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7.婚約にいたるまでのあれこれ

 ゲオルクと話してから、オスカーは上機嫌になった。子爵家の跡継ぎ問題はそのままではあるが、今すぐにどうこうという話ではない。


 アルンシュタットのワイナリーは、オスカーが従来の果樹栽培だけでは頭打ちになることを見越して、起こした事業である。

 先祖伝来の家業ではないのだから、自分が見込んだ相手に譲ることはやぶさかではない。


 手塩にかけた事業に興味を持った若者が、それを見学に来て自慢の愛娘を見初めた。その上、娘もその相手に一目惚れをしたという。

 大切な娘が、初恋の相手に望まれて嫁ぐのである。これ以上の幸せがあるだろうか。これはもう運命というものではなかろうか。


 オスカーはゲオルクよりもよほどロマンチストであった。ことに娘がかかわると評価が甘くなるのは否めない。

 一方で、領主として冷静な判断力があることも確かであり、その結果が昨今のアルンシュタット領のワイン事業の成功につながっている。

 その領主としてのオスカーも、アルベルトに事業を任せることも悪くないと判断していた。


 ――最初はワイナリーに興味を持って見に来たということだし、社交界でも優秀で将来有望な青年といわれている。クヴァンツ侯爵家が長く続く家であることを考えれば、アルンシュタットがその属領となっても、領民が困窮する可能性は低い。前向きに考えてもいいのかもしれない――


 ユリアーネが毎日幸せそうに笑っている様子に、オスカーも浮かれ気味になっていた。

 ――少し気は早いかもしれないが――

 オスカーはアルベルトが見たいと言ったときのために、と領地の資料をまとめはじめた。


 父親が忙しくしていることに気づいたユリアーネは、お茶の用意をしてねぎらいに行った。

 そこで、父がアルンシュタット領そのものを持参金にしてもよい、と考えていることを聞き、衝撃を受けた。


 アルンシュタット家がなくなってしまうかもしれない、父が自分のためにそこまで考えてくれている。でも、そこまでしてもらう価値があるのか。

 そもそもアルベルトはユリアーネを本当に望んでくれているのか……。


 急速に否定的な思考に支配されたユリアーネは、翌日、部屋に閉じこもってしまったのである。


 オスカーは何度目かの当惑する出来事に、ほとほと困り果てた。丸一日閉じこもったユリアーネが、やっと出てきたかと思ったら、号泣しながら「アルベルト様とは結婚しない」と言い出したのである。


 要領を得ない話をなんとか聞き取ると、どうやらアルベルトが自分を望んでくれているとは、やはり信じられない、自分の器と領地のワイナリーはアルベルトの役に立つかもしれないが、ユリアーネ自身はなにも役に立たない、いうことらしい。

 そんなことはない、アルベルト殿を信じなさいと言っても、聞かない。


 アルベルトが婚約式の準備で忙しく、なかなか会えないから不安になっているのだろう。正式に婚約者となれば、ふたりで出かけることも増える。そうすれば大丈夫だろうと思うのだが、とりあえず今、ユリアーネをなだめる方法がわからない。こんなときに妻がいてくれれば、とオスカーは遠い目になる。


 ユリアーネは泣き止む様子がない。仕方なくその日はなだめ役は侍女に託し、シュトルベルク伯爵令嬢に手紙を書いた。


 シュトルベルク伯爵令嬢ゾフィー・ヘレーネは冷静だった。アルンシュタット子爵からの手紙は朝一番に届いた。一読してゾフィーは、なにが起きたのか手にとるように理解したのである。


 ――だから言ったのに――


 ゾフィーはマグダレーネから「ユリアーネも一目惚れした」ことを、アルベルトに対して口止めをされていた。気は進まなかったが、理由はわからなくもなかったし、アルベルトが自らの一目惚れをユリアーネに告げれば、晴れて両思いである。


 しかし、この騒ぎである。アルベルトがきちんと気持ちを伝えていないことは明らかだ。多少はこらしめてもらわねば、とゾフィーはアルベルトではなく、エレオノーレへ急ぎの手紙を届けた。


「お兄様! 大変! ユリアが婚約しないと言い出したそうですわ」


 朝食の席へ届いた手紙をその場で読んで、エレオノーレが大仰に兄に告げる。

「!! どういうことだ?」

「お心あたりは?」


 クヴァンツ領では、少しは打ち解けて話せるようになった。挨拶に行ったときはふたりで話す時間はとれなかったが、「ありがとう」と手を取ると、頬を染めてうなずいてくれた。


「……ない、と思う」

「なら、どうしてそのような話になるのだ。エレオノーレ、それはどなたからの手紙なのかな?」


 ゲオルクは落ち着いているが、表情は険しい。

「ゾフィーからですわ。子爵様から連絡があって、ユリアが昨日からずっと泣いているからなだめてほしいとのことなので、今から向かうと」

「ユリアーネちゃんはどうしてしまったというの?」


「自分はお兄様に望まれていないと。必要とされているのは器と領地ではないかと」

「そんなこと、あるわけがない! それを知る前に一目惚れしたのに!」


 アルベルトは大声を出したが、家族の視線は冷たい。ゾフィーと同じく、アルベルト以外は皆現状を正しく理解している。ゲオルクは無表情のまま、息子に言った。

「それをユリアーネ嬢にきちんと話したのかな、アルベルト」


 マグダレーネがあでやかな笑みを息子に向けるが、瞳の奥は笑っていない。

「一目惚れしてから、あれやこれやと多くの人を巻き込んでようやく婚約にこぎつけた、と。情け無いと思われたくなかったのでしょうけど。貴女を一目見て心を奪われたのだと、そう告げていれば、ユリアーネちゃんが不安に思うことは、なにもなかったのではないかしら?」


「わたくし、これでも、お兄様が剣の鍛錬をしたり、将来のための勉強に励んだりしていらっしゃることは、尊敬していたのですけれど。どうして、ユリアのことになると、こんな腑抜けになってしまうのか、不思議でなりませんわ」


 アルベルトは口をはくはくと動かすがなにも言えない。ただ、必死になすべきことを考える。

「……出かけてきます」


 立ち上がり、部屋を出て行こうとするアルベルトの背中にエレオノーレが声をかける。

「お兄様、一目惚れをした相手が最も望ましい相手でした、なんて奇跡は二度とありませんからね。ユリアを逃したら後悔だけではすみませんよ」


 馬を飛ばしてアルンシュタット邸へ着くと、執事に急な来訪を詫びて子爵への取り次ぎを依頼した。

 応接室に通されると、すぐにオスカーが現れた。

「アルベルト殿、ゾフィー嬢が連絡してくださったのかな? お忙しいのに申し訳ない」

「いえ、これは私の不徳の致すところです。こちらこそ申し訳ありません。ユリアーネ嬢に会わせていただけますか?」


 オスカーは怪訝そうな顔をしたがうなずき、侍女にユリアーネの私室へ案内するように言った。婚約前ではあるが、ゾフィーが一緒に居るからかまわないと、許してくれた。


 扉をノックするが、返事はない。ゾフィーがいるはずだとそっと開けると、そのゾフィーの声が聞こえた。

「…… 、実ははじめから貴女を連れてきてって言われていたのよ」


 これ以上、ゾフィーに説明させるわけにはいかない。アルベルトが自分で説明するからと言うと、ゾフィーもそれがいいと譲ってくれたが、部屋を出て行くときに「きちんと、お話ししてくださいね」とにらまれた。


 ゾフィーは呆れた、とため息をついて、応接室へと戻ると、困惑顔のオスカーが待っていた。

「ゾフィー嬢、ユリアーネは?」

「アルベルト様にお任せしましたわ。扉は閉めておりません」

「ありがとう。申し訳なかったね。しかし、アルベルト殿が自分の不徳の致すところだと仰ったのだが、どういうことかわかるかね?」

 ゾフィーは笑って種明かしをした。


「あのふたり、お互いに一目惚れをしたって知らないんです」


 一通りの話を聞くと、オスカーは呆れ、脱力し、そして笑った。その時、アルベルトの大きな声が響いた。


「じゃあ、私たちは両思いで、これから婚約していずれは結婚するってことで問題ないよね!」


 オスカーとゾフィーは顔を見合わせて、そしてまた声をあげて笑ったのであった。

アルベルトはユリアーネを抱きしめたかったのですが、ゾフィーに睨まれていたので我慢したようです。

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