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青い鳥ルーレット  作者: シトラチネ
青い鳥ルーレット
14/68

14. 鞭と鞭と飴

 急げ、マザー・ガウフが動揺しているところを叩く。

 強大なアダマス帝国軍の空軍中佐であり、参謀でもあるラウー・スマラグダス中佐。殺人未遂事件の被害者である桐花を連れ、マザー・ガウフの水上いかだゲルへと、生ける駆逐艦シャチを飛ばして乗りつけた。

 だがマザー・ガウフは動揺していなかった。

 寝ていた。

「うん、ご老体だからね……」

 桐花は武士の情けで振り向かないでおいた。海の王者であるシャチが、彼を砕氷船に変えるべく背中から降り注ぐ冷気にふるふると怯えている。

 ゲルの外まで盛大なイビキが漏れていた。時折フゴッと止まる呼吸に、桐花は家庭用医学辞典で無呼吸症候群を調べてやらねばと思う。

 マザー・ガウフに悪感情がないわけではない。出来れば会いたくはない。

 だがマザー・ガウフが桐花という人格を殺そうとしたのではない、と桐花はわかってしまっていた。鯨という友人たちを慰めるための民族代表。幽霊船という禁忌に触れた娘。その中身が桐花だっただけ。

 風習だからと全てが許されるわけではない。でも、許す許さないって誰が、どういう基準で? 明確に答えられない桐花には、マザー・ガウフを責めきれない。

 周囲にネイティヴの兵士はなく、こちらには軍人である中佐がいる。翻訳が終わるまでの期間限定、脳みそ周辺の部位限定にしろ身の安全は保証されている。

 そうやって頭で納得する以上に、緊張感も恐怖心も薄かった。



 結局シャチでいかだに体当たりをかまし、中佐にしては穏便にマザー・ガウフを叩き起こした。世話係だと名乗った中年の同居女性がアタフタと来客の準備を整える。

「沖合二海里付近でトカが生き流されていた死出の船を回収した」

 桐花でなくトカ。混乱を避けるためと推測できても、桐花のこめかみはすうっと冷える。

 誰も桐花の言葉に耳を貸さず、桐花に何者かと訊ねず、全てが自分を置き去りにして進んでいく時に感じた、押し潰されそうな黒い孤独が胸に蘇った。

 桐花。

 そうして正しい名前を読んでくれる者が一人でもいるだけで、桐花は存在を許されている。

 だけど、と桐花はゲルの片隅で嘆く。

 その一人というのがよりにもよって、自分を人とも思わぬ暴君上司とは! こんな皮肉があるかー!

「アダマス帝国とネイティヴとの協定で、祭事において生者を供物とするのを禁じ、違反者は極刑に処すとした」

 後頭部の総白髪と同じく、マザー・ガウフの表情は引き結ばれている。大地の色を移した衣服に包まれた体は小さく曲がっているが、それでも茶色の目には威圧感をたたえていた。

 抜けた歯の目立つ口がワナワナと開く。

「鯨を、殺しておきながら」

「それは協定にない事項だ。引き合いに出される筋合いはない。免罪の天秤に載せる材料にならないとわかっているからこそ、側近だけでトカを始末したのは明白だ」

 始末済みたいに言うな! と桐花はあぐらを組む金属鎧の背を睨みつけた。

「ネイティヴの青年層には帝国軍との共存共栄を望む思想が広がっている。今回の件でマザーが厳罰に処せられればネイティヴの内部分裂もありうる」

 図星だったらしく、マザー・ガウフのしわに埋もれた瞳が苦みばしった。

「それは互いの利にならない。ダルジ大佐の花嫁候補と、ネイティヴの保管する生産に関する情報全てを提供すれば処罰を回避する」

 眠い、と桐花はあくびを噛み殺す。

 傘状の天窓から垣間見える夜空は月でない光に白んできていた。

 いけない、ここで丸まって寝たりしたら、直腸検査ドウゾな体勢になってしまう。しかしこのゆったりした浮遊感と柔らかいフェルトの床がなんとも魅惑的な就寝材料だ……。

 バキャン! と鋭くも乱暴な音がして、桐花は正座のまま床から飛び上がった。

 見れば、中佐の握る短刀の柄が床に叩きつけられ、紫水晶の鋭利な欠片が四方に飛散している。

「技と知恵を秘匿し、死蔵し、文明の発展を鈍化させるとはこういうことだ。大地が育み、磨き上げた宝玉を握り潰すと同じだ。民族に愚直に固執し滅びるか、帝国軍に情報を提供するか」

 出たー文明保護の狂信者ー!

 思想は立派だけど実現手段がエゲツないなー、と桐花は呆れる。

 お世話係の中年女性が震えながら骨組みにしがみつくせいで、ゲル全体がブルブル揺れていた。外でシャチが動揺しているのか、いかだごとグラングランしている。

 桐花は津波さえ発生させかねない震源地から出来る限り顔を背けていた。

「処分を出すまで三日与える。こうしてネイティヴを砕き散らかされる前に執務室へ来られよ。私と違って温厚でない、辛抱強くない軍人はたくさんいる」

「いるわけないじゃん」

 思わず日本語で呟いた。



 空に広がる雲は薄くなり、朝陽を浴びて桃色に染まっていた。その下を白い海鳥が滑るように横切っていく。

「外交官を置いたらどうかな。穏健で紳士な」

 桐花はシャチに乗り込みつつ提案してみる。瞬時に、水晶も自爆しそうな殺人光線を浴びた。

「私の仮にも婚約者を拉致誘拐、殺害を企てた者に外交官も一片の容赦も不要だ」

 拉致られ当時は助手だったと思うんだけど。

 などと訂正できる雰囲気ではない。海鳥がもがきながら海面へ落ちていった。

「お、お待ちください、軍人さま」

 石柱林を抜けるまで鈍行していると、背後からイルカが追いかけてきた。乗っているのはマザー・ガウフの世話係と名乗った中年女性だ。

 やせぎすで、後頭部で結わえた髪は白いものが混じり艶もない。長いこと化粧を忘れ、伏せることに慣れたような小さな目は心労を重ねてきたように思えた。

「どうかお慈悲を。マザー・ガウフには帝国軍を信用できない事情がおありなのです」

 わたくしの母から聞いた話なのですが、と世話係は語りだした。

 七十年ほども前、マザーがまだうら若き少女でいらした頃。帝国軍と協定を結び、まだ日も浅い頃。マザーは岬の先で、火傷を負いうずくまる一人の少年兵士に出会ったのでございます。

 名を尋ねると、ヘ・ワキガと答えたそうでございます。

「ごふっ」

 臭いもの二重奏な名前に吹き出しかけたのをどうにか口内におさめ、桐花は先をどうぞと促した。

 それ以上は顔の火傷のために話すこともかなわず泣く少年を、マザーは看護なさいました。帝国軍に問い合わせましたがワキガという兵士はおらず、引き取ってもらえなかったのです。

 ひと月ほどが経ち少年が回復する頃には、マザーは傍目にもわかるほど彼に夢中になっておいででした。

 が、ある日のことです。少年は忽然と姿を消しました。そのうえ、ゲルにあった刺繍の壁掛けまで持ち去られていたのです。そこには集う家の知恵である、鷲の調教法が縫い取られておりました。

 その後しばらくして帝国軍は、カラスに代わり鷲を軍機として使用し始めたのです。

 マザーは少年の裏切りにひどく傷つきました。

「ゆえに帝国軍を信用できないと?」

 あの大ババ様にそんなウブい乙女時代が! むしろそんなウブい乙女があの大ババ様に! と時間の残酷さを嘆く桐花の背後で、冷血人間は興味がなさそうだった。

「そのようなスパイ活動は記録にない。逆恨みで民族を危機に陥れるのなら、マザーなど降りろと伝えるがいい」



 とってもイヤな予感がする。

 マザー・ガウフの世話係との話を切り上げた後、満潮が訪れていた。遮る石柱の沈んだ広い海をシャチは快調に走っている。その背で桐花は首をひねっていた。

 明らかに、帰るべき軍港とは違う方向へ進んでいるのだ。

 中佐はシャチの速度を落とし、岬の絶壁にぽかりと開いた洞窟へと導いていく。例の幽霊船が見えるから、軍の敷地のようだ。

 洞窟の入り口に備えられていたトーチに火をつけ、中佐は奥へとシャチを進める。中はむっとする温度と湿度が淀んでいた。

 トーチが水路脇に広がるドーム状の巨大空間を照らす。台地になっており、乾燥させた海草が敷き詰められているようだ。

「ここは軍が鯨の代替食糧を確保するため、ネイティヴの主食を参考にして作った養殖場だ」

 軍もネイティヴに配慮し、捕鯨を縮小しようとしているらしい。

 でも赤い血を持たなくて養殖できるものって? と桐花はイヤな予感を振り払い、考えてみる。

「桐花。おまえは悪夢に入り込んだようだと言ったな」

 そうだカニとか海老とかウニとか! 大歓迎だ高級食材!

「つまり現実感が希薄ということだ。恐怖を与えても得られる効果が小さい」

 でもカニとか海老とかウニとかに、台地や乾燥海草って必要だっけ?

「ならば別のものを与える」

 別のもの?

 その答がトーチの照らす橙の輪の中へ、のそりと侵入してきた。

 王蟲サイズのイモ虫。

 ギャー! と叫んで桐花は飛びすさり、後部座席の中佐にドフッと背面アタックを入れてしまう。が、お構いナシに金属鎧に抱きつき叫び立てる。洞窟内にわんわんと声が響いた。

「生理的嫌悪は時に恐怖を上回……」

「ギャー!」

「鞭としては恐怖より効果……」

「ギャー! やだやだやだお願い、お願いだからやめ、やめて! うわーん」

 舌を噛みそうなほど顎が震える。涙が止まらない。腕はガクガクするばかりで感覚も吹っ飛んでいるから、とにかく安心を求めて金属鎧の首付近にすがりついた。

「に、逃げない。約束、したから。約束、したのに、謝ったの、に、どうして?」

 しゃくりあげるあまり、マザー・ガウフ風に言葉が途切れる。

「さっきか、ら、冷たい。ラウーは、手段が、」

 非人間的すぎる、と言いたかったが続きを飲み込む。その判断は誰が、どういう基準で?

「人類の、至宝は、情報?」

「・・・・・・そうだ」

「正しい、けど、今朝のラウーは、尊敬、できません」

 洞窟内を照らす橙色の範囲が動いて、背後でトーチが下ろされたのがわかった。それでも桐花のイモ虫残像も、マザーに対する中佐の強硬な横顔も脳裏から去ってくれない。

「がっかり、したく、ないのに」

 こだます泣き声が情けなくて、桐花は懸命に息を整えようとした。

 不意に横Gがかかり、シャチが方向転換する。ジュッとトーチが海に捨てられ消えた音がする。加速するシャチはたちまち洞窟を抜け、外洋へと飛び出した。

 朝の陽光がまぶしく、シャチの速度が速すぎて、桐花はぎゅっと目を閉じる。振り落とされないのが不思議なスピードだったが、背中に安心な腕が回されているのに気づいた。

 海風が髪をバタバタと勢いよく吹き抜けていく。

「すまなかった」

 風の中、耳元にありえない謝罪を聞き桐花は一転、目を見開く。

「落ち着け、もう軍港へ着く。・・・・・・大佐がいるな、こっちを見ている」

 え、と振り返ろうとした桐花の頭は、背中にあったはずの手でガッチリ固定された。

 唇を塞がれる。

 塞いだものは温かく、肌よりも薄く繊細な滑らかさで、覚えたばかりの唇とわかった。

「ん、……ひっく、待って、泣いてるから、噛んじゃいそう」

 桐花にとって噛むのはむしろ本望だった。が、ラウー・スマラグダス中佐流キスを返さねば、もれなくデーデが鷲の餌になる。

「噛んでいい。離すな」

 どれだけ助手を取られるのがイヤなんだこの学者バカ。

 桐花の内心の悪態が聞こえたのか、半噛みのキスを二度、三度とやり直される。

 もう着くと言われたわりに、軍港はやけに遠かった。


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