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青い鳥ルーレット  作者: シトラチネ
青い鳥ルーレット
38/68

38. それはないです

 十何年ぶりかに親子で川の字に寝て、明け方まで話をした。

 大丈夫。母が産み育ててくれた丈夫な体と、父がエプロンとはたきで示してくれた精神があれば、どこの世界だって生きていける。両親が繋いでくれたものを世の中に返していこう。そう思えた。

 ところで、と桐花は重大な問題に頭を切り替えた。

 どうやってあっちの世界に戻ればいいのかなー。

 トレードを発生させるには、この世界への絶望が条件らしい。それは無理だ。両親がいて友人がいる、生まれ育った世界。絶望どころか愛着がある。ラウーがいないからといって、申し訳ないけど絶望まではできなかったりする。

 つまり戻れない。

 親子三人して涙と笑いの旅立ちおよび嫁入り前の、手の握り合いなんてしちゃったというのに。帰れませんアハハで出戻り状態になるのは一生レベルの恥ではないだろうか。

 両親は両脇ですかすかと寝ている。大みそかよりも長い半徹させちゃって、開店までに起きられるといいんだけど。あっ、お父さんってば白髪が増えてない? わたしのせいだったりして。

 もちろん、父の白髪増量くらいでで絶望なんてできない。

 遮光カーテンの隙間から朝陽の主張が強くなる。レトロなベルアラームの短針は七を回った。

 咬まれてトレードをキャンセルしてから半日が経ってしまった。ラウーが心配……はしてないか。激怒、それもちょっと違うな、絶対零度を突き抜ける不機嫌で待ち構えているんじゃないだろうか。

 早く会ってありがとうって伝えたいのに。助けてくれてありがとう、いてくれてありがとうって。

 ギャー照れる!

 枕にばふんと顔を埋めた瞬間。

「えーまた君たちなのーしつこいなー、忍耐ってもん学びなよ」

 少年とも少女ともつかない、間延びした声が聞こえた。ハッとして頭を上げる。

 あの人だ! トレードが起きるときにブチブチ文句をつける、やる気のない仲介者。

 トレードが発生するんだ。絶望なんて必要なかった、乙女の恋が勝ったんだ!

「こっちだって暇なわけじゃーな」

「いやぁぁぁ! あなたなんか大っ嫌い! 帰る、こんな世界もう二度といや!」

「……いんだよー?」

 ヒステリックな絶叫に邪魔されたが、仲介者はめげずに不平を述べきった。

 あの叫びはトカ?

 なんだー今回もトカの絶望が引き金なのかー恋の力じゃなかったのかー、恋は絶望に負けるのかー。

「愛で渡る人もいるよー? 愛が足りないんじゃないのー」

 うわー読まれてるし。足りないらしいし。そ、そっか足りないのか。

「まー要するに人は人の想いの強さがどんだけの扉をブチ破れちゃうものなのか、過小評価してんだね。こっちとしては楽でいいけどー。あふ」

 トカの号泣が聞こえてるというのに、不真面目な声の主はのんびりと講釈している。

「君たち少数派。トレードしても元の世界に戻ってくもんだよ? トレードした側とされた側で希望が食い違って、目も当てられない面倒極まりない事態になるより少数派」

 確かにそれはややこしい事態だろうけど、この仲介者は放置しときそうだ。

「うん正解。だって基本的に君たちの運命は君たちがどーにかするもんでしょ。ってことで泣かれんのウザいし、じゃーまーもう一回いっとく? せーのぉ」

 枕が消失した。

 肌触りのいいシーツは粗いフェルトに変貌し、柔らかなベッドはごつごつした丸太の感触になった。両親の寝室はネイティヴのゲルへ姿を変え、そして両親は。

 殺気をみなぎらせ喉元にナイフを突きつけてくるラウー・スマラグダス空軍大佐になった。



 なんだろー、別れ際とそっくりの刺殺一秒前なこの構図。

 デジャヴに記憶を探せば、ボル・ヤバルに駆けつけた一週間ぶりの再会でも弓で狙われてたっけ。なぜわたしが会いたいときに限って殺意満々で出迎えるの?

 会えたらまず、ありがとうって言うつもりでいたのに。

 組み敷かれ、頚動脈に刃を当てられ、ゲルをかまくらに改築中の極寒視線でかつてないほど睨み下ろされている状況では、非常にアブない発言に解釈されそうな気がする。

 あの、桐花ですけど。ただいま戻りました、物騒なモンしまってくださいと視線で訴えてみた。

 黙ってナイフが引っ込み、靴底だの膝だのによる制圧が解かれ、引き結んだ唇は無言のうちに報告を要求してきた。

 死の淵から生還した仮にも妻を抱き起こすとか、ないのか。そっかギャラリーがいないし。そもそも結婚しちゃったから婚約者パフォーマンスは必要ないしね、くっそー。

「えっと……おかげさまで血清、打ってもらえました」

「診せろ。呼吸は。息苦しさはあるか」

「大丈夫。皮下出血が消えたら何も残らないだろうって」

 ちっとも驚いてない。物事に動じないだけじゃない。ラウーにとって、この結果はシナリオの範囲内なんだ。わたしが元の世界に行き、血清を打ち、治癒して戻ってくるのが全てラウーの計算通り。

 ほっとする。助手解雇も結婚破棄も嘘だったんだ。

 もぞもぞと上体を起こし、パジャマ代わりのゆったりしたTシャツの襟を伸ばして咬まれた場所を出す。軍医はランタンの火を大きくして、肌の状態を念入りに確かめている。

 その間に周囲を見回した。

 ここはトカのゲルだ。二回目のトレードが起きて、ネイティヴの国粋主義者に誘拐されたときにいたゲルだから見覚えがあった。入口から尻の下にかけ、床のフェルトがなぜかぐっしょり濡れている。

 どうしてこんな場所で、ラウーに首切られかけてたんだろ?

「もしかして、トカが絶望してトレードが発生するように脅した……?」

「責めるなら自力で帰還してからにしろ」

 帰りたくても帰って来れなかったのが見透かされてる。反論の余地は皆無だ。巨大な借りをカウントされたんじゃないだろうか。恐ろしいから忘れよう。

「あの……ありがとう、助けてくれて」

 傷を確認し終えた温かい指先が離れた。ラウーは片膝をつき、腰を落とした体勢でじっと睨んでくる。

「おまえを救ったのは血清だ」

 むー。

 わたしとしては感動的再会なのに、ひょうひょうとしちゃって。アイヤイが唸ってたのも理解できる。ラウーは助手確保と夫の役割を実行しただけで、特別なことやり遂げたなんて感慨はないに違いない。

 ひとの気持ちをどれだけ揺さぶったかも知らないで!

「でも、ラウーがいなかったら血清にたどり着かなかった。わたしね、なぜかあのとき、血清のある元の世界に行くことを思いつかなかったの」

 ここにはないんだ、って思っただけ。

「束縛され始めてたかも。助手の契約や婚姻は破棄できても、その……だから……破棄できないものもあったみたいっていうか……」

 じっと黙って睨み続けないで欲しい。

 告白されたことはあっても、するのは初体験だったりする。心臓がっ。こんな勢いでバクバクしたら筋肉痛になる!

 硬質な金属鎧がランタンの橙色の光を受けてきらりと輝いている。淡い金の前髪に混じる一房の白もオレンジ色に染められている。

 右手の指先に巻かれた包帯が見えた。血文字でカルテを書いた名残り。

 ラウーの存在を特徴付けるものを順々に眺めて、少し気を落ち着けた。

 勇気を振り絞って顔を上げ、視線をもらう。茶と翡翠の瞳は睨みつつ、濃密な気配をこぼしてくる。床を這って腰に絡みながら立ち昇ってきそうな、意思のある気配。

 その気配の熱気に頬を撫でられながら、思い切って言った。

「ここで生きてたい、です」

 うわぁぁぁ声震えすぎ! 酸素! 酸素ー!

「だから結婚も前向きに……」

 パンパンパンパンパン!

 突然、爆竹のような派手な音が遠くから響いてきた。

「なにっ? 爆発? 銃撃?」

 きょろきょろしたが、ゲルの中を見回してもしょうがないと気が付いた。外の様子を見ようと入口の木戸へ立ち上がりかけたところで、背中に覚えのある衝撃が走った。濡れた固い床に転倒する。

 ちっ、と頭上から舌打ちが聞こえた。禍々しいほどの苛立ちぶりは、天空を飛翔する龍さえ落としそうだ。

「ボル・ヤバル戦勝祝賀会を知らせる空砲だ。出席しなければならない」

 めでたいじゃないか。お祭りごとは嫌いなのだろうか。

 絶賛告白中の乙女の背中を軍靴で蹴倒した空軍大佐は、国の祝賀行事をかつてないほどの忌々しい口調で罵倒した。事実を述べているだけだが、明らかに罵倒した。

 なにこれ玉砕? 普通、告白が迷惑じゃなかったら踏みつけたりしないよね? ううん、迷惑だとしても踏みつけたりしないよねー! いやいや告白されてなくても、踏みつけるっておかしいよねーっ!?

「外へ出るな。おまえの姿を見られるのは作戦上の不利益だ」

 物理的にも重圧をかけられた背中の百数十センチほど上から厳しい軍人の声が命令してくる。作戦ってなに?

「婚姻は失効した。おまえはもう死んでいる」

 ずいぶん昔に流行ったという漫画の名台詞が降ってきた。



 つまりはこういうことらしい。

 暗殺者の目を欺き、桐花と入れ替わったトカの身の安全を確保するため、桐花は毒蛇で死亡したと偽装する。極秘にネイティヴ流の葬式までして、軍の書類も内密に死亡へ訂正させた。

 ネイティヴは閉鎖的な社会だ。居住地によそ者が入り込めば必ず目撃されるし、監視される。トカをかくまっておくには最適な場所だった。

 というのはトカに対する名目。

 実際は、ターゲット死亡を確認しに葬式や書類を調べに来るであろう暗殺者をおびき出すのが目的。

 名目の事情を聞いて協力したトカは、安全なはずの自分のゲルでラウー・スマラグダス参謀に頚動脈を狙われ、強制トレードさせられた。

 トラウマにならないといいけど、と桐花は激しくトカに同情した。

 それにしても参謀の仮面め! 妻の死までも暗殺者の釣り餌に使うのかー! とっさの判断が冴えすぎてる。アダマス帝国軍に敵対する勢力は全て即刻、降伏するのをお勧めしたい。

「それで、暗殺者は特定できたの?」

 ラウーは黙って唇の前に傷のある人差し指を立てた。

 口をつぐんで耳を澄ませば、チャプチャプと軽快な水音が近付いてくる。イルカだ。水音は迷いなく接近して木戸の前で止まる。

 ご苦労様、とイルカの労をねぎらう声は母に似ていた。

「おはようございます、大佐さん、姉さん」

 体の幅の分だけ開けられた戸からするりと入ってきたのはレンカだった。トカの妹であり大工であるレンカは、今日もチャイナドレスと網タイツを足して二で割っちゃったようないでたちだ。手に見慣れぬ道具を握っている。

「集う家を通じての伝言、承りました。デーデは潜行が長く体を冷やしていましたが、ご指示通りゆっくりと温めています」

「了解した。早朝に呼び立ててすまない。即刻、ゲルを解体して私の家へ運べ」

「はい、大佐さん」

 言われる前からレンカはすでに作業に取りかかっていた。壁紙代わりのフェルトが巻き取られ、格子状に木を組んだ骨組みが姿を現す。

「ネイティヴでは死者のゲルは解体するのがならわしだ。その際、妻に死なれた男が遺品を持ち帰っても不思議はない」

 唖然としていると、壁紙フェルトでぐるぐる巻きにされてさらに唖然とする。

 すまきにされて東京湾。

 そんな光景が頭をよぎってしまうのは、過去に恐喝まがいの取引をしたラウーの自業自得だと主張したい。

「順序は前後するが、クレオパトラにならうとしよう。蛇に咬まれ、巻物に隠れて敵の目を欺く。舞台も役者もそろえた」

 死亡およびクレオパトラ偽装は了解しました。ところであの、思い出して頂きたいんですけど、乙女の告白はスルーですか?

「行くぞ、桐花。戦争は終わっていない、虚飾の祝賀は国家予算の浪費だ」

 桐花はフライトアテンダントの気持ちになった。

 どなたかお客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか? 機内に重度の仕事中毒患者がおります!


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