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青い鳥ルーレット  作者: シトラチネ
青い鳥ジョーカー・ワイルド
56/68

13. ソフトが誤作動しています

 ロザリアは耳がいい。音に敏感すぎて大きな音に弱い。火薬庫らしき小屋と周囲の建物が吹っ飛んだ時、爆発音で妹の耳は痺れてしまった。

 賊の活動拠点を制圧して捕縛する者は捕縛し、手当てする者は手当てすると、スマラグダス大佐は駆け寄ってきた。どうだ、と訊ねる声が硬い。問われたロザリアは泣き濡れた顔をぶるぶると横に振った。

「耳がじんじんして、音が遠くて……ごめんなさい、先生ごめんなさい」

 月天が動物を投入する直前、非戦闘要員だったカルロはロザリアと共に牛舎へ降ろされ、トーカ女史の動向を追うように命じられていた。女史が逃げ込んだ建物は爆発で瓦解した。

「大佐、トーカ女史が! 建物の下敷きにッ」

「戦域確保が先だ!」

 微塵も迷いのない答えだった。軍人として当然だ。この拠点を押さえなければアダマス軍は大打撃をこうむる。銃の供給を断たれるからだ。女史の救出もできない。余計なことを叫んでしまった、とカルロはすぐに後悔した。

 だが兵士たちが反応した。女史の危機と聞いてまず尻を押さえ、次に攻撃速度が倍加した。クソ拭き紙! クソ拭き紙! と唱えながら、ただならぬ形相で弓を連射し始めた。拠点は陥落した。

 ロザリアは歩けない。三年前、ボル・ヤバルの風土病とも言えるポリオにかかって麻痺してしまった。月天に預けられた妹を背負わなくなって久しい。記憶より重くなった妹を背に、女史がいたはずの瓦礫の山に駆けつけた。

 だが耳の痺れたロザリアは、女史の消息を聞き取ることができなかった。先生ごめんなさい、と泣きじゃくるロザリアにすかさず与えられた言葉は軍令のように短く、合理的だった。

「謝罪とは罪を犯した者がすることだ」

 なんと気高いッ! 我が副官生命を預けるにふさわしきお方でありますッ。

 謝罪する必要は無い、という意味が分からずロザリアはキョトンとしていたが、とにかく泣きやんだ。

「桐花!」

 いまだに土埃を上げる瓦礫に大佐の一喝が落雷する。

「桐花!」

 叱りつけるような怒鳴り声。ひどい沈黙が肺を締めた。

 大佐の手が壊れたレンガをつかむ。とんでもない罵倒の言葉を吐き捨てて、大佐はレンガの山を掘り始めた。

「イエッサー!」

 命令などなかった。だが兵士たちは口を揃えて応えると、大佐にならってレンガの山に取り付いた。

「桐花、トカ、どっちでもいい、返事をしろ」

「ラウーのマゾい嫁ー! 生き埋めとかどんだけマゾいんだよ、一人で喜んでないで出て来いよ!」

「大佐夫人ー!」

「トーカさまー!」

 カルロは川岸を振り返った。爆発直前に建物から走り出た男を見た、知っていた。同じ私塾の門下生。片眼鏡の鎖を細工した鍛冶師。

 ずぶ濡れで木陰に潜んでいた男が、ハッと息を飲んで立ち上がった。

「おまえまさか……カルロ? カルロ・レオン? 生きてたんか! うおロザリアもいるじゃんっ」

 嬉々として走り寄ってきた太市から妹をフォーメーションCでガードする。

「太市、女史を見なかったか。ここにいただろう」

「へ」

 太市はくりっと黒目を回して記憶を漁っていた。

「もしかして円周率小数点以下十四桁のガンマニア?」



 ザシュ、ザシュ、ザシュ。

 足音にしては緩慢な、土を蹴る音。大丈夫、検疫クリア。横暴で高らかで尊大な検疫対象の足音とは一致せず。横暴なのは足音だけじゃないけど。

 あと五分、と呟いて桐花は二度寝に入った。

 ザシュ、ザシュ、ザシュ。

 近くで足踏みでもしてるのか、奇妙な足音は通り過ぎる気配がない。安眠妨害だ。

 あっち行け、と呟いて桐花は三度寝に入った。

 ザシュ、ザシュ、ザシュ。

「桐花!」

「起きてる」

 反射的に言った。

 目覚めて眼前にラウー・スマラグダスがいた場合、起きていると激しく主張しなければ鷲の餌にされるという恐怖の経験則が刷り込まれている。ボル・ヤバルに来てすたれかけていた法則は、昨日から再インストールされて強力に稼動中だ。

 昨晩、深夜にラウーが部屋に来た時も足音で素早く検知。脳内で警告音と格闘家の入場BGMが鳴り響いた。ベッドに膝立ち直立で出迎えたのに、一秒で沈められた。格闘史に残る瞬殺KOだった。

 押し倒すなら直立で出迎える反射を刷り込まなきゃいいと思う。

 恋人と寝るのに慣れた女ならベッドの片側を空けておく習慣がつくものだ、と言われたこともある。声を大にして反論したい。並んでスヤスヤ眠る時間なんてくれないくせに、片側を空けとく必要がどこにあるんだ!

 瞬時に色々と憤慨しながら膝立ち直立しかけたが、体に拒否された。頭が痛い。揺れる。うぇぇ気持ち悪い。

「いるのか?」

 ザシュザシュが中断して、代わりにラウーの声がする。ふらふらする頭をねじって見れば周囲はほぼ真っ暗で、声の方から唯一の光が差し込んでいる。まぶしい気持ち悪い。

「桐花! 桐花?」

「それって呼んでるの? 言ってるの……?」

 連呼してたラウーの声がぴたりとやんだ。ザッザッ、と土の音がして光が小さくなる。

「埋め戻すのですか、大佐!」

「戦地で監禁とか本格派すぎます、大佐!」

「窒息プレイが大がかりすぎます、大佐!」

「クソ拭き紙!」

 またぴたりと音がやんで、再びザッシュザッシュしだした。同時に意識も掘り起こされる。

 そうだ、爆発があったんだっけ。この暗い空間は転炉だろう。支柱の外れた転炉で、お椀を伏せるみたいに閉じ込められたんじゃないかな。横の地面を掘って助け出そうとしてくれてるんだ。うぇぇ頭ふらふらする。

「ぶはははは面白れーな! おいラウーの傭兵、」

 穴を通してダルジ少将の朗らかな声が聞こえてくる。

「ラウーの声で嫁を連呼してみろ!」



「うーん、違う」

「とうか、とうか」

「何が違うのかわからないけど、違う」

 デーデ似の声帯模写青年傭兵、月天は『桐花』の発音だけが似ていなかった。日本語的には正確なのに、ラウーの発音とは微妙に違う。

「桐花、怪我があれば申告しろ」

「とうか、怪我があれば申告しろ」

「頭打ったくらいかな。最初のがラウー」

「さっぱりわかんねー! おいおまえら、賭けろ。ラウーのマゾい嫁はラウーと傭兵を聞き分けられるのか! 小姑、記録しろよ」

 壁の向こうはワッと歓声があがり、威勢良く賭け合ってやたらと賑やかだ。ジャラジャラと石貨が飛び交う音がする。もしもし、賭けの前にやることないですか? 乙女の救出とか。乙女の救出とかっ!

「ハハハ。あらゆる動物の『排除しろ』が鳴けるこの月天、修正は完璧さ。お互い全力を出し切ろう。そうだね、万が一負けた時はトカの望みを叶えてあげよう」

「乗れよ、ラウー。聞き分けられたら製紙、印刷、図書館だったか? おまえのマゾい嫁に何でも便宜を図ってやる」

「レオン副官。ビスコアの言葉を書面に起こしてサインさせろ」

「了解いたしましたッ。『マゾい嫁に』い、いえ『トーカ・スマラグダスさまに何でも便宜を・・・・・・』」

 ラウーがダルジ少将を呼び捨てにして賭けを受けた! 製紙事業がそんなに大事か。やっぱりトイレットペーパーが欲しい事情があるのか? 賭けに負けたら転炉がわたしの墓標になるのかっ? 無骨な金属の塊にそっと捧げられる一輪の花、たたずむ青年兵士……シブくていいかもしれない。

「桐花、聞こえたな?」

 ありえない妄想に逃避しかけたところを連れ戻される。

「間違えてもいい、救出してやる」

 花を、桐花含め、愛でるという行為からかけ離れたマシンのくせして寛容だ。ほっとする。

「だが鷲が満員だ。河口の艦まで泳いで戻れ」

 ポロロッカで増水した河が干潮を迎えれば、立派なナイアガラの完成だ。滝行して転生してこいと。巨大イカに花の命を捧げろと。最初から「助かりたいなら間違えるな」って言えばいいじゃん!

「とうか」

「桐花」

「ぐすっ……後のがラウー」

「とうか、とうか、とうか」

「桐花、桐花、桐花」

「呼んでるの? 言ってるの?」

 ザッザッ。

「埋めるぞ」

「後のがラウー! 埋めてから予告するなー!」

「桐花はマゾい嫁ではない」

「とうかはマゾい嫁ではない」

「最初のがラウー」

 答える度にヨッシャいいぞーとか今月の給料がとか兵士たちは一喜一憂してたけど、その声はだんだん感嘆へ変わっていく。聞き分けられるのが不思議らしい。何でもないことなのに。

 月天の呼びかけは語学の教材を聞いてるみたいだ。呼ばれてる気がしない。呼んでいない言ってるだけだ! とラウーが主張する、夜の謎の連呼の方がずっと呼ばれてる感じがする。

 あれってやっぱり呼んでるんじゃないかなあ。昨夜だって連呼直後に「渡すぞ」と、手を使わずに手の届かない所へ配達してきたし。

 ダルジ少将と月天は粘っていたが、賭けは桐花の完全勝利で終わった。ようやく穴が掘り下げられ、ほふく前進で這い出せそうな通路になった。

「来い」

 よく知った手が穴から差し伸べられる。鬼に痴漢された時に渇望した手。握ると手よりも胸が温かくなる手。桐花はその手をぎゅっと握った。

 掘られたイモみたいにずるずる引きずり出されるや否や、乱暴に抱き寄せられて金属鎧に鼻を打つ。痛くて涙ぐんだのを見計らったタイミングで激しくキスされた。涙の再会演出ですか。さすが参謀、新婚パフォーマンスが抜かりない。出たのが涙じゃなくて鼻血だったらどうするつもりだバカー。

 取り囲んでいた兵士たちから歓声と拍手が湧く。我らの尻が守られたのだとか感涙してるのがいる、でもとにかくお礼を言う。

 ラウーが後ろに回って、服に付いた土を払い落としてくれた。どこまでも新婚パフォーマンスが抜かりない。襟ぐりを払う指先が肌に触れると温かい。土をはたく指にしてはやけに長く肌に留まっている気がして、どきどきする。

 いきなり、ウッという末期のうめきと共に眼前の兵士が固まった。凍りついた視線から推察すると、桐花の背後にメドゥーサ凍結版がいるらしい。

 肩のあたりに異常に冷たい視線を感じる。あれーなんだろこの冷気……。

 冷たい空気は下にたまる性質を持つ。地を這い不穏に渦巻き出した冷気は瞬く間にブリザードへ成長し、亜熱帯を局地的に極地へ変えた。

「犬、蛇の次は男か、桐花。おまえは体に歯形を集めるのが趣味なのか」

 マゾい嫁疑惑を推進してどうすんの?

「えっと……月天の発言だったらいいな」

「賭けは終了している。が、ラウー・スマラグダスの発言だ」

 ですよねー。うわー正解でも全然嬉しくない。

「撤収すんぞー」

「りょ、了解、ダルジ少将!」

「手の空いてるヤツ、いかだ組め。捕虜を戦艦まで流すぞー」

 イエッサー、と兵士たちは逃げるように……ではなく、逃げて散り去った。桐花は去り行く兵士たちをうらやましく見送った。

 おまえの体が壊れても痛手ではないって散々宣告したくせに。歯形ひとつでどうして怒るの? マゾい嫁だと誤解されるのがそんなにイヤなの? わたしだってイヤなんだ! そもそもラウーの妻ならもれなくマゾ容疑がかけられるのは必然の運命だと思うんだ。怒ってるけど自業自得だよね?

 なんて反抗したら、「縛り上げた人間と丸太は似ているな。いかだの材料が不足で困っていた。安心しろ、ピラニアは自分より大きな獲物は狙わない。通常は」とか爽やかに言われそうだから黙っとこう。

 ラウーのこの怒りっぷりだと、捕虜といかだで滝下りラフティングさせられちゃうんだろうか。あ、痴漢鬼がいる。あいつと一緒はイヤだなー。う、思い出したら気持ち悪くなってきた、うぇぇふらふらする。泳ぐのも痴漢と同席もすごくやだ。ここは頭を下げて鷲に乗せて欲しい。

 倒れそうだったから、ラウーの肘に手をかけた。瞳に力をこめて訴えてみる。

「あの中に痴漢がいるの」

「知っている」

 さらなる冷気がほとばしり、アマゾナス河さえ氷河にする勢いだ。珍しくラウーが騎士道ソフトを起動させている。よかったインストールされてないんだと思ってた。

「だからお願いラウー、上でいきたい。乗らせて。思い出さなくていいところに連れてって」

 おおぅ……と兵士たちが呻いた。同情にしては浮ついた声だったけど、前屈みで乙女の受難を嘆いてくれている。

 ラウーから発生した寒気団も勢力を弱めた。温かく密な微風がとろりと肌を舐めていく。ものすごく睨まれている。これはアレか、痴漢に遭う方も隙があるからだとか言いたいのか、そんなの男の勝手な言い訳だ!

「マゾでない証明に女王スタイルを望むのか?」

 はい?

「女王が組み敷かれるのは、あってはならない事だからだ」

 ボル・ヤバルの前女王を踏みつけながら武装解除したと噂された……いや経験上真実だろう、とにかく女王を足蹴にした人が騎士道ソフトを実行し続けている。だんだん怖くなってきた。悪いモン食べてウィルスでももらったの?

「女王役もイケるのか! 守備範囲が広すぎますっ」

「いやいや大佐の攻撃範囲が広すぎるんだ!」

「今夜、マダム・マリポーサに特注した鞭が唸るんだな……!」

「お兄ちゃん耳押さえすぎだよ、痛いよ」

 戻るぞ、とラウーは身を翻し足早に鷲へ突き進む。乗せてもらえるらしい。桐花は後ろへ続きながらカバンを握り締めた。合成皮革の装丁にビニールカバーの辞書というオーパーツな技術の塊が入ったカバンを。

 話さなきゃいけない。

 鬼のアニキがトレードに関係していて、オーパーツな拳銃を持ってたこと。


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