8.結婚式にまつわるあれこれ
無事に婚約式を終え、披露パーティーではアルンシュタット領のワインが好評を得て、さらに話題となった。
翌年には結婚式を挙げることも決まった。
マグダレーネとエレオノーレは張り切って準備をはじめ、ユリアーネもそれを理由にクヴァンツ邸へ呼び出されることが増えた。
ドレスや装飾、料理とさまざまな意見を求められ、社交界と無縁に暮らしてきたユリアーネには、新鮮なことばかりで、忙しくも楽しい時間となった。
もちろんその度にアルベルトとも言葉を交わし、ときにはふたりで観劇や音楽会に出かけるようになった。
「一目惚れ」同士であったことがわかり、もはやなにも不安はなかった。とくにアルベルトは暇さえあれば、ユリアーネを連れ出してふたりの時間を楽しんだ。
そしてなによりもユリアーネが喜んだのは、夜会でアルベルトにエスコートされて、婚約者として紹介されることであった。
「噂のご令嬢ですね、お会いしたかったですわ」
「まあ、可愛らしいお嬢様ですこと。侯爵閣下もお喜びでしょう」
「アルンシュタット卿が隠しておられたご令嬢ですな。いつお会いできるかと、楽しみにしておりました。しかし、すでにご婚約されたとは」
残念です、と冗談めかして若い男性が肩をすくめると、アルベルトはユリアーネの腰に回した手に力を入れる。
「貴方のように仰る方がたくさんいると思いましたので、アルンシュタット卿に急ぎお願いしたのです」
幾度となく繰り返される同じ会話の度に、頬染めて嬉しそうなユリアーネは可愛らしく、多くの出席者に好意的に受け取られた。
一方でアルベルトは、これまでの夜会ではどんな美女にも見向きもしなかった次期侯爵が、婚約者のご令嬢を片時も離さず周囲を牽制している、と好奇の視線を浴びていた。
同時に侯爵家の人びとからは冷たい視線も浴びる。
「まあ、どうなのかしら、あの余裕のなさは」
マグダレーネの呆れた声に、ゲオルクもうんうんとうなずく。
「もう正式な婚約者となったのだから、堂々としていればよいものを」
「お兄様の評判がこれ以上悪くなる前に、夜会に出るのは控えたほうがよろしいのではありません?」
「でもねえ、あのユリアちゃんの笑顔の可愛らしいこと。婚約者と出る夜会は、一番気楽で楽しいのよねえ。どこに行ってもおめでとうと言ってもらえるし、結婚してからはいろいろと面倒事が増えますからね。ユリアちゃんからその楽しみを奪っては可哀想だわ」
「あら、お母様も楽しかったですか?」
「そうねえ、いい気分でいられましたよ」
エレオノーレは、母が珍しく若い頃の話にこたえたことに驚く。隣の父を見ると、あからさまに娘の視線を避けている。
機嫌のよくなったエレオノーレは、目をユリアーネに戻した。
「ユリアのドレス、やっぱり素敵ですわね。わたくしもあの色で作ってもよろしいですか?」
その夜のユリアーネのドレスは、葡萄染めの糸で織り上げた生地で仕立てられている。シンプルなデザインで、色合いも決して派手ではない。だが、広い会場に同じ色が全く存在しないことによって、不思議と目をひくのである。
そして全身から幸せをあふれさせているユリアーネの笑顔と相まって、とても印象に残る。
「そうね、色味は地味なのにとても上品だし、ワインからは想像もできない色よね」
「染め方で色合いが変わるのですって。もっと濃い色や明るい色にもできるって、ユリアが言ってましたわ。葡萄の皮だけではなくて、枝からも綺麗な色が出るのですって」
顎を撫でながら母娘の会話を聞いていたゲオルクは、ふむ、とあらためて息子の婚約者のドレスに目を向ける。
「アルンシュタット領で染めたものを、クヴァンツ領でいろいろ仕立ててみても面白いかもしれないな」
奇跡の一目惚れは、現実的な効果ももたらすかもしれない。
翌年の初夏、クヴァンツ侯爵領の精霊殿において、厳かに結婚式が行われた。
花嫁の衣装は真っ白なドレスとベールの裾に、葡萄の実と蔓の模様があしらわれ、一番下だけが葡萄染めの糸で縁取られた美しいものであった。
花婿はその青玉の瞳を淡くした、薄青色のジャケットを身につけ、評判通りの美貌の貴公子であった。
一目惚れのあの日を思い出したユリアーネは、あらためて、夢を見ているのではないかしら、と頬を真っ赤に染めた。
アルベルトも、一目惚れの君が自分の花嫁として目の前にいるという事実に、言葉を失って赤くなった。
ドレスのデザインを考案したマグダレーネとエレオノーレは満足の笑みを浮かべ、ゲオルクはその妻の様子を見て笑顔であった。
オスカーはユリアーネの顔を見る前から泣いていたが、愛娘の花嫁姿に遠い日の妻の姿も重なり、号泣した。
そして、シュトルベルク伯爵一家は、式場の最前列で、ふたりの晴れ姿を見届けたのであった。
その年の秋、ユリアーネは若奥様としての勉強のためにクヴァンツ侯爵領に滞在し、葡萄踏みには参加できなかった。
アルンシュタット子爵領の人びとは残念がったが、うちのお嬢様は次期侯爵様に見初められたんだ、と大変盛り上がっていた。
翌年の秋もユリアーネは葡萄を踏めなかった。
第一子を懐妊したからである。心配する夫とともにアルンシュタットを訪れはしたが、作業に参加することは許されなかった。
さらにその翌年にも第二子を授かり、クヴァンツ侯爵家の若奥様がようやく葡萄踏みに参加できたのは、結婚四年目のことであった。
ユリアーネと長男は大騒ぎしながら葡萄まみれになり、次期アルンシュタット卿を腕に抱いたアルベルトは笑顔で妻子を見守っていた。
その年の冬、グリュークス城の若夫婦の居間には、葡萄踏みをする家族の大きな絵が飾られたのであった。
お付き合いいただきありがとうございました。
「葡萄染め」は和語だと「えびぞめ」と読むそうですが、ここでは「ぶどうぞめ」でお願いします。