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青い鳥ルーレット  作者: シトラチネ
青い鳥ルーレット
31/68

31. 押してだめならゴリ押しで

 しばらくここで安静にしていろ。

 というラウーの命令に、桐花は逆らった。大急ぎで着替える。ラウー出兵の真偽を自分で確かめないと気が済まない。信じられない。

 だって何も聞いてない!

 逆らったりすると後が怖い。が、出兵が事実でラウーが不在なら、桐花が何をしようがバレるはずがない。構うもんか。

 しかし桐花のもくろみは、玄関扉を引き開けた瞬間に、屋敷から一歩も出ることなく破綻した。

「出かける気ー? だめー。フィアンセちゃんを見張ってろって、ご主人サマに言われてるからぁ」

 けだるげに、いかにも面倒くさそーな仏頂面の舞妓もどきが立ちはだかっていた。とっぷりとした夜の中、ランタンの橙の光に下から照らされた顔が怖い。

「びっくりした……あれっ、アイヤイさんはいるんだ」

 出兵は? スマラグダス八鬼神を名乗る腹心が、主の戦争に参加しないはずない。

 険悪に歪んだアイヤイの眉間で、してはいけない質問だったと悟った。

「ごめんねぇ戦力外通告でー。カジヤベ死んでフヌケて使い物になんなくてごめんねぇー!」

 グレている。

「えっと……こっちこそごめんなさい……亡くなったんだね、武器商人」

「ごめんって言いながらズケズケ聞くし」

 大雑把に結い上げた長い黒髪をダルそうに揺らすアイヤイは疲れて見えた。髪は大雑把というより崩れているし、黒い着物はシワが寄っているし、顔色は冴えない。

「誤解しないでね。あたしはキッチリ、ボスの命令守ったんだから。カジヤベは失血で死んだ。ヴィルゴットの針が死期を早めたかもしれないけどね、どうせ数分も変わんなかったよ」

 落ち窪んで充血した目に睨まれた。

「わかったら部屋に戻ってくれない? あたし機嫌が悪いの。すごぉーく悪いのー」

 昭和のドラマで見たことある気がする、ヤンキーにからまれるこんな感じのシーン。

 迫力負けしかけた自分を叱咤する。まだ引き下がれない、平成組にも根性はある。

「ラウーが出陣したって本当?」

「あー『鉱山獲り』ね。カジヤベから銃を買ったのがボル・ヤバルに買収された兵士でねー、軍幹部暗殺計画が発覚したもんだから作戦が繰り上がったけどさ。行くのなんてわかってたでしょ」

 鉱山獲りって? ボル・ヤバルって? こっちの世界の政情なんて知らない。

 ラウーは出陣する素振りなんて全く見せなかった。出かけるが帰りが遅くなる、って何気なく言っただけ。

 本当に戦争しに行っちゃったんだ。自分がのうのうと休息していたあいだにも、今この瞬間にも、命を晒して戦ってるかもしれないんだ。

 弓の正確さは捕鯨銛で、指揮官としての統率力は人質救出で、一軍人としての勇猛さは蛇穴特攻で、もう二度と味わいたくないほどの超実戦で思い知らされてる。

 だけど。それでも。

「ボル・ヤバル侵攻のために呼び戻されたのに戦力外なんて、あーもう情けないったら……ヤダあぶなっ、ちょっとしっかりしてよ」

 ガシャンと耳障りな音が、ランタンの落下音だと気付いた。取り落としてしまったランタンをつかもうとした指が空振りする。距離感がおかしい。

 どうしよう。自分と空気の境目がわからない。足元の床は石のはずなのに、ふわんふわんと波みたいで。

 ドアの石枠をつかんでぎゅっと目を閉じ、気を鎮めてくれそうな記憶を漁った。

『軍人を腰抜けにして未亡人になりたいなら、泣いてすがれ』

 何度も何度もラウーの言葉を祈りのように反芻する。

「ラウーが行ったのは危険なとこ?」

「あそこは独裁者の恐怖政治だから、軍だってもろいもんだけどさ。ボスはどこに行ったって、他の軍人よりよっぽどリスクを取ってる。白魔の精神なんて聞こえはいいけどね。敵を殺さないってことは、捕虜にするまでは抵抗されるわけ」

 助けようとする相手に殺される可能性。

 ラウーが戦いを挑んでいるのは、そこなのかもしれない。

「返り討ちにされる寸前に仕方なく殺す時のボスは怖いね。一片の容赦もないね。アレは見せしめだもん。残兵が真っ青になって白旗振る慌てっぷりが笑えるくらい」

「……腹立ってきた」

 はぁ? と間抜けな声が降ってきた。

「仮にも婚約者に黙って行くなんて。助手に仕事リストも渡さずに、サクッと行ってくれちゃって。すっかり騙されたじゃん。中佐とか医者とか婚約者とか、どんだけ仮面使い分ける気なのあの男ぉぉぉ」

「それ日本語? もしもしフィアンセちゃーん?」

「一人で仮面かぶってカッコつけてっ。ラウーがその気なら、わたしだってやってやります!」

「あー……なんか壊れてるっぽいけど。あんたってば、ほんっとに身分保証が欲しくて婚約したわけじゃないのねー……」

 ラウーがアダマス帝国空軍中佐の仮面を着けて出陣したのなら、わたしはアダマス帝国空軍中佐の婚約者の仮面を着けて待っててやる。

 信じて、毅然として、顔を上げて。

 心臓からぐずぐずと身体が潰れ崩れていきそうな心配など、押し隠して。

 しゃっきりと背筋を伸ばして胸を張った。

 よし、仮面装着完了!

 ところでなぜ見張られてなければいけないのかと聞いてみた。

「抜け抜けとなにぃ? ネイティヴに人質にされたり、毒まみれで鷲ごと基地に突撃かけてきたりしといて。それにボル・ヤバルの手先がまだ帝国内にいるだろーし。ヤツらの仲間を処罰したボスに報復するなら、フィアンセちゃんをミンチにするのがお手軽じゃない?」

 三分間クッキングみたいに言わないで欲しい。

「そっか、ありがとう。玄関先に立たせとくのも悪いから、中に入って。お湯も使えるし」

「はぁ? モノがないからって油断してない? 夜中にノコノコ上がってバスルーム使ったりしたら、ご主人サマに殺されるってば。完全装填した銃でロシアンルーレットさせられたかないって」

 護衛は屋外にいるべしという血の戒律でもあるらしい。



 安静にしていろと言われても、この世界にはテレビもネットもDVDレンタルもない。

 暇だ。

 ブーブー文句を垂れるアイヤイを説き伏せて、資料館から本をどっさり持ち帰った。微熱に下がった時は翻訳をして文字に埋没することで、心配してしまう時間を極限まで減らした。

 そんな日々が一週間も続くとさすがにキツイ。

 精神的エネルギーは、食事みたいに簡単に補給されてくれない。

 アイヤイが教えてくれる軍の公式発表では、アダマス帝国軍は迅速にボル・ヤバルを制圧したようだった。帝国軍は政権を掌握、ボル・ヤバルを一国からアダマスの一地方として支配下に置いた。

 死傷者もいるようだが、桐花の元へ訃報を届けに来る者はいない。

 外出したい、とアイヤイに申し出た。

「げっ、ヴィルゴットのラボ? やだーどんな毒が充満してるかわかんないのにぃ。他の医者にしてー」

 即座に却下されたけど。

 ラウーは長期不在のあいだの仕事を指示していかなかったから、自分の判断で毒や伝染病関連の翻訳をしていた。その中にヴィルゴットが犬経由で桐花の体内に残していった毒に当てはまるものはなく、完治したのか知りようがない。

 嫌がるアイヤイを拝み倒して基地内にあるヴィルゴットのラボへ案内してもらった。

 迷路のような何重もの柵を通り、瀕死のミミズが悶絶したような下手くそな字で『超危険』『本当に猛毒』『敷地内での死亡について責任は負いかねます』『献体・寄付歓迎』と繰り返し訴えてくる看板群を抜ける。

 海へと落ち込む断崖絶壁の手前にぽつんと建っていたのは、紫水晶で作られた巨大なドームだった。エスキモーが圧雪ブロックで作るかまくら状の構造で、煙突がついている。

 煙突からは赤紫色のいかにも毒々しい煙がもくもくと流れ出していた。風が強いにもかかわらず刺激臭が漂っている。岩山に育つ植物は生育力が強いのが特徴だが、見渡す限り周囲の草木はみな立ち枯れていた。裏手には墓標らしき傾いた十字架が累々と連なっている。

 ドームの地下あたりから、わぉぉぉーん……と物悲しげな犬の遠吠えがフェイドアウトで聞こえた。

 ゾンビと魔女の住処のイヤなところを足して二をかけたような場所だ。

 袖を防毒マスク代わりに口へ押し当てながら、先へ進むか迷う。ここにいるだけで新たな毒に侵されそうな気がしてならない。しかも複数、致死の。

 帰ろっか。ねー。

 アイヤイとアイコンタクトで会話が成立した。

 この合意があと一瞬だけ早ければ、何事もなく魔窟から離脱できたはずだった。

 しかし見てしまった。

 正確に言えば見られてしまった。

 紫水晶の壁に片手を沿わせ、もう片方の手には鳥かごを持ち、とぼとぼとドームの円周を回っている兵士。

 ぐるりとドームの裏側を歩いてきたらしい兵士はたたずむ桐花とアイヤイの姿を発見して、明らかに救いの神に出会った顔をした。

「羅刹のアイヤイさま! スマラグダス中佐の婚約者さまぁぁぁ!」

 面倒ごとに巻き込む気満々なのが、逃がすまいと執念さえ感じる鼻息に表れている。

 身元がバレていては逃げ出すこともできない。なぜ身元が印籠になる時は主張しなければいけなくて、バレたくない時にはバレているのだろうと桐花は密かに嘆いた。



「入口を探していたのですが見当たらず、建物の周囲を回っておりますと、中から動物の・・・・・・動物だと信じたい、動物らしき悲鳴ですとか、イヒヒヒヒヒと狂気の笑いですとか、結核のようなひどい咳が聞こえてきたり、そうこうするうち鳩が死にそうにっ」

 まだ少年の幼さを残した兵士は、ぐずぐずとすすり泣きながら訴えた。手にした鳥かごには灰色の鳩がグッタリと横たわっている。

「へー伝書鳩。ヴィルゴット宛て?」

 鳥かごを覗き込んだアイヤイの指摘で気付いた。鳩の赤い足には小さな筒が付けられ、蝋で封じてある。

「ヤダこれ、ご主人サマのスタンプ!」

 封蝋に目を凝らしていたアイヤイは、叫ぶといきなり少年兵の頭にハイキックをかました。

「アホ! 前線からの通信持ったままウロウロしてたわけ?」

「だ、だって入口が」

 白目になりかけた少年兵がやっとそれだけ言う。

 私刑だけでなく体罰も軍で禁止すべきだと桐花は思った。

「ヴィルゴットー! ボスから緊急通信ー!」

 厚底の黒塗り下駄がガンガンと紫水晶ドームの壁を蹴りつける。しかし反応はない。

「あぁん、もう」

 と朱色の唇を尖らせながらアイヤイが前帯から取り出したのは金属の筒。ジャカジャカと手際良く組み上げるとそれはバズーカ的な形になった。

「えーっとアイヤイさん、それ何かなぁ……」

「徹甲弾ランチャー」

 胸元に手を突っ込んで取り出した砲弾を装填し、ドームに向かってランチャーを担ぐ。

「入口なんか、なけりゃ開ければいいのにね! ハーイ下がってー」

「待って待ってアイヤイさん、汚染される、爆破なんかしたら薬物が漏れ出すからー!」

 チェルノブイリ原発事故が頭をかすめ、桐花は慌ててアイヤイに飛びついた。

「それより中の方が死ぬと思います……」

 少年兵もおずおずとまともな応援をしてくれる。

 桐花にはヴィルゴットを引きずり出す勝算があった。ラウーは言っていた、桐花に傷や後遺症が残れば研究予算を削減すると。

 大きく息を吸い、紫水晶の壁の向こうへと声を張り上げた。

「ヴィルゴットさーん! この少年が献体したいってー!」

 パカッ。

 語尾が終わらぬうちにすぐ脇の水晶ブロックが開き、白い袖がにゅっと出て、少年兵の足をがっきとつかんだ。キャァァァァと恐怖に怯えた悲鳴ごと少年がドーム内へと引きずり込まれると同時に、カコーンとブロックは閉じてしまった。

 さながら人間アリ地獄。

 鳥かごを手放さなかったのは褒めてやりたいが、少年兵に再び会える機会は永遠に訪れないような気もした。

 ごめん。だって壁越しに問診されて、傷も後遺症も残らなさそうだと判断されたら、出てきてもらえないじゃないか。

「……フィアンセちゃん。あんたってば、ボスのフィアンセに向いてる気がしてきた」

 ぽつりとした呟きに、ありがとうと返すべきか迷っていると。

 先刻とは別のブロックが開いて、ペッと少年が排出されてきた。虚ろな瞳で座り込んでいる。空の鳥かごを抱えているから、どうやら任務は果たしたようだ。

「うつされた……きっと結核をうつされた……僕はもうだめです。せめてあなた方は逃げて下さい!」

 アイヤイは素早く風上に逃げて行ったが、桐花は少年兵を助け起こしてやった。

「大丈夫、ヴィルゴットさんの咳はたぶん」

 演技。

 と言いかけたところで、しー、と制止が聞こえた。

 少年兵の背後に猫背の白ローブが現れる。痩せた長い指を血の気の少ない唇の前に立てていた。

 キャァァァァと叫んで少年兵が逃げ去る。こけつまろびつの背中に協力、感謝とかすれ声が囁いたということは、献体同意書のサインは強奪済みらしい。

 結核で思い出した。

 毒と伝染病関連の翻訳の写しを、専門家であるヴィルゴットにあげようと持ってきていた。綴じてずっしりと重い冊子になった皮紙を手渡す。

 はらはらとページを繰ったヴィルゴットが息を呑んだのが聞こえた。

「あの……診察してもらおうと思って来たんだけど、忙しそうだから出直すね。それ、診察料代わりに」

 話の途中で、ヴィルゴットは何かを桐花の眼前に突き出した。例の献体同意書かと思ったが小さな筒だ。鳩の足に付いていた筒。封蝋は破られている。

 軍の通信文。

 いいの? と目で訊くと、薄い薄い水色の瞳は頷いた。

 薄い巻紙を取り出す。見覚えのある几帳面な字がびっしりと連ねてあった。

 ラウーの字。

 ラウーがちゃんと生きてる。

 目頭がじわっと熱くなって、慌てて吹き抜ける風に当てて冷やそうとしたら、刺激臭を含んだ風がしみて余計に涙が出てきた。瞬きで視力を再起動し、巻紙を読む。

 ボル・ヤバルで伝染病が発生し、多数の兵士が罹患している。生物兵器の可能性もある。病名と感染経路の特定のため至急の出動を要請する。

 そして伝染病の症状が細かく説明されていた。桐花は翻訳したばかりの、その症状を呈する伝染病の名前を覚えていた。

 ポリオ。

 脊髄性小児麻痺とも呼ばれるが、小児でなくてもかかる。

「ヴィルゴットさん。わたしも連れてって。家庭用レベルだけど、医学書を持ってる。看病も手伝える」

 だが頭髪のない頭を覆う白フードは横に振られた。

「我が主の婚約者様を戦場へお連れするなど」

「献体同意書を出しなさい。連れてってくれるならサインします」

「仰せのままに」

 にっこりと神父笑顔になって、ヴィルゴットはすでに準備していた献体同意書を差し出してきた。


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