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青い鳥ルーレット  作者: シトラチネ
青い鳥ルーレット
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1. とりあえずの失礼至極

 人それぞれに、二度と耳にしたくない言葉というのはあるはずだ。

 単語であれ文章であれ、ソレの入り込んだ耳は瞬間、発音の末尾を待たずにふさがれる。ギャーと叫んでかき消そうと試みるは、魂のどん底も抜けるほどの恐怖か、割腹ものの生き恥か、奥歯も砕く苦味にまみれた思い出か。

 あるはずなのだ、誰にでも。

  江藤桐花(えとうとうか)の場合、そのNGワードはこれだった。

 「とりあえず」。

 そんな些細な言葉が親の仇、いやそれどころじゃなく憎くなる日が来るなどと、想像すらせず十数年を生きてきた。仕事上がりの父の「とりあえずビール」に「はーい」と発泡酒を差し出して嘆かれ笑う、むしろそんな小さな幸せの象徴でもあったほどだった。

 春うらら、商店街の外れのささやかな本屋で店番をしながら、客足が途絶えたのをいいことにカウンターに頬杖ついて昼寝する。そんな微笑ましい、経営者である両親からすれば眉をしかめるひと時に、桐花が「とりあえず」を世にもにっくき言葉認定する事態は訪れたのだ。



「じゃあ、とりあえず7番?」

 起きてなければいけない、でも眠い。そんな時は夢が夢と分かる。赤いような黒いような、もやもやとした空間はまぶたの裏と知っている。

 それにしても自分の声が聞こえるとは珍しい夢だ、と桐花はぼんやり思った。

「おやまーアバウトだねー。えーと7番はね、学生、未婚どころか彼氏なし、両親と3人で本を売って暮らす中流家庭…」

「ここじゃないならどこでもいいの! 早くして!」

「おっとコワイ顔ー。せっかちだねえ。まあ他の君も似たり寄ったりな環境だしー。うん、7番でいっか、うぁあーふ」

 桐花の声は判決ほやほや死刑囚かと思えるほど悲痛で切羽詰っている。答える間延びした声に聞き覚えはない。それは少年とも少女ともつかない。映像こそないが、襟元つかんでガックガック、頚椎破壊の情熱さえ感じさせる勢いの桐花の声に対し、あくびを噛み殺そうという真摯さはない。爪の先だってもう少し真面目だ。

 桐花は幼い頃から商売の手伝いをしてきた。現実的思考回路と礼儀作法に関しては、同年代より出来ているという自負がある。ゆえにヒステリックに叫ぶ自分にも、誠意の感じられない相手にもイラリとした。

「はい、ってことで」

 桐花のそんな苛立ちを知ってか知らずか。あくびの余韻が残るアフアフと定まらない口調で、間延びサイドがまとめに入った。

「7番世界と13番世界の君たち、トレード発生ってことで。とりあえずファイトですよー」

 口先だけにも程がある声援の直後、桐花の額をひゅうと爽やかな潮風が撫でていった。



 春うらら、商店街の外れのささやかな本屋で店番をしながら。

 ちなみに桐花の両親が営む本屋は、内陸にある。隣は魚屋ではない。

 また、本屋の入り口である自動ドアが故障した覚えはなかった。そして客が通ればティローン、とお出迎えもお送りも兼ねた軽薄な電子音が鳴るようになっていて、桐花はティローンと同時に頬杖を解除し熟練の営業スマイルを作り、いらっしゃいませと言うのが脊髄反射となっていた。

 なのに、ティローンなしに潮風が、桐花の髪で遊んでいる気配がする。

 桐花は頬杖に目を閉じたまま考えてみた。

 髪は長い。量も多い。本を愛する父が、「書店の娘は黒髪ロングストレートでないと駄目なんだ!」と泣いて頼むから、情けで伸ばしてやっている。それに冬には自前のマフラーだ。一石二鳥だ。

 日本人特有のコシのある長い髪、それをもてあそぶ風となると、隙間風などという可愛らしい威力でない。

 しかも潮の香り。

 内陸育ちの桐花にとって潮の香りは干物のにおいと同義だった。が、干物が泣き崩れるくらいその潮風は清々しく、爽やかだった。

 それに心なしか、いや間違いなく体が揺れている。揺らされている。波に身を任せた時の独特の、たぷんたぷんしたリズムで、だ。

 本を前に、桐花は寝食を忘れる。文字さえ食べていれば満たされる。父譲りのそんな性質だが、取り上げた本で頭頂部をひっぱたきながら肉料理を突っ込んでくる母のおかげで、貧血とは縁がなかった。

 だからその揺れが貧血に起因するのではなく、またザパーン、ザパーンと音でもマイナスイオンを振りまくものが耳鳴りでもないことは断言できた。

 ずいぶん五感を駆使した夢もあるものだ、と桐花は感心する。しかし本格的に寝入っては、ティローン反射もさすがに起動しなくなる。

 ぺしんとひとつ頬を叩いて、まぶたを引き上げる。

 春うらら、商店街の外れのささやかな本屋は、商店街の外れにあったはずの本屋は、本とカウンターと桐花だけ残して波間に浮かんでいた。


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