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青い鳥ルーレット  作者: シトラチネ
青い鳥ルーレット
40/68

40. ラウー王子から眠り姫へ

「ボル・ヤバルにてハブを大量に捕獲せよと、昨晩、超特急の夜間飛行で往復を命じられたのでございます」

 赤ひげグレンツ中将は腰に帯びていた刀でハブを叩き斬ろうと半狂乱になっている。

 それを木箱の隙間から眺め、眉毛もまつ毛もない作りかけの陶器人形みたいな顔で、ヴィルゴットは爽やかな神父の笑みを浮かべつつサラリと恨み言を連ね始めた。

「帰路の鷲の鞍で、蛇の毒腺を除去する作業に徹しました。我が体力は限界にございます。視界が霞みます」

 残業代を請求してやろうという執念を感じる。

 桐花は白ローブから顔を背けつつヴィルゴットの嫌味を整理してみた。つまり目下グレンツ中将を襲っているハブに、毒はほとんど残っていない。

「否、背後を取って咬むのです、左が空いております! 臨床例! 臨床実験体っ」

 セコンドばりのハブへの応援にヴィルゴットが徹夜で働いた動機が見事に表れている。

 視界が霞みますとか言っといて遠くの蛇の動きまでよく見えてるじゃないかっ! 臨床例にできる程度に毒を残してあるんじゃないかっ?

「無害な蛇相手に奮戦する必要は皆無です、グレンツ中将」

 淡々と忠告するラウー・スマラグダス大佐はある意味、真実を述べている。だが毒のない毒牙を剥く多数の蛇に応戦する赤ひげは答を返す余裕もない。

「中将はそれを、アダマス軍が進軍しなかったボル・ヤバル森林部にのみ生息するハブだと誤解しているように見受けられます。ならば、貴官がその蛇に関する知識を持つ理由を問わねばなりません」

 蛇の生息しないアダマス都市部に暮らす者が知るはずのない毒蛇。

 これは硝煙と同じ仕組みだ、と桐花は気付いた。シラを切って動かずにいれば死ぬ。毒蛇だと主張すれば、ボル・ヤバルの内通者と自供するに等しい。

 赤ひげはギチギチと音が聞こえそうに歯を食いしばりながら、黙秘を決め込んだらしい。無言のまま大量の蛇との対戦を続けている。

「無害だという証拠をご覧にいれましょう。桐花!」

 いきなり名前を呼ばれて、思わずビッと直立した。頭で木箱の蓋を吹き飛ばす形になったが、痛いとしゃがんだりしたらその倍以上に痛い視線で胸に洞穴が開通しちゃうのは経験上、よく知っている。

 振り向いた赤ひげと目が合った。ひげの下の唇が呟く。

「なぜ生き」

 ているのか。

 途中でへし折るように言葉を飲み込んでも遅かった。成り行きを見守っていた演習場の軍人全てがそれぞれの武器に手をかける、緊張した不協和音が響き渡った。

 桐花の葬式は極秘事項。

 桐花は死んだと確信している者にしか、その発言は不可能だ。



「咬傷の牙痕数と形状から、咬んだ蛇の種類を特定できる。その蛇に咬まれた私の妻はこの通り生きている。安心して咬まれるか自供するか、選択肢を与えてやる」

 死ぬか自白するか迫ってるよ? 死ぬのを選んで蛇に咬まれても致死量の毒は入ってないから、中将は生き恥をかかされるだけだよね。やること怖いよ?

 赤ひげの構えるナイフの先が震えている。瞳は憎悪と屈辱にドス黒く燃えている。威厳ある軍人だったはずの人物は、生理的に目を背けたくなるような悪意の塊と化していた。

 迎える異色の瞳には炎も消し飛ぶブリザードが吹き荒れている。

 色と温度の違う強力な嵐が衝突し、刃となって空気を切り裂くのが見えるようだった。

「昨夜、ネイティヴ流の葬式である死出の小船が浸水で沈むのを確認していたことに関しては証言者がいる。おまえは自家用機であるカラスの上から、船の近くにイルカの群れがいたのを見たはずだ。デーデ!」

 凛とした指名に、スマラグダス大佐用テントに積まれていた別の木箱の蓋が吹っ飛んだ。

 長髪を後頭部で一つにくくり、すとーんとした若草色の民族服を着た、よく陽に焼けた筋肉質の青年。アジアンスターのような憂いのある端正な顔を引き締め、棒のように硬直している。

「僕は集う家のデーデと申します!」

 体育会系の元気良さで名乗った。が、声が裏返っている。

 久しぶりに会ったけど、正義の味方風のかっこいい登場だけど、相変わらず詰めの甘い人だと桐花は哀れしか感じなかった。

「昨夜、イルカの群れに隠れ、死出の船を観察するシロエリオオハシカラスおよびグレンツ中将を見ました!」

 そういえば。

 トカのゲルを解体しながら、レンカが言ってたっけ。デーデは潜行が長く体を冷やしていたが云々。

「そして沈んだ船から、死体のフリをしていた紡ぐ家のトカを回収しました!」

 それでトカのゲルの床がびっしょり濡れていたのか。

 暗殺者にカラスの上から観察され、小船が沈没してもじっと死体を装う。身の安全のために命がけの演技を終えてゲルに戻ってみたら、ラウーに頚動脈を襲撃されたと。

 トレードの際、トカはこんな世界二度と嫌だと号泣してたっけ。無理もない。

「また、大佐の指示により、低空飛行していたカラスの羽をFetchしました!」

 そう言ってデーデは腰紐に挟んでいた巨大な黒羽を二枚、空高く掲げた。抜けるように青い空へ突き上げられた羽はVサインみたいで、勝利の確信に満ちている。

 Fetch、取って来い。デーデの飼ってるイルカに教えた遊びだ。死出の船に近付いたカラスの羽を、イルカにむしらせたらしい。

「鳥の翼には風切羽が並んでいます。あの、聞いてますか中将さん」

 どうにかハブを鎮圧し、ぜえぜえと肩で息をつくグレンツ中将は汗だくで鬼の形相だ。

「反アダマス感情の強い……ネイティヴの……証言など!」

 僕はそうでもないですけど、と真面目に答え始めたデーデは話の横道を斬撃する氷の大ナタ視線を浴びた。首筋にダラダラと汗が流れ落ちるのが見えた。

 相変わらず空気の読めない人だ、と桐花は嘆きしか感じなかった。

「か、風切羽は三つに分類できます。翼の先にある初列風切はほとんどの鳥類で十一本と数が決まってて、これはその初列風切の九番と十番です。えっと、翼の外側から数えて二枚目と三枚目の二枚です」

 そうか、何で詳しいんだろうと思ったら、集う家って動物の飼育や調教をする職業集団のことだった。デーデ=多少頭の残念な人、という脳内メモを桐花は『少々』に訂正してやった。

「ユピテライズしたカラスは軍機に転用可能なため、一羽残らず登録管理されている」

 証言を継いで、頭が残念でなさすぎる人が記録を読み上げるように話しだした。

「アダマス帝国内で自家用機として使用されているカラス百六十八羽のうち、シロエリオオハシカラスは二十三羽だ。今朝、全てのシロエリオオハシカラスを当たったところ、九番と十番の初列風切を欠いたものは」

 一拍。

 証人と証拠で追い詰めた容疑者の心肺が凍るのを見届けるような、傍聴人さえ戦慄させる一拍のあとにラウー・スマラグダスは告げた。

「グレンツ中将の所有する一羽のみだった」

 赤ひげ中将がゆっくり首をねじって周囲を見渡す。

 演習場の軍人たちが赤ひげに向ける目は、中将ではなく、容疑者でもなく、罪人に対するものへと塗り変わっている。

 覆しようのない断罪の視線の重量に、ガクリと赤ひげの片膝が地に崩れ落ちて敗北を認めた。

「私とトカの結婚は、数十年来続いてきたアダマスとネイティヴの不和の時代が終焉した象徴だ。ダルジ少将とネイティヴの結婚が検討されたほどの国家的、歴史的、政治的な意味合いは大きい。その破滅を謀るだけでも国家への反逆であり、」

 判決文を読み上げる裁判官の気高さでラウーが言う。

「私への挑戦だ」

 国家反逆罪とラウーへの反抗が同列で語られていいの?



 くそっとか、死ねとか、呪詛も罵声もなかった。

 唐突に赤ひげの手が突き出され、握る拳銃の先はラウーの顔へ定められていた。

「いや!」

 思わず叫んで駆け出そうとして、バスタブサイズの木箱に行く手を阻まれた。

 パァン、と軽い音がこだまして視界と意識を白くする。

 デモンストレーションで披露されたどんな火器より軽薄な音。あんな音で人の命が飛び散ってしまうなんて。間違ってる。指先一つが、悪意が命を強奪する手段になり得てしまうなんて。

 そんな狂暴な悪意の先に大事な人が立ってるなんて。

 こんなことあっていいはずがないよ!

 大勢の早い足音がする。取り押さえろ、確保、と怒声が飛び交っている。それがノイズの中で近付いたり遠のいたりして、気分が悪くなる。体のあちこちに硬いものがぶつかるのが分かる、衝撃は強いのに痛みなんて全然ない。

「あーあ、ファースト・レディちゃんってば。あたしが早撃ちで初心者に負けるとでも思ってんのぉ?」

「桐花!」

 誰かに呼ばれてる。

 頬がベチベチと打たれてる、でも不思議、痛くない。

「救急箱を持ってこい」

 これラウーの声? 無事だったの?

 視界が慌しいけど、何が映ってるのか分からない。だって上下の見当もつかない。浮いてるのか落ちてるのかも、魂が体にくっついてるのかどうかも。

 迷子になってる、誰か、こっちだよって手を引いて。

 あ。キス。

 ふわふわしてた感覚が、一気にその一点へ収束した。

 柔らかくて温かな、あの冷徹な風貌と真逆の優しい弾力が押し当てられてる。

 ラウーのキスが好き。他のキスなんて知らないけど、絶対これが世界一。世界がいくつあっても、せかいい……。

「ギャー、苦いっ! ピリピリする、何これっ?」

 意識が引っぱたかれたみたいに覚醒した。

 舌が熱い、しびれる、うええええ酒くさーっ!

「気付けだ」

 超至近距離で覗き込んでいたラウーが平然とお答えくださった。その答える唇からも同じお酒のような香りが落ちてくる。

 えっもしかして気付け薬を口移し? キスじゃなくて? 世界一と思ったキスは医療処置かー、ときめきを返せー!

「私は医者ではない」

 ラウーがおかしなこと言ってる。私は医者だって言葉を何度、頼もしく、腹立たしく聞いただろう。

「患者が出て満足を覚えるなど」

 なにそれ?

 じっと睨み下ろしてくる茶と翡翠の瞳が何を言いたいのか見上げていたら、顎を砕いてやろうかという勢いでつかまれた。

「おまえの頭の鈍さに効く薬はないのか?」

 ひいっおかわりいらない、気付け味の舌を入れてくるな、もう頭はばっちりシャープに起きてるのに、苦いっしびれるっ酒くさいっ、……あ、甘い。

 気付けとは逆効果のラウーの味がする。

 ごめんね、ラウー。

 もう少し、気付けが残ってないことに気付かないでいて。


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