5. 二つ名を持つ無名戦士
おにぎり、みそ汁、お漬物! だってお箸の国の人だもの!
「進め和食はメタボの救世軍チャッチャラ……あふ」
桐花の和食行進曲は睡魔に飲まれて消えた。ステーキ三皿分のカロリーを浴びたせいだ。軍港まで早足で先導していくカルロ・レオン副官の痩せた背中を、あくびを噛み殺しながら追いかける。英和、和英の分厚い辞書を入れたカバンが重い。
船旅日和の朝だった。
軍港は海から垂直に切り立った崖に作られている。崖の断面は地層が折り重なり、海原に岩色のミルフィーユを浮かべたみたいだ。
崖を削り込んで、上から下までジグザグを描いて続く階段やスロープが何本も設けられている。月が近いこの地球では干満差が大きく、数十メートルにも及ぶ。階段があれば船は潮位がどこであろうと接岸でき、乗降が可能になる。
上腕が桐花の腿くらいありそうな荷役が、乗るべき船を教えてくれた。乗船経験のある巡視艇タイプではなく、船体が石板で装甲された小型ながら戦艦の雰囲気がバシバシするものものしい船だった。
「うわ、そっかゲリラがいるんだもんね」
「む……最近、ゲリラの銃火器による武装化が急速に進んでいると聞きます」
船を目指して岸壁の階段を下りていくと、細部が明らかになってくる。アダマスにとっては新兵器である大砲を配備した砲座が船舷に不気味な口を開け、手入れをしている兵士の姿が見え隠れした。
「こんな怖い船で行ったら、職人村の人たちに逃げられそう」
日本人なのに黒船サイドに回ってしまった。
「向こうが友好的とも限りません」
今朝のレオン副官は、いつもに増して雰囲気が剣呑だ。
「食事を出されても手をつけてはいけません」
「えー」
食べるなだなんて、樹脂精通者召喚ではなく和製銃調査にこじつけた意味がっ!
「そこだけ食い意地をはらないでください! 普段は食事をおろそかにしておいてっ」
「おろそかにしてるんじゃないもん、忘れるだけだもん……」
ぼそぼそと日本語で反抗してみたが口調や表情は万国共通、漏れていたらしい。ジロッと陰湿に睨んだあと、レオン副官は「それでは自分はここで」と踵を返して戻って行ってしまった。
「お目にかかれて光栄です、スマラグダス大佐夫人」
艦長の海軍大佐はシブい短いひげをたくわえた、はにかんだような笑顔が優しいラテン系のオジ様だった。丁重に出迎えて艦内の案内までしてくれる。捨てるように睨んで去っていったどっかの副官とは大違いだ!
海の男らしく焼けた肌と白い軍服の対比が鮮やかだ。高いマストに体躯を持ち上げ、長い甲板を磨き、荒波に逆らい操舵輪を堅持する、そんな頼もしい光景が目に浮かぶ隆々たる筋肉。
たかが一民間女性を僻地へ送迎するために最新型戦艦を駆り出されたというのに、笑顔絶やさずこの厚遇。かっこよすぎるっ。
……そろそろ学習しました。さぁこい下心!
「時に夫人」
羅針盤や操舵輪がぴかぴかに磨き上げられ、伝声管が電子回路のように巡らされた操舵室で、艦長は意を決したように勢いつけて向き直ってきた。
「基地で噂を耳に致しましてな」
コホンと咳払いと共に、艦長のはにかみ度が急上昇している。
きたよーきたよー。
「我々海軍はですな。時には何ヶ月も、船上で生活するわけですな。これがもう切実な欲求となるわけです。おわかりですな……?」
「わかります。故郷の味は離れてから、身を切るように襲ってくるんですよね……!」
「……っもちろん、食も生理的欲求ですとも」
ハズしたような間があったのが気になる。
「他にもありましてな、オホン、えー、乗組員の中にはですな。男のみの閉塞した状況を、男同士で打開する者がおりましてな」
ちょっと意味がよく……。
「単刀直入に申し上げれば陸を離れてから、尻の穴を切るように襲い合う者が」
「わかりました! トイレットペーパーですね! それ以上言わなくていいです!」
「ありがたい! 海軍を代表して御礼を申し上げたい!」
艦長は目にも留まらぬ速さで、全ての伝声管のふたを開放した。千手観音?
「全乗組員に告ぐ、我々は後方被弾による内なる持久戦と決別する! スマラグダス大佐夫人に、敬礼ッ!」
艦内のあちこちから歓声と、踵を打ち鳴らし胸へ拳を当てる敬礼の音が聞こえた。艦長が嬉々として霧笛を鳴らしている。港中の軍艦が答えて大合奏になっている。
澄み渡った朝空に響き渡る歓喜に桐花は、二週間の期限や婚姻届なんて小さな問題に思えてきた。
紙を作ろう。
書ける紙を。
このまま白紙の天使としてアダマス軍史に刻まれるのはイヤだー!
ようやく霧笛が鳴り止んだ船が、また騒がしくなってきた。言い争うような声がする。
桐花が艦長に続いて甲板へ急ぐと、その騒がしい行列が乗り込んで来るのが見えた。先頭は男性だ。彼の足元へまとわりつき、背後へと長い列を作る鶏、ヤギ、豚、ガチョウ……。
やっぱり世界の終焉は今日で、これはノアの箱舟だったのか?
ガァガァブヒブヒコケコッコーと好き勝手に甲板を歩き回る動物たち。追いかけては逃げられる乗組員たち。その輪の中心に佇み、狂騒をにこにこと眺めている人物には見覚えがあった。
「デーデ?」
デーデはアダマスの水上いかだゲル民族、通称ネイティヴの青年だ。動物の飼育、調教などを生業とする『集う家』の一員。桐花と世界をトレードした『紡ぐ家』のトカとは旧知の仲だったらしい。
筋肉質とはいえ、ダルジ少将の爆発系とは異なる東洋人らしい細さがある。柔和で爽やかな笑顔はアジアンスターの趣で、見る者を癒す。
だが、桐花の前に立つ青年は細部がデーデと違った。デーデはネイティヴ伝統衣装であるフェルト素材の膝丈ワンピースを着ていたはずだ。この青年はアダマスの軍服。ネイティヴは男女共に長髪を一つに結んでいるが、デーデもどきはそれを数十本の三つ編みにしている。
せっせと最新の一本を編んでいる少女を肩に乗せていた。
「おはよう! 十年ぶりだろうか」
スポーツマン風の礼儀正しい大きな声もデーデそっくりだ。
「大きくなって……ないかぁ、ハハハ! 嬉しいよ!」
胸部を見て言わなかったか?
ネイティヴは簡潔な線が好きだ。髪型、衣服、住居であるゲルに見られるスッキリ好みはボディラインにも適用されるらしい。すとーんとした体型はネイティヴ的には美人なのだが。
チチチチチ、と小鳥のさえずりがして、
「あーっ、当ててあげる! ねね、体型的幼妻でしょそうでしょっ!」
と肩乗り少女がキャッキャと笑う。
アダマス的には貧弱なので喜ぶに喜べない。
っていうかネイティヴ流には褒めてて、アダマス流では失敬なこの人たち誰ーっ?
「おはようございます。あの、わたしは桐花・江藤……ごほっ、桐花・ス……スマラグダスといいます。製紙事業に参加してまして、」
「合ってた! くふふふふっ」
肩乗り少女もアジア系だった。レースをふんだんに使った可愛いドレスを着てツインテールの黒髪をくるくると巻き、日傘を小脇に抱えている。貴族の小さなお嬢さん風だ。
でも、頭に巻いた幅広リボンの蝶結びで目隠ししてるのはなぜ? まるで仮面舞踏会の蝶マスク!
「あたしロザリア! ガッテンは名前なくしたって言うからね、あたしが付けてあげたんだー! ガチョウ連れてる神様なんだよ。んふっ」
目を覆い隠すリボンの下で、ピンクの唇は得意そうだ。
「だから月天と、あたしが多聞天。知ってる? スマラグダス八鬼神でーす!」
きゃはは、と子供特有の軽くて高い笑い声が乾いた耳で増幅されて、脳を揺らしたように感じた。
ずっと不思議に思ってた。
ラウー専属の傭兵集団、スマラグダス八鬼神の名付け親は誰なのか。
姿は舞妓、中身はガンマンである羅刹のアイヤイは日系人の下で働いた過去がある。が、日本語をほとんど知らない。羅刹をかろうじて知っていただけのアイヤイが、仏教神の名やその性質を汲んで傭兵仲間の二つ名にしたとは考えにくい。
鬼神たちの名付け親はもっと日本語と日本文化に詳しいはずだ。もしかしたらボル・ヤバルの日系コミュニティ、職人村の出身者じゃないだろうか。
もしかしたら目の前のデーデ似青年の肩ではしゃぐ、十歳にも満たない幼い少女が。