41. 人類みな魔性
「呪ってやる」
キス、じゃなかった口移しで気付け薬を流し込まれ、失神しかけて鈍いと叱られた頭もすっきり爽快。寝かされていた地面から起き上がろうとしたら、そんな不気味な声がした。
片膝をついて低くなっているラウーの肩越しに、赤ひげグレンツ中将が山盛りの軍人たちに取り押さえられているのが見えた。アイヤイがラウー・スマラグダス大佐流の武装解除をしているらしく、半裸に剥かれている。
「呪われろ、ラウー・スマラグダス! 恨みを買い、蔑まれ、孤独のうちに惨めな死に方をしろ。それが貴様の受ける当然な天罰だと覚えておガゴッ」
「あ、ごめーん下駄が滑っちゃったぁ」
下駄が滑ったくらいで前歯が折れるほどの衝撃になったりするんだろうか。
「悪魔め、殺されても呪ってやる……」
アイヤイの横槍にも負けず、赤ひげは折れた前歯を吐き出して、なおも怨嗟をがなり立てている。物理的にも地を這う、悪夢に再現されそうな濁った陰惨なうめきだった。
思わず、両手でラウーの両耳をふさぐ。
「気にしちゃだめ」
グレンツ中将を振り返ろうとするラウーの頭をぐいぐいと押し留めた。
「あんなの記憶しなくていい。大丈夫! 呪われてもわたしがそれ以上に祈るから。ラウーが無事で、理想を叶えることが出来るように、いっぱい祈るからね!」
たとえ祈りと引き換えに自分の命が削られていくとしても、そうするだけの価値がある。
取り巻いていた軍人たちがザワリと騒いだ。
「呪い返しを施すと……!」
「伝染病の病魔さえ操った。スマラグダス大佐夫人はやはり高位の魔女か?」
「白魔も魂を抜かれるわけだ!」
なぜそうなる。
気絶しかけたかよわい乙女が、ラウーの魂を食らって生きてる魔女だとでもー!
「呪いも祈りも非科学的で無意味だ」
白魔という非科学の権化な異名の持ち主はきっぱりと、仮にも妻の祈りを否定しやがった。どうせなら妻の魔女疑惑を否定しろ!
「だが呪いや祈りが心身に影響を及ぼす時、それらは初めて効果を得る。ならば、おまえ以上の祈祷師は存在しないし、あの男は呪いを返されても無傷なほど役立たずだ」
気にしてないよ、で済むものをどれだけ回りくどく表現すんの? 国語力なさげな軍人が、白魔も認める祈祷師だとか畏敬に震えてるじゃないかー。妙な噂が増えたじゃないかー。
恨みをこめてラウーを睨む。あ、恨まれろという赤ひげの呪いを実現しちゃった。
しかし呪いの効かない合理主義者は立ち上がると、背後の無能な呪術師へ静かに告げた。
「私の肉体が失われようと、私の精神が受け継がれる限り、私は滅びない」
受け継がれる限り、の部分でラウーは手をつかんでくる。継承者が誰であるかを教えるように。
意志を継いでも実現するのは不可能だと思ってたし、今でも思う。なのに誇らしさに足が震えてどうしようもない。どうにか出来るんじゃないかなんて思えてくる。
「民族も国家も文明も同様だ。だからおまえを裁く。安易に殺すなど解決ではない。誰にも引き継がれることのないよう、犯罪の宿る肉体ではなく犯罪の精神そのものを滅する」
取り巻く軍幹部たちの中には、物言いたげな視線を取り交わす者もいる。謀反人を見せしめに殺すべきだと考えているのかもしれない。それでもその場は沈黙によって、ラウーの言葉は一応の支持を得た。
桐花は握ってくる指の強さに、ラウーが相手取るものの果てしない大きさを知った気がした。
ラウーが戦いを挑んでいるのはきっと、敵味方も超えた、人の中に棲む魔性なんだ。
「わわ、血、血が出てる」
指を伝って岩地へぱたぱたと赤い花を咲かせるものの正体に気付いて、慌てた。軍医の端正な眉の間に人類登頂不能な山脈が隆起した。
「診せろ、傷はどこだ?」
「わたしじゃない、ラウーの指! 強く握ったりするから、人差し指の傷が開いちゃったんだよ」
山脈が一瞬にして平地に戻る。ラウーは血まみれの包帯を見やって、白けた顔をした。
白けてる場合か! 患者が出るのは満足なんじゃなかったのかっ!
「夜になれば」
アタフタと止血を試みていると、患者はのんびりと、でもどこか真剣な口調で言いだした。
「おまえは、傷ついたのが中指でなくて幸いだったと思うだろう」
確信的に告げる唇から、覚えのある濃密な気配がこぼれ落ちてくる。
ラウーの中指が元気でわたしが得をすることなんてあるの?
正体不明の気配に触発されたように、周囲の軍人たちがザワッと浮き立った。
「俺も今夜、彼女と中指で!」
「燃えますな! 戦地帰りですしな!」
「いやいやわしも衰えはしたが、テクニックなら若い者に負けんぞ」
そうか、夫婦対抗デコピン大会でも企画されてるんだ。ラウーってばやる気満々、優勝するつもり? ひいっ、足を引っ張らないようにせねば!
と緊張したら、止血のために縛った紐を締めすぎた。
「締めるの、キツすぎる? 指、痛くない? どうすればいいかな」
「考える余裕など与えない」
本能のままに止血しろって? 医者がそんな動物的でいいの? 縫合はしてあるけど消毒は? 消毒まで動物的に舐めて終了とか。
「縛ったり舐めたりするだけじゃなくて、ちゃんと最後までケアしてね」
傷の心配してるのに、なぜ超絶に睨まれなければいけないんだろう……。
ボル・ヤバルの二週間でも毎晩この、殺気のない殺視線を浴びたっけ。目が合ってるようで合ってない。ラウーの視線は目を通過して身体の奥で、わたしの知らないわたしを探り回ってるみたい。
その間にも周囲の軍人たちが騒がしい。
「止血どころか激しく充血させてますな!」
「わしも、うっ血がひどいから失礼するとしよう」
「俺も、たまった血がうずくのでっ」
急に血液循環障害を発症したらしい軍人たちが前屈みに帰路につく。体調不良のくせに、やけに足早だ。頑張れよ! とか励ましあってるけど、お大事にって言う場面じゃない?
「患者さんたち、帰らせちゃっていいの?」
患者が出るのが嬉しいはずの軍医は、あっさり彼らを見逃した。
「治療できるのは私ではない」
各家庭に秘伝の民間療法でもあるんだろうか。