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青い鳥ルーレット  作者: シトラチネ
青い鳥ルーレット
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27. 守りたいモノ

 渡る雁のように鉤型の編隊をなす軍鷲の先頭をスマラグダス中佐が率いている。

 一握りの人間しか知らないことだが、と前置きしてから中佐は話しだした。

「アイヤイは武器商人の奴隷だった。幼少の頃に主によって去勢されている」

 通常、人間に対して使われない単語に桐花は耳を疑った。

「おまえの世界に奴隷を去勢する文化はないのか? 創造主のビリヤード以前の歴史がこの世界と同一ならば、あったはずだ。去勢した性器を保管、隠匿する主もいる。それと別々に葬られると地獄に落ちるという恐怖を植えつけ精神的に束縛し、奴隷の逃亡を阻止するのが目的だ」

『でね、その時に一緒に焼いて欲しいモノをご主人サマに預けてあんの。ソレと一緒じゃなきゃ焼かれる意味ないから』

 アイヤイがラウーに、ラウー死亡時には桐花に託した遺言の真相を理解する。

「文化の善し悪しは論ずるべきではない。だが去勢手術が本人の意思と無関係であること、劣悪な衛生下での死亡率の高さから、回避すべき事態と私は考える。迷信による精神的束縛もだ」

 頷く。そして思う。この立派な精神はなぜ、桐花を籠に幽閉し鷲の中へ放り込む時には発揮されなかったのかと。

「帝国軍は武器商人を急襲したが確保に失敗して撤退した。私は弾薬庫が爆発しても逃げようとしない奴隷たちを見て初めて、その悪しき因習が行われていたことを悟った。奴隷たちに解散を命じたが、アイヤイだけはそれを私に差し出してきた」

 生きる術が射撃以外に思い当たらず、弾薬を提供できるアダマス帝国軍に身を委ねることにしたのだろうとラウーは言った。

「ラセツという日本語は、仏教の守護神である羅刹の他にもう一つ意味を持っているそうだ。羅切。魔『羅』を『切』る、すなわち去勢だ。あの男は自虐的にみずからそう名乗るほど、恨みを忘れていない」

 不意に、岩山の迂回路を目指していた鷲をホバリングさせ、ラウーは桐花の長い髪の一房をつまみ上げた。

「あ、縛ってなくてごめんなさい。背後にいると邪魔だよね。帰りは何かで縛るから、海草とかー!」

 初めて鷲に乗せられたとき、髪を結ばないなら鯨解体用ナタで首ごと剃れと言い渡されたのを思い出し慌てる。こういう条件反射が刷り込まれることもある意味、精神的束縛ではないだろうか。

 が、ラウーの指先はポイと髪を放すと手綱を握り直し、鷲を方向転換させた。

「風向きが戻った。城側から氷穴へ突入する」

 仮にも婚約者の髪を風向計に使うなっ。

 風向きが戻ったということは、迂回した先の氷穴の入口は落石の危険性が高くなったということだ。

 と考えて桐花はふと気付く。

 城側にも入口があるなら、風向きが城から山へ吹く通常時はそこから入れるはずだ。だがアイヤイは、迂回した先の入口から風向きが逆の時しか入れないと言っていた気がする。

 桐花の疑問に答えるように、背後に続く兵士たちが騒ぎ出した。

「城側から? 無茶です、中佐!」

「こっち側から入ったが最後、戻ってきた話は聞いたことがありません!」

 ものすごく不穏な警告が発せられている。

「どうか風が変わるまでお待ちを!」

「ユピテライズした大蛇の群れに食われて全滅します!」

「桐花、手の痺れ具合はどうだ」

 ユピテライズした、なに? と確かめたい桐花だったが、ラウーは背後の警告など無視して涼しい素振りで聞いてきた。

「痺れるっていうより、かゆいって感覚になってきたような……えっ、ユピテライズした、なに?」

「薬効が切れ始めているな。アイヤイの麻酔はじきに切れる、急ぐ必要がある」

 中佐ぁぁぁぁ! と背後で絶叫する兵士たちに照明弾を用意しろと命じている。自分に、降りて安静にして待ってろと改めて命じてくれないかなぁと桐花は思った。

「当機の突入直前に、全ての照明弾を氷穴へ撃ち込め。風向きが変わったら迂回して追いつけ」

 無情にも桐花の望む命令は下される気配がない。

「桐花。氷穴はほぼ直線で、鷲がすり抜けられる隙間はある。上体を伏せて、救急箱と手綱を固定しておけ。鷲は夜目がきくから任せればいい」

 むしろ手綱係を命じられた。その間にも岩山に開いた疑惑の城側入口らしき巨大な穴が接近しつつあった。

「えっ? 直線って、なんで知って……」

 入って戻ってきた人がいない入口なのに?

 上体を伏せ気味にしたまま振り返る。背後の兵士たちは覚悟を決めたのか、おびただしい数の照明弾を構えて追尾してきていた。その燃え盛る火の玉を引き連れるラウーは、火の鳥カルラを従えた不動明王に見える。

 だが弓と矢を手にした不動明王は瞳に澄み切った湖面のような静けさをたたえている。

 命を預けてもいいと信じられる目。

「前を向け。確かに、こちら側から進入して戻ってきた記録はない」

 岩山の洞穴が迫る。背後で一斉に弓の照準を定める、緊迫した気配がした。

「だが、こちら側から進入して向こう側へ通過した経験ならある。ビスコアとの度胸試しだ。私が勝った。ビスコアは悔し紛れに試合の存在を伏せたから、記録は残っていないが」

 軍の参謀のくせして、ただの度胸試しでアダマス帝国最高指導者の一人息子と巨大蛇の巣に飛び込むアホだったのかこの人はー!

「撃て!」

 ラウーと桐花の鷲が洞穴へ飛び込む瞬間、流星群のような大量の火矢が脇をすり抜け、内部を明るく照らした。



 桐花は断言できた。

 世界中のどんな恐怖の絶叫アトラクションも、もう恐れるに値しないと。

 大量の照明弾は洞穴へ吸い込まれながら、入口から奥深くまでを光の輪が通るように高速で照らし出した。

 その走馬灯のような一瞬で、桐花は無数にうごめく大蛇のとぐろだの、鎌サイズの牙だの、鮫と同類のどこか無機質な目だの、底抜けの胃袋に手招きしてるみたいなピロピロ波打つ舌だのを大量に目撃してしまった。

 照明弾は壁や蛇に当たって光量を削られていき、すぐに暗闇に囚われる。だがそこは超人的記憶力の持ち主ラウー・スマラグダス、わずかな一瞬で蛇の配置を把握しきったらしい。

 桐花の背後でバスバスと弓の連射音がするたびに、鷲の進路からベシーンドシーンと巨大な何かが苦しみもがき道を空ける気配が響いた。震動で洞穴の天井から落ちる小石が頭や肩へ降り注ぐ。

 鷲は夜目がきくとラウーは言った。だから桐花が必死に手綱を握る必要はないはずだった。それでも握り続けたのは、ラウーの言葉を思い返していたから。

『全ての戦闘本能を持つ生物は、恐怖をよく嗅ぎ分ける』

 自分の恐怖を鷲に伝染させてはいけない。鷲の挙動が乱れたらラウーの射撃も乱れる。射手であるラウーに命を預けているけど、ラウーもまた、手綱という命綱を自分に預けている。

 誇らしかった。

 どうしてわたしはこんなにも、ラウーの期待に応えたいと願うんだろう。尊敬してる、信用されてる、それだけでは片付けたくない。

「氷洞部だ」

 背後からの指摘で、気温が急激に下がったのに気付いた。

「洞穴の中央部だ。楽にしろ、低温は蛇の生息に適さない」

 最後の威嚇射撃のような一矢を放って、蛇の追撃を振り払ったようだった。

 洞穴内部が狭くなっているのか風が強い。楽にしろと言われても寒い。

「ここは冷える」

 冷たい風を避けるように伏せ続けていた上体を、背後からの手にべりっとはがされた。

 仮にも婚約者を風よけにするなー!

 と抗議する寸前で抱きしめられた。

「麻酔を打てと、おまえが主張したな。ヴィルゴットは優秀だ。許容量を超える薬を民間人に安易に投与したりはしない」

 五万ポンドの一言で即決でしたが。それに民間人じゃなかったら安易に投与しちゃうの? 敵兵を拷問するときとか……?

 そっか、これは抱きしめられてるんじゃなくて、しめ上げて尋問されてるんだ。だって金属鎧は硬くて冷たいし、持ったままの弓がゴツゴツするし、私が温めましょう可愛いフィアンセ的な甘さはみじんもない。

 そもそもフィアンセと言ってもラウーにとっては保護の延長だし、と桐花がふっつり口をつぐんだのを黙秘と捉えられたらしい。背後から零下なオーラが漂ってきた。

「鮫の海での辞書。人質時の刺繍。自重しろ、自分の危機に悠長に私を思い出すな」

「すみません、忙しいのにいつも呼び立てる羽目になって!」

「呼べ!」

 わかんない! 何かといえば呼び出されるのを怒ってるんじゃないのー?

「私を呼ばずに死んだら、冥界から連れ戻して腹を切らせるぞ」

 耳元で密やかに脅さないで欲しい。暗闇で背後からの低い囁きというだけで恐ろしさ満点なのに。

 冷たい風に切られるようだった頬に、不意に温かな柔らかさが触れた。

「熱が高くなった」

 唇で検温ですか、弓で手がふさがってるからって。ラウーの記憶力は体温まで測れるらしい。

「非常時とはいえ浅慮は罪だ。ヴィルゴットの研究費を削減する」

 っくしょーい! ゴホ、ガハァッと血を吐いていそうなくしゃみが遠い先から響いてきた。浪費を咎めた財務官を私刑にした守銭奴に最も効果的と思われる懲罰を察知したのだろうか。

 救うべき人が三人に増えた気がする。


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