表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

悪友とひょっとこの情熱サンバ

作者: 瀬嵐しるん


 長生きなんてするもんじゃないね。若い時に競い合っていたライバルたちが、どんどんいなくなっちまう。葬儀の参列にも、すっかり慣れちまった。夜の巷に繰り出して、浴びるほど酒を飲みまくってた奴等は、ほとんどいなくなった。健康志向に日和って、宗旨替えした奴だけが生き延びた。俺もその一人。


 結婚が遅くて、嫁さんは二十も年下だ。一人娘を盾にして「健康でいてくれないと困ります」と責め立てる。もっともなので逆らえもせず、野菜多め、肉より魚という食事もすっかり当たり前になった。食事とジム通いのお陰か、それなりのスタイルもキープ出来てる。いいこと尽くめのようだが、それが悩みの種でもあった。



「鈴木さん、お願いします」


「はい」



 呼ばれて、セットに入る。

 俺の名は鈴木勝士。職業は役者だ。今日は二時間ドラマの撮影で、俺の役柄は所轄署長。出番は頭と中ほど、そして締め。いずれも署長室で、主人公の刑事や、その上役に一言告げるだけだ。三つのシーンを続けて撮る。台詞も短いので、一発OKであっという間に撮影終了だ。


 主人公の女性刑事役の注目株が感激した様子で花束を渡してくれる。


「私ずっと、鈴木さんのファンで。

こうして共演出来て感激です!」


「ありがとう。

俺の方こそ、今勢いのある君と共演出来て光栄だ」


 うんうん。嘘は言ってない。この若い役者はなかなかだ。彼女はいいんだ。現場にも文句はない。ただなー。俺は、お偉いさんじゃなくてチンピラ役がやりたいんだよ! ドカッと高そうな椅子に腰かけて、何でも分かってるって顔して偉そうに宣うのは、性に合わない。……なんて、この場の雰囲気を壊すだけなので言えないけどさ。



『そりゃ、言わなくて正解だよ、まーちゃん!』


 電話の相手は、歌舞伎役者の斎藤大義。若い時は二人して、しょっちゅう朝まで飲み明かした仲だ。この歳になると、俺のことを勝士と名で呼ぶ人もいない。まーちゃん、なんて更にだ。まだ、そう呼んでくれる奴がいてくれるのは幸せなことだね。


 歌舞伎の舞台では現役バリバリのコイツ。あっち方面でも、まだまだお盛んだ。ヤツはとにかく、昔っから女好き。今の女房は、えーと何人目だっけ? さすがに二桁には乗ってないはずだが。何だっけ、体幹インスト……何とかの資格があるという彼女とは、指導を受けたのが縁でゴールインしたと聞く。


「歳取ったら、やたらと運動すりゃいいってもんじゃないんだよ」


と受け売りの御託を延々聞かされた。惚気よりはマシだし、女絡みとはいえ、それだけ理解して覚えられるって言うのは大したもんだと思いつつ、聞き流してた。


 そんな、歳のわりに立派な頭脳の持ち主にもかかわらず、コイツのプロポーズの言葉は毎回同じらしい。


「俺は絶対浮気する。そんときには、すっぱり別れてくれるか?」


なんとも潔いことだ。


 今の女房と一緒になった時、ヤツは結婚式も披露宴もしなかった。その代わり豪勢なレンタルハウスを借りて内輪でホームパーティーをした。内輪と言っても、とにかくヤツは顔が広い。海外にも知られるような著名人や、大手企業のやり手社長の姿もあった。


 料理も有名シェフが目の前で仕上げてくれて豪華で旨い。むしろ、ホテルでやるより金がかかってんじゃないかと思ったが、そうでもないという。シェフはご祝儀がわりに、ボランティアで料理をしていたんだ。


 ホームパーティーとはいえ招待客の数はそれなり。もてなしのスタッフの人件費は相当かかるはずだが。


「一門の若い連中に、働いてもらうことにした」


 どのみち師匠の祝い事となれば、弟子たちは手伝うのが常。これは慣習だから普通ならタダ働きだ。ところが、ヤツはホテル勤めを引退した知人に講師を頼み、まだいい役の付かない若い役者たちを総動員して給仕に仕立てた。


「ご祝儀は要らねえよ。来てくれるだけで結構。

せいぜい、飲み食いしてってくれ」


 と言われて、各界有名人の招待客は手ぶらで来る。だが、そこはそれ、海外での経験も豊富な客が多い。給仕の振る舞いが気に入れば、チップをはずむ。


「客を喜ばせる工夫をするのも役者の仕事のうちだからな。

相手の気持ちを掴むってのは大事なことだ。

そういうやり方が向いてない奴は、それを知ればいい。

そしたら、次は他の工夫が要るってわかる。

経験が積めて、うまくすりゃ金になる。

遣り甲斐のある修行だろ?」


 なるほどね。これには恐れ入った。


 パーティーには歴代女房も来ていた。ありゃ人徳だね、新しい女房とも皆、笑顔で話している。大したもんだ。


「おお、今でも俺に気のある美女がお揃いだよ」


 ヤツが調子に乗って言う。


「んなわけないでしょ! ジジイの面倒を見てくれる奇特な若い人を、一言励ましたくて来たの」


「そうよぉ~。

貴女が最後の女房だと思うから言っておくけど、何よりも先に遺言書を書かせなさいね」


「おいおい、お前ら、祝いの席でなんてこと言い出すんだい?」


「年がら年中お目出度い男が、今更何を言ってんのよ!」


 その日、顔を見せた元女房は、女優に弁護士、医者に社長……と総勢六人。いずれ劣らぬ美女ばかり。なんとも凛としていて、圧倒される。皆、すっぱりさっぱり別れている。だが、弁護士は今でもヤツの顧問を務めているし、社長は一門の経営面に助言を続けているそうだ。そんな感じで全員、離婚後も頼れる友人として付き合い続けている。



 女房は何人も持ったヤツだが、実子はいない。こればっかりは、授かりものだからしょうがないね。それで、ヤツは妹の息子を養子にした。こいつは、俺にとっても義理の息子に当たる。うちの娘と幼馴染で、今じゃ仲のいい夫婦だ。この二人は、さっさと子供を授かった。俺にとっても初孫の男の子が一人。まだ幼稚園に通いながら、すでに歌舞伎の道を歩き始めている。


 ある日のこと。うちに遊びに来た孫が、おかめひょっとこの面を出した。


「じいじ、どっちにする?」


 俺は軽妙なひょっとこ役を引き受けた。遊びのようで遊びではない、これは孫の修行の一環で、ちゃんとお手本の動画もある。リビングの大きなテレビで再生して、見よう見まねで踊ったんだ。孫が喜んでくれるのが嬉しくてね。普段は踊りの上手い大人に囲まれているから、へたっぴな俺に親近感が湧いたのかもしれない。


 このご時世だから、娘はすぐに動画を撮って、ヤツに送った。


「あら、お父さん、これは課題だもの。

師匠に送るのは当然でしょう?」


 なんて、しれっと言われれば抵抗も出来ない。すぐに俺のスマホが鳴った。


『いけねえよ、まーちゃん!』


「プロが見たら、へぼい踊りだってのはわかってるさ。

わざわざ電話をくれるなんて、暇なのかい?」


『いや、踊りは悪くない』


「は?」


『腰の使い方がなってねえんだ。あれじゃ腰を痛める』


「……」


『うちの女房に見てもらうから、スケジュールの空きを連絡しな』



 というわけで、後日、ヤツの家にお邪魔した。とにかく俺も歳だ。腰を痛めたらシャレにならんから、ヤツの女房にストレッチから指導してもらった。

 ついでだと言って、なんでだか、おかめひょっとこの踊りもヤツみずから指導してきた。俺もそれなりに仕事があるし、ヤツの女房はセレブにも人気の指導者で忙しい。そんなこんなで間を空けながら、二か月ほどストレッチと踊りの指導を受けた。



「じゃあ今日は、本番と行こうかね」


 その日は浴衣を着付けられ、ひょっとこの面を付けて、稽古用の舞台で踊った。本番と言われりゃ役者魂がうずく。夢中で踊って、最後にポーズを決め、面を外してヤツと顔を見合わせたら、自然に笑顔になったね。

 後から思えば、見慣れない人間が稽古場にいて、やたら立派なカメラが据えてあった。だが職業柄、見知らぬ人間とカメラって気にならないんだよな。


 結果、事後承諾でヤツの情熱に花を添えることになったんだ。しかも、知ったのは二週間後のテレビ放映。もちろん、事務所は通してあったし、なんなら妻や娘は知っていたわけで。


 騙されたと怒りを感じるようなことは無かったよ。ヤツは俺を本当に困らせたことなんかないからな。それより、演技ではない、一生懸命な自分を客観的に見られたのが、ありがたいくらいだった。

 踊り終わって面を外した自分の顔は、悪くなかった。俺はまだまだ夢中でやれる。自信がついたね。



 さて、件の情熱番組が放映されると、それなりの話題になった。しばらく後のこと、ヤツから電話が来た。とある地方の神社から踊りを奉納して欲しいという依頼があったという。


『その昔は、芸の神様を祀るので有名だったとこなんだが、今はすっかり寂れてるんだと』


 その神社の名は、俺も知っていた。まだ売れていなかった若い頃に、行ってみたこともある。


「俺は踊りの専門家じゃないし、一門で踊ればいいんじゃないか?」


『それがさ、有力な氏子がお前の熱烈なファンなんだと。

お前が来て踊るなら、寄進もポンとはずむって話らしい』


 その氏子の家は元豪族で、今は全国展開の有名な会社を経営しているそうだ。


「本当に俺が踊っていいのかね?

芸事の神様の怒りを買ったりしないか?」


『あの番組、自分でも見ただろ?

ひょっとこの面を外した時の、あの顔。

夢中で踊ってたって誰でもわかる、いい顔だったじゃないか』


「もし神様が怒ったら、お前がなんとかしてくれるんだろうな?」


『任しとけ!』


 まったく当てにならない口約束だ。



 舞の奉納が実現したのは、翌年の春。地元の観光PRにも一役買うことになり、カメラもそれなりに入った。その分、集まった見物客は遠ざけられたが、寄進の多い氏子連中はちゃっかり貴賓席だ。

 俺のファンだという某社の理事は、高齢のご婦人。若い頃の写真集を綺麗に保存していて、そこにサインが欲しいという。何とも慎ましやかな願いで好感が持てた。こちらから手を差し出すと、握手で頬を染めた。こういうファンがまだ居てくれるんだと思うと、どんな役柄も疎かには出来ないと気が引き締まったよ。



 やがて、奉納舞の時間になった。ヤツはおかめ、俺はひょっとこ。俺たちは芸の神様の僕。ただ、人を楽しませるために踊るだけ。お囃子にのせた舞が終わると、その後にはサンバを仕込んでいる。ヤツの弟子たちが総出で、おかめひょっとこが増殖する。さすがに、サンバはきついので、俺たちは皆に紛れて撤退だ。


「なあ、仕込んだ踊り手の数、こんなに多かったっけ?」


 裏のモニターを見て、気になったので訊いてみた。


「ん? 地元の踊り手でも追加したのかね?

踊りは悪くない。ってか、うちの弟子より上手いのが何人もいるぞ」


 とにかくサンバも盛り上がり、舞台は無事に幕を閉じた。だが、出来上がった動画の踊り手は、やはりどう見ても多い。


「お聞きしていたより人数が多かったですが、皆さん素晴らしい踊り手で。

私たちも気合を入れて、編集作業をさせていただきました」


 製作会社からは、そう言われただけ。神社に確認しても、特に追加はしていないという返事だ。



「なあ、もしかして、芸能の神様とそのお弟子たちが出て来たんじゃ?」


 珍しく二人で飲んだ時、ヤツが真面目な顔で言う。


「え? まさか」


「うちの弟子じゃない踊り手、段違いに上手かっただろう?

弟子ども、それで火がついたようで、前より稽古に熱が入ってる」


 謎は解明されなかったが、ヤツの一門はその後、年一であの神社へ詣でることにしたそうだ。



 俺はと言えば。


「おう! 俺を誰だと思ってやがる!」


「はん! 昔は少しばかり鳴らしてたかもしれねぇが、今じゃただの老いぼれだろ。さっさと引っ込みやがれ!」


「なんだと!?」


ドカバキ……どさっ。


『老人は、若いヤクザの心無いやりように腹を据えかね口を出したが、あっさり殺されてしまった』



「はい、カット」


「OKです」


「お疲れさまでした」


「ありがとうございました!」


「いや、俺の方こそ、ありがとな」


 あの奉納舞の時に、雑誌の取材を受けたんだ。そこで、たまにはチンピラ役もしたいと、性懲りもなく言ったのが掲載されてしまった。


「昔、監督のアシスタントで走り回ってた時に、鈴木さんには、よく励ましてもらってましたからね。

チンピラ役がやりたいって話を聞いたんで、ダメもとでオファーしてみたんですよ」


 顔見知りの監督が、チョイ役を打診してきた。俺は飛びついた。向こうが驚くくらいにね。


「いやほんと、嬉しかったよ」


「あの、なんでチンピラ役なんです?」


 主演の若い俳優が、不思議顔をする。


「初めて台詞をもらったのがチンピラ役だったからな。

初心に返るっつーか、気を引き締め直すっつーか、そんな感じだ」


「なるほど、僕も見習います」


「お前さんの初台詞は何役だった?」


「『手を尽くしましたが、残念でした』と言う医師役ですね」


「それはちょっと、初心に返るにしても重そうだな」


「僕もチンピラ役が良かった」


「そりゃ贅沢ってもんだ」


「確かに」


「でもさ、芸事の神様は見ててくださるようだぜ。

俺にもこんなチャンスが来た。

真面目に精進してりゃ、見てる神も人もある」


「精進、いいですね。頑張りますというより、なんかしっくりきます」


「だろ?」


「鈴木さん、師匠って呼んでもいいでしょうか?」


「それは勘弁だけど、愚痴ぐらいなら聞いてやる」



 冗談半分でアドレスを交換した彼は、その後更にブレイク。たまに雑談を交わすくらいだった俺を、数年後、本当に師匠として紹介しやがった。歌舞伎役者として成長途中の孫も彼の大ファンだったらしく、お陰で爺の株も上がった。これも、件の芸の神様のおかげかね。

 俺もお礼参りに行かなきゃいけないようだ。



 久しぶりに参拝に訪れた神社は、人は少ないのに気が満ちていた。


「鈴木勝士、これからも役者として精進を続けますよ」


 俺は神様に誓う。

 季節外れの花びらが、一瞬吹雪のように俺を包んだ。それが空に吸い込まれるように昇って行く時、あの奉納舞のお囃子が聞えたような気がした。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] どんな神様も神楽や舞や音楽が好きだから、長年精進した芸を納められて満足したのかな〜。素敵な話ですね! そういえば初詣に行ったら神楽を奉納していた神社も幾つもありましたね。
[良い点] 読んで気持ちのいい作品でした。 登場人物もシチュエーションも魅力的で、情景が頭にしっかり浮かびました。 [一言] 素敵な作品ありがとうございました。
[良い点] 爽やかで素敵なお話でした! 皆自分の仕事(役)を誠実にこなす様子をみるとこっちまで元気を頂きました。この方を推す人たちはファン冥利に尽きますね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ