39. 煙にまくか、まかれるか
「ボル・ヤバル戦勝祝賀記念、火器デモンストレーションを開催致します」
国家予算の浪費とコキ下ろしたくせに、ラウー・スマラグダス空軍大佐は涼しい顔で開会の辞を述べた。
軍の演習場は低い岩山の谷間をならしてどうにかスペース作りました、という趣の窪地だ。初夏の陽光の照り返しにより朝だというのに気温は高い。山間の行き場を失ったつむじ風が砂埃を舞い上げていた。
「木材および硝石を豊富に産出するボル・ヤバルを領地としたことで、帝国軍には驚異的な火力を誇る火薬を安価に入手する道が開けました」
戦利品を披露するイベントか、と桐花は理解した。
「会場の収容人数の都合上、列席を制限させて頂きました。ご臨席の方々には初見の衝撃となる威力を存分にご覧ください」
間髪入れずにアイヤイの徹甲弾ランチャーが火を噴き、ドォン! と岩山の一角に巨大な穴を穿った。
硝煙の中を石つぶてがバラバラと降り注いでくる。ずらりと並んだテントから鑑賞する帝国軍幹部たちが、おおおと驚嘆の声を上げた。
家型のテントは屋根と側方に帆布が張り巡らされ、デモ会場に面した一面だけが開放されている。屋根だけにすればいいのに暑いぞ、と思っていた桐花は跳ね飛んで側面にもバチバチと当たってくる石つぶてに納得した。
「暑い……人多い……徹夜明けによりダメージ倍増、うぷ」
「ここで吐くのはやめてー!」
しかし氷の国出身のスマラグダス八鬼神、風天のヴィルゴット・ヨハンソンにはこたえるらしかった。
スマラグダス大佐用のテントにはデモ用資材と称して木箱が積んである。桐花とヴィルゴットはその木箱の一つに潜んでいた。呼吸と視界のための隙間を除けば密閉された小空間で吐かれたくはない。
「吐いたら、無差別人体実験してることラウーに告発するからっ」
「研究費削減……不幸……!」
会場はアイヤイが嬉々としてブチかます火器の轟音と爆発音、石つぶてがテントを叩く雨音、軍幹部たちの興奮した声と拍手で溢れていて、ひそひそ話程度なら桐花たちの潜伏が露見する心配はなさそうだった。
告白をスルーされ、木箱に詰められ、嘔吐を浴びる危険に晒される。久々のひどい扱いに桐花は嘆息した。ひどくても命の危機を感じないだけマシか、と場慣れしてきて人権基準が著しく低下している自分も情けない。
木板の隙間からまぶしい金属鎧の主を眺めた。ラウーは降ってくる石つぶてを小型の盾であしらい、乱暴に鼓膜を突く轟音にも悠然と直立を保っている。
行くぞ、桐花。戦争は終わっていない。
なんて言うから暗殺者退治をするのかと思えば、ラウー主催の祝賀行事に隠密出席させられただけだった。アダマスで桐花の護衛にあたるアイヤイはデモンストレーションの主役で不在になる。ならば警護対象を密閉しとけという単純明快にして人権無視な決定がされたらしかった。
ふと、気付く。
ラウーはラウー自身の人権も考えてないんじゃないか。
誰にだって好きな人と結婚し、人生を共にする自由な権利があるはず。ラウーは理想のため、助手保護のために自由を放棄してしまった。ラウーが犠牲になって提供する妻の座に、平然と居座れる?
他の人に座られちゃうのはイヤだ。でも。
『私が人並みだとわかっているなら、私にも人並みな感情が備わっていると覚えておけ』
ラウーの人間らしい感情を踏みにじりたくない。
アイヤイは大砲まで曳いてきた。砲身にまたがり、鼓笛隊の音楽に合わせロデオのようなパフォーマンスを披露している。武器商人の下で銃殺ショーをした経験なのだろう、魅せ方を心得ている。
アイヤイを超ミニの異国の服を着た少女と誤解している軍人たちはえらい盛り上がりようだ。
男性なのになーという桐花の内心の呟きが聞こえたかのように、一瞬だけ朱色の目元にガンを飛ばされた。敵を欺くならまず味方から、が信条のアイヤイとしては誤解を誤解のままにしておきたいのだろう。
大砲がうっかり誤爆して、身を隠した木箱がそのまま棺桶になるのは避けたい。口外しません、と桐花はテレパシーを送った。
「興奮は呼吸数の増加をもたらします」
大量に火薬を消費し、会場には硝煙が立ち込めている。アイヤイの姿が霞んで目を凝らす桐花の横で、ヴィルゴットが不意に呟いた。
「我が主のショーの幕開けにございます」
メインイベントが始まるらしい、と桐花は木板の隙間に張り付き直した。
風の影響で、ある一角の数棟のテントに集中的に煙が流れていた。咳き込んでいるのが聞こえる。一人の年配の軍人が気分が悪い、と申し出た。
「私が診察致しましょう」
「すまないね、スマラグダス大佐」
「軍医として当然の務めです」
「吐き気とめまいがするのだが」
主催者兼軍医であるラウーは患者の鎧を脱がせ、軍服の前を開いて手早く診察している。熱中症です、と断言して涼しい場所で休ませた。
「気分の優れない方は、すぐに私へお申し付けください。ではデモンストレーションを再開致します」
大砲がズドーンドカーンと盛大な音と煙を撒き、岩山を派手に破壊する。もうもうと湧いた白煙をかき分けて、また一人の軍人がラウーの診察を受けに出てきた。熱中症です、と断言される。
「ここ、盆地だもんね。かわいそうに、あそこだけ熱風が集中しちゃって」
「我が風天の名をお忘れでございます。集中させているのでござ、うぷっ……研究費っ……ぐぐ」
アダマス帝国内で常に最も暑気あたりがひどそうな人は白い袖で口元を必死に押さえていた。
不自然なほど煙が充満する一角には三人しか残されていない。うち一人がよろめきながらラウーへと助けを求めた。
「熱中症です。風通しのいい涼しい場所へ」
「席を移動してくれんかね。この煙には我慢ならん」
突然、ラウーの指示を遮る強い抗議が湧いた。
煙に耐えていた最後の二人の片方だ。壮年の、小柄で口ひげをたくわえた赤毛の軍人はラウーへ歩み寄りながら、厳しい表情で煙を払っている。
賑やかだった鼓笛隊がしんと静まり返った。居丈高な口調と会場内の注目を一身に集めた様子から、赤ひげ軍人はかなりのお偉いさんに思えた。
「申し訳ございません、グレンツ中将。じき風向きが変わりますので、しばしのご辛抱を。安全なテントへお戻りください」
大人しく座ってろ。
ラウーの口調は丁寧だが、言外では明らかにそう告げていた。
「ほう、テントが安全? あの煙たいテントがかね」
赤ひげはムッと唇を歪め、嫌味たっぷりに噛み付いている。
やるな赤ひげ、氷山級に取り付く隙のないあのラウーに食い下がった!
「熱中症は直射日光と高温多湿により」
「医者の説教はいらん、君の診察は信用ならん」
「誤診とおっしゃるのですか」
軍医は不快と上官に対する礼儀の混合された、傲慢さのにじんだ表情を見せている。
珍しい、と桐花は意外だった。おまえを救ったのは血清だと言ったように、知識に対してラウーは常に謙虚だった。
「これは熱中症です。グレンツ中将、席へお戻り願います。アイヤイ、続行しろ」
「我々を殺す気かね。付き合いきれん、帰らせてもらおう」
「中将」
金属鎧が赤ひげ軍人の退路を断って立ちはだかる。
見下ろす顔から礼儀も不快も霧散していた。静かな、けれど確実に魂の奥底まで見通し手づかみにするような審判者の視線に、赤ひげが返事をし損ねた。
「硝煙が吐き気、意識障害、ひいては死を招く事実を何者が貴官に教授しましたか。三週間と二十二時間前、貴官が私用と称して軍務を離れ密会した、武器商人ソウヘイ・カジヤベです」
赤ひげの一瞬の虚を言葉の矢が射抜く。
背筋を戦慄させる沈黙が、祝賀イベント会場が処刑場へと変貌したのを告げている。
「風向きが変わりましてございます」
不穏な空気へ一変した会場の隅で、風天のヴィルゴットは満足げに呟いた。
「ボル・ヤバルの隔離病棟の糞便処理場に沈めた裏切り者から吐き出させた黒幕の名は、グレンツ中将でございました。しかし証拠がなく、厄介なことに我が主より役職が上でございます」
中将という軍の上級職を糾弾するには、密輸した火器の現物や自白といった動かぬ証拠で軍幹部を納得させねばならない。失敗すれば上司を告発する不穏分子として、逆にラウーが処分されてしまう。
方法に詰まっていたところに、ノミ駆除燻蒸事件が起きたのだという。ラウーは硝煙の性質を利用して、軍の害虫をあぶりだすことを思いついたそうだ。
「硝煙は有害。我が主とて承知。ですが開会の辞にございましたように、出席者は全てそうと知らぬはずの、火器取扱い登録のない者のみでございます。硝煙など焚き火の煙と大差ないと思うのが通常でありましょう」
だから軍人たちは硝煙を浴びて気分が悪くなっても、熱中症と言うラウーの診断を疑わなかった。
「我が主はボル・ヤバルの伝染病を沈静した名誉ある軍医。誤診の疑いをかけるなど、軍幹部として明白な不自然でございます」
「密輸入した銃の発覚を恐れるならば」
イベント主催者から処刑人へ変化したラウー・スマラグダス大佐が会場の沈黙を破った。
「肌身離さず携帯する。グレンツ中将、貴官は私の診察を受け鎧の下を覗かれるのを恐れた。かといって硝煙を吸い続ければ昏倒し、いずれにしろ診察されるのは不可避。誤診と難癖をつけて会場から逃げ出そうと画策したが、口を滑らせた」
殺す気か、と。
硝煙の及ぼす害を正確に知っていると自供する、その一言を口にしてしまった。
誤診と言われてラウーが見せた表情、あの傲慢さのにじんだ、ついムッとして一言文句をつけたくなるような顔はおとりだったのか。桐花は心にメモをする。大佐夫人披露時の笑顔といい、ラウーの珍しい表情には裏があると思わねばっ。
「スマラグダス大佐!」
赤ひげは一喝に近い威圧的な声を張り上げた。鎧の背から気炎が昇っているのが見えるような、激しい怒り。桐花は思わず木箱の中で身を縮めた。
「発言の撤回と謝罪を要求する。事実無根のでっち上げで中将たる私を貶めるのは君のためにならんぞ」
「事実無根とおっしゃるのなら、ボディチェックを受けて頂きます」
「拒否する、無意味な侮辱だ!」
会場内は半信半疑で事態を見守っている雰囲気だ。中将が服を脱ぎ、身の潔白を証明してみせるのか。それとも中将の権威が勝って、大佐の世迷言で片付けられてしまうのか。
ラウーが不利だ、と桐花は思った。硝煙の有害性については火器を扱う知人や部下から聞いた知識だとか、言い逃れる余地はいくらでもある。不意を突くことには成功した。でも赤ひげが気を取り直したら握り潰されてしまう。
「密輸品を出せないのならば」
ラウーが指先で合図すると、アイヤイが会場の隅から革製の大きな袋を引きずってきた。袋の口は紐で厳重に封じてある。
「出して頂くまで」
袋はビチビチと元気にうごめいている。
言ってることは豊臣秀吉だ。鳴かずとも鳴かせてみようホトトギス。
しかし中将の足元にブチまけられたハブの山は、明らかに織田信長の所業だった。