5. 身から出てた錆
「鷲の餌になりたいなら、そのまま寝ていろ」
一晩中ねんごろに巨大鷲多数にもてあそばれて、桐花入りの籠はボロボロだった。鷲たちには適度な運動だったのか、明け方には藁代わりらしき乾燥させた海草に座り込み、フゴーと盛大な寝息を立て始めていた。
桐花は厩舎のなるべく端までハムスターの回し車よろしく籠を移動させ、ささやかな休息を取ろうとしたのだが。
ザッ! ザッ! と、尊大さの溢れ出る足音が近づいたかと思うと、そう勧告した。立ち止まりもせず桐花の籠の脇を特急通過していく。
「わあああ起きてます! ていうか、いきなり最後通牒ってなに、起きろくらい言ってから……眠い」
突然である上に睡眠不足に空腹で、英語なんか出てこない。日本語でわめいてみたが力が続かない。
口ごもっていると、厩舎の奥の巨大な扉がゴゴゴと開いた。白くまぶしい朝の陽光に桐花は目を細める。寝ていた鷲たちが首をもたげ、足踏みをし、羽を揺らして色めきたつ。
「搬入!」
若い兵士らしき力強い、朗々とした声が響く。間髪入れずにヤー! と掛け声がし、地鳴りと共に、数人の兵士たちが厩舎へ台車を押し込んだ。象サイズの巨大なグッタリした何かが載っている。鷲たちの歓喜らしき鳴き声が厩舎の屋根をビリビリ震わせた。
「配給!」
凛とした朝陽と涼やかな海風の中。鷲たちのくちばしと爪による世にもグロい光景に、『そのまま寝てい』ないことを主張しようと、桐花は狭い籠の中で精一杯シャキンとしてみせた。
そろりと横目で確認したが、鷲の餌発言の主はやはりあの目が色違いの金属鎧兵士だった。桐花のシャッキリ背筋を涙も出ないくらい華麗に無視して、鷲の餌担当兵士の一人を呼びつけ指示している。内容は、背後の鷲たちによるグヌチャッだのベキゴリブチッだのグロ音の饗宴に消されて、桐花の耳には届かない。
餌担当兵士は平静を装う努力をしているようだった。直立不動でかしこまっているものの、中南米系のよく語る目が「何言ってるんだこの人」的な恐怖と驚愕のオーラを放出している。
桐花の胸に嫌な予感、いや確信が渦巻く。
「了解、ルテナンカーネル」
指示を受け終えた餌担当兵士が腰の短刀を抜く。とろりと艶やかな刃は、金属でなく磨き抜かれた石のようだった。石刃は桐花の籠の繋ぎ目をバリバリと裂いた。
「いやー! 起きてるってば、餌イヤーッ!」
抗議虚しく、籠から床へ振り出される。手首を金属鎧兵士に捕獲され、ギャーと叫んだ。
「全ての戦闘本能を持つ生物は、恐怖をよく嗅ぎ分ける」
「……はい?」
グリン、と桐花の腕は手首をもがれるかという乱暴さで、心臓の高さに修正させられた。
「生き餌にされたいなら、そうして恐怖を振りまくことだな」
「……はあ」
食われたくなきゃ静かにしろ。餌にする気はない。という内容を、なぜストレートに言えないのか。事態は理解したが、この金属鎧毒舌兵士のひねくれ具合は桐花には理解できなかった。
ひねくれ兵士は片膝をつき、桐花の手首に指を当て、しばしじっとした。かと思えば突如ポイと放り出して舌を出せと言った。
「切り落とすんですか?」
無言のまま、周囲の気温が二十度下がる。桐花は素直に舌を出して見せた。一瞥の後、瞼の裏を確かめたりされる。
「もしかして、医者?」
「昨晩はよく眠ったか?」
巨大鷲のサッカーボールにした張本人が、シラッと何を! 髪はなまはげ状態な自信があるし、擦り傷打撲だらけだし、顔はむくんでくまが出来ているのは間違いない。
寝たわけないだろバカ、と日本語のしかも小声で呪ってから桐花の脳は英単語を掻き集めた。
「見てわかるでしょ」
「見てわかるだろう」
むかつく、と桐花は日本語で呟いてやった。呟いてから、桐花のあちこちの擦り傷を検分する金属鎧軍医を眺めた。
指先は普通の人間みたいに温かいんだな、と思う。
あの背筋凝結視線でさえなければ、瞳の色だって温かい。柔らかな土の色と、草原の色。一対で一幅の絵のようなのに、目つきで全てが逆ベクトルへ振り切れている。
ふと、淡い金の前髪の、一房だけが白いことに気づいた。短気で神経質そうだからなあ、と桐花は妙に納得した。軍医は立ち上がり、軍服の膝の汚れを優雅にはたいた。
「狂人の演技にしては馬鹿すぎる」
なんだとー! 神経質は撤回、無神経極まりない!
「ネイティヴのスパイではないようだな」
桐花はあんぐりした。
「スパイ!? 違います、あ、なるほどあの人たちはわたしが狂ったと思って医者に見せようと……待ってください、えーと、ドクター……ドクター・ルテナンカーネル!?」
ルテナンカーネルと呼ばれていた、と思い出して背中を呼び止める。すると意外にも効果があった。
「ドクター……何だって?」
「ドクター・ルテナンカーネル?」
振り向いた色違いの瞳は、珍しく生物生存可能な温度があった。しかし徐々に眉根が寄り、ドクター・ルテナンカーネルは眉間をつねるようにしばし指で押さえていた。
ややあって、そのままの体勢で呻くように言う。
「持って行け」
せめて「連れて行け」と!
断然抗議しかけた桐花に一閃の注意も払わず、ドクター・ルテナンカーネルは連行を命じた。
鷲の餌担当の兵士はドクター・ルテナンカーネルが厩舎から出て行くのを、直立不動で見送っていた。陽光を受けてキラキラ輝く金属鎧が見えなくなると、途端にざわめきだす。
「笑っていた。ルテナンカーネルが笑っていた。今日こそ月が落ちてくるんだ」
「何より、ルテナンカーネルが厩舎に人を捨てたのを覚えていた。ありえない」
「彼女がドクター・ルテナンカーネルと言った時、鷲のデザートになると思った」
いつ、ドクター・ルテナンカーネルが笑ったというのか。桐花は首をひねる。
「あの人は、ドクター・ルテナンカーネルではないんですか?」
餌担当兵士は問われてやっと、桐花の存在を思い出したらしかった。中南米系だの白人だの、様々な色の顔が一斉に桐花を振り向いた。
「ドクターは正しい」
「ルテナンカーネルも正しい」
「だがドクター・ルテナンカーネルは正しくない」
その後ベラベラと説明が続いたが、入り組んだ文章は桐花には理解できなかった。
まあいいや、たぶんこういうことだ。カーネルと言えばフライドチキンを抱えたおじさん、カーネル・サンダース。つまりカーネルは下の名前。ファーストネームだけをミスターだのドクターだのに繋げるのは、基本的に間違っていたはず。
桐花はOKと頷いておいた。
「さて、こっちへ来い。食事と清拭をさせろと命じられている」
「あ、そう!」
実はお腹が空いていた。トイレも我慢していた。桐花は思わぬ朗報に弾んだ声を出す。
が、兵士たちは揃ってポカンと大口を開けた。次にある者は赤面し、ある者はゲラゲラ笑い出す。
「えー……あっそう、って変だった?」
「彼女、最高に狂ってる!」
爆笑していた兵士が肩をけいれんさせたまま、指で地面に文字を書いた。
ass hole。ケツの穴。
「おまえさんの『あっそう』は、ネイティヴの発音だとケツの穴だと思われる」
桐花は若草青年の甚だしい赤面を思い返していた。イルカタクシーと遊んでいた時だった。あの時、「あっそう、そうそういい子だね」とか言ったような気がする。他にどんな発言をしたかと記憶を掘り返した。
「だめだめ?」
兵士はまたも腹を抱えて笑い転げる。地面に書かれたのはdamn it、ちくしょう。
「……タクシー」
兵士は笑いすぎで気管を鳴らし、「殺す気か!」と息も絶え絶えになっている。地面にはtake a shit、ウ○コしろ。
いいねタクシー! あっそう、そうそう上手だね! だめだめ渡して。いけっタクシー!
いいねウ○コしろ! ケツの穴、そうそう上手だね! ちくしょうちくしょう渡して。いけっウ○コしろ!
若草青年の前で、大声で、イルカ相手にそんなことを連呼した気がする。花の乙女がそんな下品な発言を嬉々として叫びだしたら、それは口をふさがれて医者に強制連行されても仕方ない。
そして軍の医者が呼ばれたものの、軍は狂人のフリをしたネイティヴのスパイじゃないかと疑ったと。
この一連の無体な扱いは自分の英語の発音の悪さ、ネイティヴのなまりがまずい具合に重なった結果だったようだ。頭を抱える桐花の背を、兵士はバンバン叩いて急かした。
「さあ行くぞ、遅くなるとルテナンカーネルに白魔の矢を食らっちまう。あれは戦場以外で拝みたくはないね」