減った俺に嫌がらせか!」
背後の執務室からダルジ少将がわめくのが聞こえた。呼び鈴や台帳が飛んできた。これもアダマス発展のために励む共同作業です!
でもラウーのくせに間違ってる。周囲の視線から遮断された口内じゃ、舌がどれだけ情熱的でも新婚パフォーマンスにならないのに。
うん、そうそう腰に手を回すのいいと思う。鎧に抱き寄せられるのは痛いけど我慢する、隙間なくしてぎゅうっと抱きしめ……。
「わああ、だめっ! お腹しめつけちゃだめ!」
さすが兵士の反射神経、ラウーはぱっと力を緩めて半身を引いた。お腹を見透かすように見下ろしてくる。
うわああバレちゃったかな。恥ずかしさで一気に顔が熱くなる。うつむいたら、ぐいーと顎をつかまれ仰向かされた。真剣極まりない瞳が覗き込んでくる。
「自覚症状があるのか? 気分が悪くはないか」
「悪いよ! 自覚がなきゃ嫌がらないよ! 四日間も部屋の中で運動もしないで食べて寝てたら、ウエスト増えるの当たり前じゃん! 測っちゃだめ」
静けさのうちに、顎をつかんでいる指の圧力が急速に上昇していった。激痛小顔マッサージではないと思う。マッサージ師は雷雲背負って施術しない。
「鯨の揚げ物を食い残したのはそれが理由か」
「えっよく知ってるね。だってドッシリしたお肉のフライなんて太るに決まってるもん」
少し離れた場所でレオン副官が消え入りそうな声で優先度の高い業務とかいうものを読み上げ続けている。冥福を祈る小坊主の読経に聞こえた。
鼻先を噛みちぎりそうな近さでは、濃厚な闘志に溢れる雷鳴がとどろいた。
「何でも与えると言った。今夜、望み通り女王の流儀を授けてやる。四日分の運動をさせてやる」