10. 痴漢の二次災害
「オレの見間違いだと思うんだけどよォ……」
くるくる巻き毛だけは鬼っぽい赤毛の男が話を始めた。
ポロロッカに乗ってリバーサーフする鬼の一団プラス桐花は、数ある支流の一本へ進んでいた。川幅が狭くなって鬼同士の距離が近くなると、怒鳴れば声が聞こえる距離だ。
「どーも見覚えのある女がいたんだよなァ」
「あったりめーだろォ、何度も襲撃してんだァ」
「ヤりてえならさらって来いよォ! オレにもまわせよォ」
「けどよォ、あの船アマダス軍だろォ? やばくねェ?」
アダマスが気象観測システムみたいな名前にされている。赤毛頭は中身もくるくるなのかも。
「アニキが話つけるさァ。ヤツら銃が欲しいんだぜェ、オレたちがあそこで何やっても見逃すさァ」
「だよなァ! 赤毛、おまえその女持ち帰って来いよォ!」
「ヒャーそれマジやべーよォ。だって見覚えある女って、アニキのワイフだよォ?」
なんだってェ! と叫びたいのを、気絶演技中の桐花は全力で飲み込んだ。
話に出てくるアニキは鬼たちのリーダー格だろう。アニキのワイフそれは妻、ということは強盗拉致犯の身内。被害者である日系人村にいるなんてマジどういうことォ?
鬼たちもギャーギャー騒ぎ出した。
「ちょ、赤毛、それアニキにオニのように貢がせたあのワイフかァ!」
「どこに卸すか指図して儲けまくった、あの悪知恵女かァ!」
鬼にオニと言われるとは、かなりのイケナイ人らしい。
「アニキのワイフが何であそこにいるんだァ?」
「イヤそれがあっち側の女ですって顔しててさァ、だから見間違いかと思ってさァ」
「女スパイかァ! いいねェそそるねェ」
なるほどォ、職人村に潜り込んで、強盗や拉致のターゲットを下調べするスパイかァ! と推測したところで、桐花はふと思い出す。間諜であることを隠すため武器を携帯しないくノ一もいた、とか考えてた場面がなかったか……。
『わたくしもまた、鬼となる』
鞠姐さんの言葉が比喩じゃなくて真実だったとしたら? さらわれた弟を取り戻すため、アニキのワイフになって二重スパイしつつ機会を狙ってたとか……姐さん、そんなんアカンっ! 姉弟一緒に仲良う暮らさなあかんで!
でも姐さんは桐花を人質に取るのに利用された。あんなに接近しておいて、アニキのワイフだと鬼が認識できないはずもない。うーむ謎だァ。
「けどよォ、スパイにしちゃおかしくねェ? 宝石と有り金全部持ってったってアニキわめいてたぜェ?」
「オリジナルまで持ち出して夜中に消えたらしいぜェ?」
「アニキ泣きながら『旅に出ただけだァ!』って主張してたぜェ?」
「アニキ酔っ払って『どこ行ったんだよォー』って鼻水たらして……」
気の毒だけどさアニキ、現実を受け入れようよ。それは逃げられたよ!
同じ結論に至ったらしく、鬼たちの間にしばし気まずい沈黙が漂った。
「……こえェ! 女はこえーなァ!」
「女にはしてェけど、ワイフにするタイプじゃねーなァ!」
「ワイフにするなら逃げねーのがいいなァ!」
うんうんと一斉に頷く鬼たち。桐花も頷きかけてアレ? と思った。
逃走して海で遭難したのを、軍を動員してまで回収してワイフにした空軍大佐がいたような気がする。白紙の小切手で破産危機に陥らせた浪費家をワイフにした大佐がいた気がする。さらわれてどこ行ったか分からなくなったのを今、太陽の逆光に潜んで追尾してる大佐がいるような……。
ワイフに不向きでゴメンと言うより、苦労人だったんだねと慰めてあげたくなってきた。
「ワイフかァ」
桐花を担いだ鬼がポヤンと浮かれた声で呟いた。
「アニキのワイフとはえっらい違うけどこの女、触り心地いいぜェ?」
腿の間に入り込む節くれだった手に、桐花は悲鳴を上げそうになった。
鷲が挙動不審である。
鳥類の頂点に君臨する猛禽、中でも大型のハクトウワシは威容も運動能力も鳥の王者の名を欲しいままにしている。大佐レベルが乗る軍鷲はエリート中のエリートだ。冷静沈着にして勇猛果敢。燃え盛る戦火も恐れず、鉤爪で敵機を握り潰すこともあるという。
その鷲が怯えてフルフルしている。舌を噛みそうで、カルロは歯を食いしばった。
カルロは鳥の羽の埃っぽさが嫌いだ。前触れなく爆撃してくるフンも嫌いだ。何しろユピテライズした巨鳥だ、フン直撃による死者も年に一人はいる。臭いのも腹が立つ。
けれどカルロは初めて鳥と同調した。背後では戦況報告と拠点制圧案が淡々と話し合われているが、同時に鳥肌も凍らす冷気が吹き荒れているのだ。
「『月を葬る暗黒の翼』、スマラグダス中佐の縁者ですかー?」
日系人村における日本語でのやりとりをロザリアが英語で再現して聞かせている。
「違いまーす。残念ですー、関係あるなら助けたのにー」
鷲の震動がひどくなった。食いしばっていても歯がガチガチ鳴る。
亜熱帯気候でスコールなら分かるが、ブリザードで墜落死したら戦死判定の審査に通らないのではないだろうか?
「わたしの目的は『おにぎり』でーす! ……文殊ってばなまってるから、鬼斬りって誤解されてたよ。おむすびって言えばよかったのに、ねー! お兄ちゃん」
「ガキめ。あだなはダメだ、三度は言わねーぞ。っつーかおまえら兄妹か」
「レ、レレレオン副官と、よよよ呼べとゴリュッ」
舌を噛んだッ、あああ血の味が、死ぬ、死ぬウゥゥ!
「えー、副官見習いのくせにー」
それを言うなァァァァ!
賊の襲撃を受けて、月天とロザリアは戦艦誘導のために村を離れたそうだ。賊と日系人の戦況、トーカ女史との会話をダルジ少将が話しだす。
「おまえのジョーカーは、拉致された日系人が強制的に武器を作らされてるって考えてる。村なんぞ潰れてもいいと言ってやったらショック受けてたぞ。そりゃそーだよなあ、おまえら兄妹と同郷だろ?」
「いいえ、少将。『紡ぐ家のトカ』はネイティヴの娘だと断言できます」
大佐はなぜ舌を噛まずにしゃべれるのでありますか!
しかしあらゆる懲罰に厳正な方だが、痴漢行為にまで正義感を発揮なさるとは思わなかった。このお怒りようはどうだ。奥歯が粉砕されそうに鳴る原因が揺れなのか背後からの寒風なのか、もはや分からない!
「ご推察の通り、レオン兄妹はボル・ヤバル日系人村出身ですが、伏せさせています」
「まーな。今は併合したけどな、敵国からの亡命者が文官養成学校次席じゃあな」
卒業試験で胃痛にならなければ首席にィィィ!
「コウモリ狩りなんて内情知らねーアダマス人は、スパイだと疑うだろーな。その妹が地獄耳で、どんな機密も聞き取れると来たら……俺なら牢にブチ込むね。っつーかおまえそろそろ教えろよ、他にどんな傭兵隠し持ってんだよ」
「賭け事好きの少将らしからぬ冗談を」
スマラグダス大佐は開示要求をあっさりと拒否した。
「少将はポーカーが人生や戦争に似ているとおっしゃった。自ら手札を明かしては、チップというリスクを賭ける意味が失われます」
俺のジャックのくせに生意気だな、とダルジ少将は歯を見せて笑った。
「それで、少将。桐花が人質にされた経緯は。敵の要求は」
「あーそれが間抜けな話でさ、怪我人がいてさ。マリと言ったか、脚と度胸のいい女でね。生きてたら愛人候補にしてやるか!」
「ねね月天、愛人ってなぁにー?」
カルロは望遠鏡を落としそうになった。ロザリア、聞いてはいけない大人の事情をー!
月天は数十本の三つ編みを爽やかに風になびかせ、その肩に乗る少女をいたわるような温かな笑みで包んだ。
「それはね、船で会った牛な乳の女と同じ仕事さ」
なんとっ、月天が空気を読んだ! わずかだが読んだ! 借りは作りたくないが助かった。
ロザリアの耳に汚い言葉は入れたくない。本人は語らないが、大佐の命令で盗聴して恐ろしく醜い世界を散々聞かされてしまったはずだ。アイマスク代わりのリボンが濡れていたのは一度や二度ではない。
「分かった、あの胸がおかしー人ね!」
「キャスか。あいつ、『舟遊びって言うから来たのぉ。楽しくて優雅なの、期待してたのにぃ』とか抜かして寝やがって。ボル・ヤバル随一のキャバレーから買ったんだぞ、いくらしたと思ってんだ。まー四回もヤりゃあ立てなくてもしょーがねーけどな!」
「ねね月天、ヤるってなぁにー?」
純真無垢な問いに、男は春の陽光のような笑みで答えた。
「それはね、セッ」
「うわぁぁあロロロザリア、そそそれは後でお兄ちゃんが教えゴリュッ」
借りは回収だ! クソ、一日も早くロザリアをこの歩く有害図書から引き離さねばッ!
「……それで、少将。桐花が人質にされた経緯は? マリという名の怪我人がどうしましたか」
「あー、その女を助けに行ったら待ち伏せされててよー。おまえのマゾい嫁は究極にマゾいな! 腹殴られて耐えて、頭殴られて耐えてさ、痛みと人質の恐怖を最大限に味わいつくそうっつー根性。すげーよ。俺は感心したね!」
「ねね月天、マゾって」
「そそそれも後でお兄ちゃんがゴリュッ」
「お兄ちゃん、口から血が垂れてるよ」
おまえのせいだァァァ!
いや大佐のせいかもしれない。背後の冷気排出量に比例して鷲の震えはひどくなる一方だ。鞍の上で尻が跳ねる。いいのだ文官は鷲に乗るのが下手でも、ぐあっ急所が、男の急所が鞍にヒットォォォ……。
「確認するが、少将」
ああもし大佐の言葉を袋に詰めて俺の袋に当てることが出来たなら、この痛みがさぞやよく冷えるだろうに。
「待ち伏せしていた××××な××は私の新婚の妻の腹を殴ったのか?」
あいやお待ちをッ? 大佐の口からありえない卑俗な単語が!
「ねね月天……わーお兄ちゃん血だらけの口ぱくぱくしないで、キモいよ」
「なんだよ腹がどうした……あー、おまえ気ィ早すぎね? 俺にはバレてるぞ、おまえらの初夜がいつだったか。おまえめちゃくちゃ機嫌良かったもんなー、当ててやろうか」
「ねね月天」
「ロロロザリアっ、初夜についてはゴリュッおおおお兄ちゃんが後でゴリュッ」
ひどい鉄の味がする。あぁあと一回でも舌を噛んだら死にそうだ。痴漢を目撃したせいで舌を噛み切っても戦死判定の審査に通らないんじゃないだろうか……。
ロザリアは不満そうに蝶リボンの下の唇を尖らせている。神様仏様、妹に大人の階段を登らせるのはまだ早いと思うのでありますッ。いやそんな日は永遠に来なくていいのでありますッ。自分は天への階段を登りかけておりますがっ!
「じゃなくてー。あっちから音がするのー」
慌ててロザリアの指す方向へ望遠鏡を向けた。ガクガク揺れる視界に何かを捉える。行く手に幾筋かの煙が立ち昇っていた。森を拓いて建てられているのは無骨なレンガで出来た工場群のようだ。
「こここ攻撃目標、視認! ゴリュッ」