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青い鳥ルーレット  作者: シトラチネ
青い鳥ルーレット
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3. やっぱ、さわんない方向でひとつ

 銀河系に英語圏の惑星が存在するとは知らなかった。

 ざんざんと軽快に波と風を切り、海面を跳んでいくイルカの手綱にしがみついていた手。離したところで、両側から兵士にホールドされているのだから落ちそうにない。

 片手で下を指差して、桐花は兵士の一人に問うてみた。

「Earth?」

 言葉が通じるなら、地獄の門へ放り込まれそうなこの状況もどうにかできるはずだ。言葉わかりますよ、頭おかしくないですよ、と言外の意味を込めて営業スマイルで繰り返してみる。

「Earth?」

「ユピテラーイ……」

 だめだ通じてない! 輪をかけて腫れ物認定した兵士の目を直視できずに、桐花はイルカの背に突っ伏した。

 おかしい。英語の成績は良かったはずなのに。学校名を言えばたいていホホウと感心してもらえるレベルの教育を受けてきたはずなのに。実践ではこんなに役立たずだなんて。

 せめて地球の歩き方でもあれば、英語圏の惑星版の。

「……ん?」

 ヌラッとしたイルカの背から顔を上げる。

 もしかして、あるのではないだろうか。

 振り向いたら、風を受けてバッサバサはためく自分の髪の隙間から、イルカを駆って追ってくる若草青年が見えた。

「Book!」

 What? と答えたのが唇の形でわかった。

「My books! 取って来て、えーと……Fetch!」

 しまった、Fetchは犬に「取って来い」を命令する時の言葉だったような。桐花が気付いて正しい単語を脳内で探し回る間に、若草青年はイルカを方向転換させていた。

「OK、トカ!」

 どうやら了解してくれたらしい、犬扱いにもかかわらず。

 最初のいかだの上に、本が山積みになっていたはず。あの中にせめて和英辞典でもあれば。

 桐花は前を向きなおし、イルカの手綱を握り直す。

 ユピテラーイの処刑は免れるかもしれない。

 生命の危機に光明を見出したところで、また気付く。

 若草青年がなぜ、自分の名前を知っているのか。



 登れ。と顎で示されたはしごは、仰いでもゴールが見えなかった。

 イルカたちと桐花およびごっつい兵士二人は、海に林立する石柱のあいだを山方面に進んでいたが、やがて一本の石柱の前で止まった。表面にはしごが据え付けられている。

 心なしか空が暗い。はしごを見上げるとまぶしいから太陽は出ているはずなのだが、周囲の海面は暗い色をしている。

 ここがユピテラーイの処刑場なのだろうか? このとんでもなく高さのありそうな石柱の上から飛び降りろ、とか? 登るのをゴネてみようかと思った桐花だったが、背後で険しい顔をして挙動を見張っている兵士たちの、時間短縮コレ幸いとばかりに桐花の首をねじ切りかねない上腕二頭筋が太陽よりまぶしすぎた。

 登ろう、時間稼ぎになるかもしれないし。桐花は覚悟を決め、太い蔓を編んだような、野趣溢れるはしごに手をかける。足先で強度を確かめながら、ゆるゆると体を引き上げ始めた。

 ジーンズで良かった。「書店の娘はワンピースでないと駄目なんだ!」と泣く父の、眼鏡とピンクのワンピースの誕生日プレゼントを庭に捨ててやったのは小学生の頃の話だ。

 ジーンズは海水を吸って重いが、それでも助かった。

 しかしついてくる兵士二人はどうなんだろう。すとーんとした衣服の下に、何か身に着けているのだろうか? いない場合、一番下の兵士の視界は。いやそれよりも、またがれてたイルカの背に密着しちゃうモノは。

 イルカが不憫で、桐花は涙をこぼしそうになる。

 本当は周囲を眺めて地形だの逃げ道だの把握しておきたいところだ。が、すでにとんでもない高さを登っているはずで、石柱やはしごをすり抜けていく潮風は強まる一方だ。髪が暴れて視界不良でもある。

 息が切れ、腕がダルくなってくる。太腿の筋肉がフルフルしだす。

 「書店の娘は運動音痴でないと駄目なんだ!」と父は体育5の通知表を見て泣いたが、あいにく生まれ持ったものは変えようがない。人並みの運動神経も体力もあるはずだった。しかしこんな暴力的に長いはしごを登らされる羽目に陥るなど、夢にも思わなかった。

 桐花は内心愚痴ってからふと、夢、と呟く。

 これは夢なのか現実なのか。

 夢にしては鮮やかすぎる。感覚も、感情も。現実にしては鮮やかすぎる。感覚も、感情も。

 痛みに似た寒さが思索を中断させる。海水に触れ、海風になぶられた手足の指先から、熱の脱走が止まらない。はしごの蔓を捉えようと握り、踏ん張る強さも曖昧になってきた。

 ズルリ、とついに滑らせた足裏。体重を乗せて空を掻いた足は直後に何かを蹴りつけ、反動で安定を取り戻す。

 見下ろすと桐花の足元から、顔を押さえた兵士がひとり、アアアアアーと叫びながら落下していった。すとーんとした衣服の赤がみるみる点になる。アアアアーという悲鳴は息継ぎをして、もう一度アアアアーと繰り返され、その後にようやくボチャンと遠い水音がした。

 広がる静寂。

 残った兵士が驚愕から激烈な怒りへと視線を沸騰させたのが、桐花の視界に捕捉されていた。焦点を合わせたらいけない、身がすくんで恐らく自分も超高飛び込みをしちゃうのは分かりきっている。

「わぁあぁぁぁー!」

 桐花は迫り来る怒気の塊を振り切ろうと、はしごを駆け登った。屋根が見える。半透明の屋根。はしごはその縁で完結している。つるりと冷たい感触の屋根に、桐花は手をかけた。

 石柱を切りそろえ、巨大な水晶の板を敷き詰めたその上には、街があった。



 追いついた兵士にガッチリと後ろ手を拘束されたが、桐花はそうされずとも動けずにいた。

 石柱の上の、空中都市。

 地面が水晶でなければ、まるで数百年昔のヨーロッパの、城塞都市のようだった。敷き詰められた水晶の地面は緩やかな勾配をつけて、屹立する岩山へと連なっている。岩山と木星を背負うように石造りの無骨な城がそびえ立つ。その裾野に広がる無数の屋敷や家々を睥睨し、天に最も近い存在であると高らかに宣言していた。

「ユピテラーイ」

 もはや馴染みの出てきた単語に振り向く。すとーんとした赤い衣服の兵士の隣に、もう一人の兵士が湧いていた。一見、日本の鎧かと思わせたそれは、よく見れば薄い石板を革で繋いで編み上げてある。金属が使われていない。生成り色の長袖長ズボンに革手袋・革ブーツで、鎧としてはかなり軽装に感じられた。

「ユピテラーイ?」

 鎧兵士の怪訝そうに呟いた馴染みの単語は、初めて疑問符を伴っていた。おっ、と新鮮さと期待に顔を上げた桐花は、白人の青い瞳に眺め回されている。

 改めて城塞都市を観察すると、白人だらけだった。いやアラブ系もいる、アジア系もいる、インド系ぽいのも黒人までもいる、だが半分は白人だ。まるでニューヨークだ。

「OK、カモン」

 小学生でも分かる英語で手招きされて、つい石鎧白人兵士の方へと踏み出した。すとーんとした赤い衣服のアジア系兵士は、水晶の床の縁からはしごへ戻っていく。その肩越しには遥か眼下に広がる紺碧の海、剣山のような石柱、その間にたゆたういかだと原色のゲル。全てを抱きつくし、宇宙へと突き抜けそうな青空。

 やっぱり夢だ、と桐花は思った。

 こんなキレイすぎる惑星が、存在するわけがない。



「No! No! It's a dream, but 絶対No!!」

 人間、気迫で訴えればジェスチャーで何とかなる。と思いたい。そっくりなだけで実は地球人じゃないのかもしれないけど、

「嫌がってることくらい分かるだろ変態!」

 桐花はやけくそそのもの、日本語でもって叫んだ。こんなことならノコノコとついて来ないで脱走するんだった、と自分を呪う。空中の城塞都市を、半ば観光気分でここまで来てしまったのだ。

 すとーんと赤い衣服の兵士から、石鎧兵士に引き渡されて、桐花は都市の中央部へと連れられて来た。

 石なのか半貴石なのか。土なのか煉瓦なのか。欧州風なのか中東風なのか。建物全ては様々な素材や文化があまりに雑居し、それでいて一定の芸術的秩序に達しているという混沌。

 すれ違う男の半分は先導する石鎧兵士と同じ兵装で、ここが現実に機能する城塞都市であることを窺わせた。

 だが、兵士以外の服装はあまりに自由だ。人種も、肌の色も、衣服もバラエティ豊かだ。そのせいか、はしごの下にあった水上ゲルの街にいた時よりも、桐花は自分を異質と感じなかった。兵士が捕捉でなく先導という緩やかな連行方法を取っていることもあり、通行人も桐花に特別な目を向けない。

 ユピテラーイと呟きながら取り囲まれた、処刑前のような戦慄の気配は霧散していた。

 そうして案内された建物はまた変わっていた。石造りなのだがドア、窓、床が半透明の水晶で出来ている。海辺の明るい陽光を通し、室内はさんさんと明るい。

 がらんとした天井の高い広間には石のベンチが置かれ、石鎧兵士が数人、何かを待つ風情で座っている。それを横目に奥へと進み、水晶のドアを通って小部屋に通されたところで、石鎧兵士はくるりとキレよく向き直ってきた。

 何か言われたが桐花には理解できない。

 部屋には冷たくて硬そうな石の長椅子があるのみ。転々とどす黒いまだら模様がついている。

 ものすごく血に見える。

 疑惑のまだらを凝視している桐花に、石鎧兵士は同じ言葉を繰り返した。はっきりと命令口調。

 どうやら、コーヒーがいいか紅茶がいいか? 砂糖はノンカロリーでいいかな、なんて悠長な文言が言い渡されているのではなさそうだった。

 苛立った様子の兵士が両手を伸ばしてきた。正面から両手首をつかまれ、床と水平な位置までグイと持ち上げられる。

 はりつけの体勢じゃないかコレ! ユピテラーイの処刑は勘違いじゃなかったのか!

 瞬時に凍りついた桐花の胸を、兵士の手のひらが両脇からつかんだ。

「ギャー、どこさわってんの!」

 逃走から格闘モードになだれ込む。そして、

「No! No! It's a dream, but 絶対No!! 嫌がってることくらい分かるだろ変態!」

 と叫ぶ事態に陥ったのである。

 乙女の危機は、乙女をかなぐり捨てて闘わねばならない。

 だが相手は兵士である。

 桐花はすぐにうつ伏せに組み伏せられ、両腕を縛り上げられた。兵士はジタジタする桐花の体に、念入りに手を滑らせ始めた。

「やだー! このレイプ魔! イルカに食われて死ねバカッ」

 ありとあらゆる口汚い単語を総動員で罵ってやった。

 桐花が二重の意味で乙女を捨てようかという時。床に押し付けられた桐花の目の前で、水晶のドアが開いた。

 あまりに迷いなく開いて、硬質のドアは桐花のこめかみにヒットした。

 星が散る。頭蓋骨内を振動が反響する。意識が浮遊する。

「武器を持っていたのか?」

 綿を耳に詰められたみたいだ、と桐花はぼんやり思う。声が遠い。

「いいえ、ルテナンカーネル」

「抵抗していたようだが」

「言葉を理解していなかったので。ボディチェックを誤解した恐れはあります」

 遠く、ゆっくりと、こだまして聞こえるせいで、英語がすんなりと頭に入ってきた。

 ああそうか、ボディチェックだったのか。落ち着いて聞けばいいんだ。何も無体でわいせつなことをされるわけじゃないんだ。きっと彼らだって慈悲の心は持っている。あいだみつをも言っている、人間だもの。友好的に分かり合える。

 安心してひとつ、息をつく。

 次の言葉は桐花の期待通り、クリアに理解できた。

「裸にしろ」


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