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青い鳥ルーレット  作者: シトラチネ
青い鳥ジョーカー・ワイルド
52/68

9. 鷹が油揚げをさらわれた

 体重をかけた足の膝から急に力が脱走し、空振ったようにバランスを崩した。荷物をかばったせいで肩から無様に床へ転がる。回転する視界にいた兵士たちが急にブレて、ぼやけた軍服色の塊になった。

 あぁクソっ、また片眼鏡が飛んだ。

 体を起こし、大事な荷を膝に挟んで確保する。襟に留めたクリップの鎖を手繰ってレンズを捕まえ、乱暴に眼窩へはめ込む。荷物を抱えなおすと、カルロは宮殿の廊下を再び駆けだした。すれ違った兵士が叫ぶのが聞こえた。

「その副官を通せ! 伝書鳩だ!」

 鳩舎で待機していろ、と命じられていた。カルロは埃っぽい鳩舎が苦手だ。袖で鼻をガードしながら耐えること二時間弱、一羽の鳩が帰り着いた。飼育員が籠に入れて渡してきた鳩の足には、スマラグダスと打刻された革のタグが付いていた。

 日系人居住地へ赴いたトーカ女史には、スマラグダス大佐の傭兵二名が同行した。月天は読み書きができないし、ロザリアは視力を失って久しい。伝書鳩に通信文を託すことは不可能だった。だから鳩の帰着が意味するところは一つ。

『異状アリ』

 カルロは鳩の入った籠を抱えて鳩舎を飛び出した。宮殿のアプローチ階段を一段飛ばしで駆け上がり、ホールを走り抜け、幾度か転びながら大会議室へと急ぐ。扉を守る衛兵は、鳥籠を認めるや否やカルロを通した。

 会議は即座に打ち切られ、スマラグダス大佐はその場で鷲十五羽編成の中隊の指揮権を与えられた。そうするよう、軍幹部はダルジ少将から事前に内々の通達を受けていたらしい。

「レオン副官、通訳として帯同を命じる。来い」

 連日の猛ダッシュに脚がヘロヘロなカルロだったが、投げ込むように乗せられた鷲の鞍から脱兎の如く逃亡した。地面へ転げ落ちながら叫ぶ。

「じ、自分は若干、若干でありますが高所が苦手でありましてッ!」

 常人離れした記憶力を持つ大佐はあらゆる言語で降伏勧告ができる。日本語も含まれている。何しろこの耳で聞いた、完璧な発音だった。自分が通訳について行く必要はないと思われますッ!

「男はみな雄に飼われている」

 背後からの静かな声が不可視の手となり襟首をつかんできて、カルロは動けなくなった。

「私の雄は行けと命じている。闘えと咆哮している。守るべき者を守るために。だがおまえの雄は留守のようだ」

 淡々と告げる口調に責める響きは感じられない。遺憾も軽蔑もない。

 だがカルロの心臓には音を立てて亀裂が入った。お兄ちゃん、と脳裏に妹の声が響く。額のリボンを蝶結びしてやるたびにくすぐったがってキャッキャと笑う、妹の高い声が胸の亀裂を揺さぶった。

 拳をググッと結んで心臓の亀裂を接着する。

「行きますッ。大佐、自分を行かせてください!」

 離陸体勢に入って翼を広げる鷲の鞍の前部に、黙って一人分のスペースが空けられた。そこへよじ登りながら、カルロは回想に飲み込まれる。

 おまえの妹は耳がいい。エコーロケーションを知っているか? 音の反響を利用して周囲を感知する方法だ。視覚障害者は程度の差はあれエコーロケーションを利用する。私の傭兵の一人が動物に詳しい。洞窟に生息するヨタカがこの方法を用いて自由に飛び回ると聞いた。

 私に妹を預け、彼のトレーニングを受けさせろ。成功すれば、おまえの妹は闇を見通す奇跡の鳥として孵化するだろう。その目を買ってやる。敵国からの亡命者で知識も技術も持たない子供が、安全保障と生活基盤を得る方法が他にあるのか?

 悔しければ学べ。知識と経験を積んで、私から妹を取り返せ。おまえには数学の素養がある。軍立の文官養成学校へ推薦書を書いてやってもいい。空虚な自尊心は前途の落とし穴だ。現実で埋め立てなければ先へは進めない。



 鬼の首に干されたようにぶらさがること、二十分は経過しただろうか。一秒の長さまで記憶しているラウーじゃないから分からない。

 気絶した人間って、何分くらいで意識を取り戻すものなんだろうか。軍医のラウーじゃないから分からない。

 時間経過が分からないのだから、覚醒する平均値が分かったところで役に立たない。これって三段論法とかいうヤツだろうか? 理屈っぽいラウーじゃないから分からない。うんでもきっと違う。

 桐花は大人しく人質にされていて、暇だった。延々と続く河岸の深い森を薄目で眺めてじっとしていた。暴れれば河へ逃げられるだろうけど、津波まがいのポロロッカに落ちたら命まで落とす。チャンスを待とう。川沿いに下っていけば日系人村へ帰れるはず。

 鬼と不本意ながら密着してるから、恐怖でバクバクしたら気絶してないのがバレる。心臓を落ち着かせてたら、不思議と心も落ち着いた。傭兵二名とダルジ少将も機会を待っているらしく、密かに尾行するだけだ。

 カラスに乗った傭兵たちは高い上空で鬼と太陽の間をキープし、逆光を利用して姿を消している。まぶしいのを我慢して見れば太陽の中に影があるけど、鬼たちが気づいた様子はない。

 ダルジ少将はリバーサーフで逃亡を始めた十数匹の鬼たちの最後尾を射止めていた。長盾を奪うと不安定ながらも波に乗る。すぐにコツをつかんだらしく、鬼たちと距離を取り死角に入ってついてきた。

 デカい図体に似合わず器用にバランスを取る姿をどこかで見たと思ったら、立位鷲ロデオだった。痔が回りまわって実戦に役立つなんて。俺スゲーなパフォーマンスだなんて侮ってごめんなさい、無事に帰れたらお礼にトイレットペーパーをプレゼントしますね! ほのかな花の香りつきで!

 などと細かなところまで気が回るほど暇だった。ボル・ヤバルに製紙しに来てからというもの、こんな暇な時間があっただろうか。いやない。これが反語法なのは合ってるはず。

 二週間で完了しろと厳命したラウーに怯えて働き詰めだった。数え切れないほど試作を漉いたし、手が動いてない時も頭は動かされてた。鬼の居ぬ間に洗濯というけれど、鬼に担がれて川で心の洗濯とは皮肉な話……だ……。

 高波の奥に見え隠れするダルジ少将のさらに奥に、その編隊は現れた。ブルーインパルスの航空ショーみたいにキッチリ等間隔を保持する組織化された野生の渡り鳥は、多分いない。

 偵察らしき一羽だけを離脱させ、残りは超低空飛行で河岸の森の梢にまぎれて追尾してくる戦略的な野生の渡り鳥は、多分いない。

 ポロロッカの波の速さと進路を見極め、ダルジ少将のサーフボード先端に超ピンポイントで矢を撃ち込める野生の渡り鳥は、いてたまるかーっ!



 望遠鏡というものに初めて触れた。

 噂は知っていた。スマラグダス大佐が幽霊船調査で発見し、科学技術部が復元と改良を重ねて実用化したばかりだ。軍は一分隊につき一台を配備する計画を立てたが、レンズ研磨に高い技術力を要し、そのための優れた眼鏡職人が不足して量産が遅れているという。

 カルロは自分の片眼鏡の作り手を思い返した。同じ私塾の門下生で、彼らは姉弟そろって手先が器用だった。幾何が得意な姉がレンズを磨き、弟は新米鍛冶師のくせに細工までこなした。

 二年が経った眼鏡は度が合わなくなってしまったが、作り直すために会う機会は二度とないはずだった。だからレンズの薄さと矯正力に驚嘆したアダマス人に職人を教えろと頼まれても、死んだと答えるしかなかった。

 会えない人間は死んだ、帰れない故郷はなくなったことにして勉学に励み、軍立文官養成学校首席の椅子を……クソ、卒業試験中に胃痛で泡吹いたりしなければ、自分が首席のはずだったんだッ!

 カルロは軍の最新機器をギリギリと握っていたことに気づき、慌てて手指の力を緩めた。手には汗も震えもない。鷲に乗ってみて、いつしか高所が恐怖でなくなっていると分かった。高所など温かいベッドだと笑えるようになったほどの戦慄発生源は、後部座席で矢を放ったところだ。

 ダルジ少将が矢に結ばれた縄をつかんだ。直後に鷲は急上昇して、少将を月天とロザリアの乗るカラスの背へ運んだ。賊の死角をキープしたカラスと鷲で経過報告が始まる。

「おまえのジョーカーが持ってかれた。喜べ、ババ抜きなら俺の勝ちだ」

「その人称代名詞は誤認を含みますが、私の妻と仮定しましょう」

 矯正の必要がない良い方の目を望遠鏡に当てる。大柄な賊の首に巻かれるように担がれているトーカ女史を捕捉した。

「怪我はないようでありますが、失神しているかと……む、カバンを握っている、起きている?」

「死後硬直って説はどうだい? ハハハ」

 月天の奥歯には衣が着せられたり物が挟まったりすることがないのだと聞いた。字どころか空気まで読めないのかっ!

 ふと、女史の爪先が緊張したように見えた。

「む? トーカじょウオッフォン、大佐夫人が身動きを……」

 サッ、と望遠鏡の先を空へ転向する。

「積乱雲であります。スコールが来る可能性が」

「天気はいーんだよ。ラウーのマゾい嫁を見とけよ」

「い、いえ、申し訳ございません。天気も大事かと」

 しどろもどろになっていると、「確認しろ!」とダルジ少将の声に苛立ちが混じった。邪魔なジャックなら切ると脅された今朝の恐怖が膀胱から出そうでありますッ!

「あのなあ小姑、人質救出と遺体回収じゃ作戦が違ってくるんだよ!」

 と申されましても、しかし!

「しかし痴漢行為を覗く趣味はありません!」

 鷲が震えだした。


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