20. それぞれの軍人魂
「諦めなよーっていうか面倒、うあぁーふ」
「ここじゃないならどこでも……待ってやっぱり7番がいい、早くして!」
紡ぐ家のトカ。並行世界の自分自身。
実の妹にさえ区別がつかないほど似た顔、似た声、似た体型、まさに一卵性双生児。
そのトカに一大事があるというなら、それこそ双生児の片割れ以上に他人事ではない。出来れば手助けしてやりたい。生贄寸前だったと知ったときには同情もした。
だけどもう少しこう、自助努力ってものをしようよ。
蓑虫のように縛り上げられながら、桐花はつらつらと恨み言を送信していた。
薄暗くても小さなゲルにいるのは、頬の押し付けられたフェルトの感覚、その下でちゃぱちゃぱと音を立てる小波、壁の格子状の骨組、刺繍の施された壁掛けから判断できた。
せっせと人間大の蓑虫を造形しているのは目出し帽のような覆面をかぶり、ぶかぶかとサイズの合わないツナギを着た大柄な男のようだった。ごつごつとした手には殴りダコらしき硬質な隆起が見える。真相を拳で語られちゃうのはイヤなので大人しく美術素材にされておく。
せっせと縄を巻く太い腕の向こうのねじれた毛布や倒れた壷が突然の、見知らぬ乱入を物語っている。
これはどう考えたって不審者に誘拐されようとしている場面ではないか。
ピンチを丸投げするのはやめて欲しい、と猿ぐつわ越しにため息をついた。
やがてギツギツと厳重に結び目を締めて、作品・人間蓑虫は完成したようだ。蓑部分をつかまれズルズルと外へ引きずり出される。
海面を漂う朝もやに、林立する石柱がぼんやり透けている。遠くに櫛歯のような岩山、その背後にメノウ模様の巨大な木星が浮かんでいる。男は蓑虫桐花を肩に担ぎ上げ、いかだ際から二頭立てのイルカに乗り込んだ。
まさに拉致の瞬間だというのに、桐花はこみ上げる嬉しさに胸を熱くしていた。
帰ってきた。戻ってこれた。
一時停止していた約束を再生できる、その場所に。
さすが偉い人と書いて偉人、世のことわりを的確に、簡潔に、かつ美しく凝縮する言葉の芸術家だ。
『運命とは、最もふさわしい場所へと貴方の魂を運ぶのだ』
ここが運命とやらのふさわしい最終地点なのだろうか。
風がゴウと唸りを上げて吹きすさぶ岬の突端に転がされながら、桐花は思った。縄越しにも岩が痛い。
岬と言っても屹立する岩山が海との境界線を主張しているような断崖。内角の小さな二等辺三角形の岩場は天然のジャンプ台だ。
ネイティヴ居住地の石柱の高さから推測すると満潮ではないようだが、海面は近い。時折大きな波が砕けると水しぶきが岩場へ上がって来て、岩山の領地を侵略しようとする歩兵の足跡のようだった。
覆面男は自分の腰と桐花の腰を縄で結んだ。ポケットから何か乾燥したものを取り出し、焚き始める。煙が安定して上がるようになるとさらに何かを加える。煙の色が不吉な赤みを帯びた。
どうやらのろしを上げているらしい。
命を奪うのが目的なら、蓑虫にするまでもなくデカい帯刀でやれたはずだ。腰同士を結んだときは心中かと疑ったが、覆面男は煙の流れる先を仰いで何かを待つ風情を見せている。
やがて二羽の巨大な鳥が飛来し、煙を避けながら上空で旋回を始めた。茶色い鷲の背にまたがり石鎧を纏った兵士は高らかに、アダマス帝国軍の警備隊だと名乗った。
それを待ち構えていたらしく、覆面男は桐花の肩を太い腕で抱き込んで怒鳴った。
「アダマス帝国軍よ。自分は昨日、ネイティヴより不当に奪われた生産技術情報の全ての返還を要求するものである。直ちに要求に応じない場合」
シャリーン! と抜刀されたデカい石の刃を喉元に突きつけられ、桐花はのけぞった。
「ラウー・スマラグダス中佐の婚約者である紡ぐ家のトカを殺害する!」
警備兵が息を呑み蒼白になるのが見えた。
「わ……悪いことは言わない、やめておけ!」
「今なら見逃してやる!」
人質事件はまず説得から。アダマス帝国軍の教育は末端の警備兵にまで行き届いているらしかった。
「狂人を羨むほどに精神を切り刻まれるぞ! 痛覚しか残らない生ける屍にされるぞ!」
「あの方は処罰するために瀕死の重傷者だって生き返らせるんだ。ゾンビを作れるんだ。ドクターなのは命を救うためじゃない、生きたまま殺すためなんだ!」
少々の脅しを取り入れるのも効果的かもしれない。
「人質ならせめてダルジ大佐の愛人にしておけ! たくさんいるから一人くらい大丈夫だ!」
「そうだ、それならせいぜい公開死刑で許してもらえるぞ!」
代替案が間違ってやしないか!
真実を訴える心のこもった説得に、覆面男は口ごもってしばらく躊躇した。それを警備兵は見逃さない。
「世界のどこに逃亡しようと、スマラグダス八鬼神に捕まるぞ。あいつら全員ユピテライズに間違いない、おかしい、おかしいよ」
「しっ! 八鬼神の一人が戻ってるらしいぞ。き、聞かれたら食われる」
「そ、そうだな。だからつまりソレを解放してこちらに渡せ」
「そうだそうだ。覆面よ、居住地の母さんもきっと心配して泣いているぞ」
やっと普通の説得になった。桐花も解放の期待を込めて覆面男を見上げる。
が、目出し穴の奥の黒い瞳は怒りに燃えていた。
「マザーだと? マザーは翻意してしまわれた……気高い国粋保存主義を捨ててしまわれた……ネイティヴの守り続けてきた力を、アダマス帝国は破壊と殺戮に利用する気だ! 断じて許されない!」
喉に貼りつく石の刃に再び力と殺意がこもり、桐花は苦しい猿ぐつわの隙間から荒い息を繰り返す。
ツナギなど着てごまかしているが、この覆面男はネイティヴの、マザー・ガウフの側近に違いなかった。マザーが帝国軍に情報提供したことに怒り、取り戻そうと単身、強硬手段に出たのだろう。
筋肉質な体格や人間蓑虫を担いで岬まで登った体力からして、かつて桐花を海に流し殺そうとした兵士かもしれない。未遂に終わったが、もう一度殺すことに抵抗はないように思えた。
警備兵の鷲が一羽、岬の上空を離れて城塞都市へと急行していった。残った警備兵の顔から沈鬱さが消えている。覆面男を誘拐脅迫犯として監視する兵士の眼になった。
説得は失敗したのだ。
朝陽がしっかりと昇った。だが涼やかな陽光に反して、岬の岩場は緊迫感に包まれている。
覆面男は桐花の全身を盾にして、山側に陣取ったアダマス帝国軍と対峙した。海側の背後に軍鷲を飛ばせないよう要求し、巨大な焚き火を起こすよう指示する間も桐花の喉を脅かし続けた。
のけぞっていないと刃が食い込んできそうで、桐花には帝国軍の姿がよく見えない。それでも磨かれた銅色の肌をしたマッチョと、朝陽に燦然と輝く金属鎧は確認できた。
桐花は目を閉じて深呼吸する。
スマラグダス中佐とダルジ大佐。あの二人が揃った姿があるだけで、どんな最悪な状況にも光明が見えた。垂れ込める暗雲を冷たい光の剣で切り裂き、温かな烈風で吹き飛ばしてくれる、その信頼を裏切らない。
彼らがあの若さで中佐であり大佐である理由、慕う兵士の気持ちを桐花は震えそうな全身全霊で納得しようとしていた。
交渉相手の登場を察して、覆面男が叫びだす。
「繰り返す! 昨日、アダマス帝国軍がネイティヴから奪った生産技術情報の焼却を」
「断る」
靴下に穴開いちゃった。捨てちゃえー。
そんなサラリ具合の即答が岬を静寂に包んだ。
「ソレはすでに私の助手でもなければ婚約者でもない。人質に値しないモノが対価の取引など鷲の餌にもならない。これ以上私の時間を浪費させるつもりなら人質ごとおまえの首を掻き切らせるぞ」
「はあ? 待てラウー!」
猿ぐつわに封じられてしまう桐花の叫びをダルジ大佐が代弁してくれた。
「あれほどこれ見よがしにイチャイチャしといて何だ! 嫁候補を見捨てる気か!」
「昨晩、助手の約束も婚約も破棄しました。私の家からも退去し、ネイティヴ居住地に帰らせました。今後、私とは一切の無関係を保ち、紡ぐ家のトカとして業務に励むことで一致しています」
氷の大地のように冷たく平坦な言葉に、桐花の頭から血の気が引いていく。
これはトレードなのだ。
自分が元の世界に戻った瞬間、並行世界の自分もその世界へ戻る。並行世界の自分がいない場合は一方通行になるのだろう。ジョージ・タイラー妖木老兵がその例だ。ただ消えてしまった。
だが桐花にはトカがいる。
桐花と入れ替わりにこの世界に戻ったトカは日本語を知らない。桐花が持ち込んだ本を翻訳できない。そうなれば助手としての約束、ダルジ大佐の嫁候補攻撃に対抗するための婚約者としての約束は無意味になる。
おまえの体は壊れても痛手ではない。だが中身に用がある、と言われた。
だからこそ助けてもらえた。
トカでなく桐花だ、またトレードしたと理解してもらえていない現在、スマラグダス中佐にとって桐花は翻訳機能という中身のない人間蓑虫にすぎないのだ。
「あなたの花嫁候補ならご自由にどうぞ。ただし、生産技術情報の焼却は断固拒否します」
「えー。なんかそう言われると俺もやる気が出ないっつーか」
薄情者ー! 二人とも薄情者ー!
人間としての良心を一顧だにせず、軍の不利益にしかならない取引に難色を示す彼らがあの若さで中佐と大佐である理由を、桐花は嘆き震えながら納得しようとしていた。
「あーでもレンカちゃんって嫁候補の妹だろ? 助けないと嫌われちゃうなあ」
なんて消極的な救助理由なんだろうか。
「スタイルいいんだよなーあの子。自覚ないのがまたいいんだよ。まーネイティヴは貧乳寸胴が美の基準らしいからなー宝の持ち腐れってヤツだな」
桐花はネイティヴ的にはスタイルがいいらしい。だが豊満さを女性らしさとする西洋的な文化で育ってきた桐花としては素直に喜べない。貧乳寸胴と褒められても無い胸が痛むだけだ。
「声かけたら『組む家として半人前の間は、提督に求婚されようとお断りなの。あたしは男以上に働くつもりだから、嫁にしたいって言うなら男を極めてから出直して!』なんてタンカきられて惚れた、いやあ惚れたね!」
姉から妹に乗り換えたのか、薄情を極めたのか!
「嫁候補姉妹は俺が助けないとな! おいラウー、おまえがまきあげた刺繍よこせ。もう見たんだろ?」
もう見たか。
その質問が『もう覚えたか』を意味していると桐花にはわかった。幽霊船の搭載物を全て飲み込んだ中佐の記憶力ならば、生産技術情報の縫い取られた刺繍を見ただけで丸ごと記憶してしまっただろう。
のけぞった状態から慎重に顎を引いて、桐花は帝国軍をきちんと見ることができた。
巨大な焚き火に刺繍をかざす大佐を、中佐が氷の視線で刺殺しようとしている。炎の赤い舌が刺繍の縁を舐め、味を気に入ったように包み始めた。
「あえ! おやひははあえー!」
ダメ、燃やしたらダメー! という叫びは猿ぐつわに阻まれる。喉を動かしたせいで、刃の当たっている部分にチリリとした痛みが走った。
たとえ情報を記憶で保存したとしても、燃やしてはいけない。刺繍はネイティヴの紡ぐ家が作り上げた美術品でもある。情報記録装置というだけではない文化財だ。
なのに、と桐花が肩を落とした瞬間。
茶と翡翠の瞳から、陽光さえ凍らせそうな冷気が溢れ出した。