12. 名探偵になれないから助手
ロザリアは多分、日系人村の出身だ。日本語を話せるし、日系人村の立地独特であるポロロッカの現象も、龍が昇るという表現も知っていたから。
桐花は自分の推理を記憶と突き合わせて検証してみる。
まずロザリア。戦艦でクッキーを三等分させた時、歳に似合わない知識を見せていた。
『0.333333333、ずぅっと続く循環小数だからね』
それから鞠姐さん。
『あなた方も幾何学の父ユークリッドの名を汚すのですか!』
日常会話に循環小数とか幾何学の父とか出てこないよね。職人村の日系人は数学が得意なのでは?
そしてパイ。
姐さんのパイを素直に食べたら怒られた。食べちゃいけなかったんじゃ? だって妙な質問されたもん。三角のパイを出しながら、『中は全体的に何度でございましょうか?』って。
変なコト聞くんだなーと感じてはいたのに、空腹がいけなかった。頭回らなかった。温度を聞いてると思って、常温なら二十七度とか答えちゃったけど。あれって三角形の定義を問われてたんじゃ? 三角形の中の内角の和を全て足すと百八十度になる、という定義を。だから正解は百八十度。
ってことは鞠姐さんがパイを勧めた時の言葉も違う意味を持ってくる。
『合いますかどうか。いかがでございましょう?』
お口に合うか、を心配してるのかと思ってた。本当はパイ、つまり円周率の答えが合うかテストされてたのに、円周率を答えるどころかいただきますとおいしく食べた。そりゃ怒られるよ。
あの時正しく答えられていたら、鬼斬りなんて誤解を受けなくて済んだのにー!
だから今度は間違えない。これでもアダマスの誇る凶悪頭脳、ラウー・スマラグダスの助手。パイをよこせと手を出されても、崩壊したパイを渡したりしない! 小数点以下十四桁もの円周率をバーンとお答え……ん?
桐花の頭の片隅にイヤな記憶と予感がチラつく。
もう一人、円周率にうるさいヤツがいなかったっけ?
初対面で円周率を訊ねてきた変な人いなかったっけ?
小数点以下二桁ですかアルキメデスが証明してから二千年以上が経過してスマラグダス大佐の助手ともあろう方が二桁ですか、ってアホを見る眼差しを浴びせてきた陰険いなかったっけ……?
「アホー!」
イヤな記憶がイヤな事実を導き出す直前で、現実に引き戻された。
「そーだよ、オレたちは行商人なのか行商人のフリしてコウモリ狩りに来た女王に媚売る脳なしなのか、数学の問題出して判別してた。けど今は違うだろ! 姉ちゃんの手作りパイ出すとこだろー! アホ! アホーッ!」
やっぱり脳なし判定なのかーっ!
脳の入っていない頭を抱えていたら、転炉の中に引きずり込まれた。
厚い金属の壁に遮られ、外の喧騒が一段遠くなる。薄暗い場所で腕を引っ張られて、桐花は転びそうになった。
「あっぶねーな。コレ下向きの時は結構不安定なんだからさぁ」
支柱から外れた転炉が転がり出したら人間ボウリングができてしまう。ただしボウリングと違うのは、倒れたピンが二度と起き上がらないことだ。桐花は転炉の口の中心にしゃがみこんだ。
怪物の口に飲み込まれたみたいだ。怪物の上歯と下歯の間、転炉の縁と地面との間から外の様子が覗ける。
アダマス空軍が空から参戦していた。上空へ発砲している鬼がいる。その背後に近付いた月天が牛の鳴き真似をすると、鬼は面白いほど飛び上がって逃げて行った。
「あんたはアダマスの人ってことにしとくよ。けどさぁ」
桐花と並んで外をうかがうクリッとした黒目は賢そうで柔らかい。大柄ではないけれど必要な筋肉はしっかりある。シャツとツナギにべったり付着するススや汚れ、年季の入った鉤裂きは肉体労働者の勲章だ。身だしなみには興味なさそうなボサボサ頭。
鞠姐さんを姉ちゃんと呼ぶことで太市であると認めた日系青年は、悟ったような目をした。
「アダマス軍がヤツらをやっつけたって、どーせオレは帰れねんだろ?」
太市の胸中が分かってしまって、桐花は言葉に詰まる。
自分の意思と無関係に連れて来られた地で想う故郷。そこにいた時には存在を隠していた愛着はふとした弾みに鎌首をもたげ、禁断症状を起こして五感を悩ませる。
「えっと、ダルジ少将は……ボル・ヤバルを統治してる人でね、太市さんの銃をすごく欲しがってた」
「あんな殺生なモン」
太市は唇をへの字に結んでいる。いたたまれずに、桐花は外へ目を向けた。
戦況を見ていると、アダマス軍が武装鬼だけを狙撃しているのは明らかだ。武器を製造する職人は温存したいから。制圧すれば設備と人材をそのまま流用するのだろう。そこには太市も含まれる。
木箱の裏で弾込めしている武装鬼がいる。月天が背後から銃声の声帯模写をしながら小石を投げ付けると、慌てた鬼は銃を手放して降参を示した。さらに月天は武装鬼リーダーを把握、声真似でめちゃくちゃな指示を飛ばして鬼の命令系統をかく乱した。
「いいよ、オレやるよ」
戦況が完全にアダマス有利に傾いたのを見計らったタイミングで、太市は言った。覚悟を決めた重みのある、それでいてサッパリした口調だった。
日系人村で元の生活に戻りたいんじゃないの? 鞠姐さんと暮らしたいんじゃないの? そう問いたい桐花の視線に、太市はボサボサ頭を横に振る。
「行商人に化けた脳なしを暴けば村を守れると思ってた。けど力で攻められたらこの有様でさ。オレには腕っ節はないからさ。銃を作る見返りに村を守ってくれんなら、アダマスのために働くよ」
太市は日系人村に忠誠を誓ったようだった。作るのが人を殺傷する武器であるという倫理違反より、故郷の安全を選ぶ。それが太市なりの正義なら、桐花には頷くしかなかった。
「聞きたいんだけど、ここのアニキのワイフって鞠さんだったりする?」
「んなことになったら姉ちゃんは自決する!」
「ご、ごめんすごく説得力あった今の」
お寺の鐘みたいな転炉の中で怒鳴られたら響く。ワゥンワゥンと反響する音波は、三半規管をぐずぐず崩すような気持ち悪さだ。
気力でどうにか踏ん張る。桐花はリバーサーフ中の鬼たちの会話を記憶から引き出した。
「アニキのワイフが盗んで逃げた『オリジナル』って、もしかして拳銃? 銃の製造って『オリジナル』を複製することだったりする?」
賢そうな目がくりくりっと驚きを表明した。
「よく知ってんね、うんそう。アニキが肌身離さず持っててさ。オリジナル用の弾は難しすぎて複製できないからさ、前装式にモデルチェンジしてるけど。え、あの女やっぱ逃げたの? 文句タラタラだったもんなぁ、こんなとこあたしのいる場所じゃないって」
「オリジナルは後装式でカートリッジを装填するタイプ? 火薬は弾の中に封入されてる?」
「え、あんたガンマニア? 何でそこまで知ってんの、こえーんだけど」
桐花にはずっと疑問があった。この世界の銃がなぜ拳銃ばかりなのか。拳銃は携帯に便利だけど、射撃精度は低い。兵器として使うなら銃身の長い銃が優秀なはずだ。
昨日、ラウーに黙ってネチネチ添削された翻訳は銃の歴史を調べたものだった。
桐花のいた世界とこの世界はある時点まで同じ歴史をたどっていた。分岐点はこの世界で神々のビリヤードと呼ばれる天変地異。文明が大きく後退を強いられた数百年前、銃はせいぜい火縄銃が登場した頃だった。
『発見された場所や時代の科学水準から逸脱したモノを時代錯誤な工芸品、オーパーツと呼ぶならば』
製紙事業へ出発する時のラウーの言葉が蘇る。
そうだ、『オリジナル』の拳銃はオーパーツだ。完成度が高すぎる。文明の後退なんてなかったみたいに唐突に進歩した状態で出現してる。
誰が。
どうやって。
桐花はヘタリとその場へ腰を落とした。
まだいるんだ。わたしと、ジョージ・タイラー妖木老兵以外にもまだ。トレードをして、元いた世界から拳銃を持ってこの世界にやって来た人が。『オリジナル』拳銃所持者のアニキかもしれないし、そうでなくても、アニキはきっとその人を知っている!
ドオン、と大音響と共に地面が持ち上がった。
「やっべ! 火薬庫じゃねーの?」
太市が転炉の口から這い出し、建物の外へと駆け出した。散発的な爆発が続き、壁のレンガがばらばらと砕け落ち、巨大な転炉がゆらりと身震いする。
「あんたも川に飛び込め、引火したら吹っ飛ぶぞ!」
叫びながら太市は一目散に行ってしまった。
桐花も不吉なアドバイスに従って逃げたかったが、尻に地面の連続アッパーを食らって立つこともままならない。支えを求めて転炉の内側の壁に手をついたら、その壁がゆっくり遠のいた。
ゴォォンとお寺の鐘みたいな大音声が鼓膜を殴りつける。土砂崩れみたいな音がする。落下物が転炉に当たる、ゴンゴンゴンゴン超早送りの除夜の鐘が鳴り響く。思わず耳を押さえた桐花の後頭部にがつんと壁がぶつかってきて、桐花は前のめりに倒れた。
くそう。
鞠さんと太市、姉弟そろって脳なしと罵ってくれたけど、脳はある! ホラ揺れている! うぇぇ気持ち悪い吐きそう。
でも知ってるもんね。人間意外と丈夫、そう簡単に気絶したりしない、はず……フニャ。