6.父親たちのあれこれ
木漏れ陽の中、湖畔へと馬を走らせる。少しずつ遅れをとるユリアーネに、アルベルトが近づく。
「ゆっくり行きましょう」
ほっとした様子のユリアーネを見て、アルベルトは微笑む。少なくとも嫌われてはいない、大丈夫だ。
令嬢らしいことは得意ではない、ワイン造りほうが好きだというユリアーネの言葉に、あの日の光景が脳裏によみがえる。
ユリアーネのちょっとした劣等感も、アルベルトが抱える魔力に対するそれと比べれば、可愛らしいものだ。
勉強が苦手なら、興味のある葡萄栽培の知識を増やせばいいと言うと、ユリアーネの顔がぱっと明るくなった。そのユリアーネの笑顔に満足したアルベルトは、結局アルンシュタットで一目惚れしたことを話せなかった。
ゆっくりと馬を並べて寄り添うふたりを遠目に、微笑ましく見守っている一行の中で、エレオノーレは大変満足していた。
「ふふふ、大成功ですわ。我ながら名案でしたわ!」
「本当に、それにいい雰囲気じゃありませんこと?」
ルイーゼは「一目惚れ」を目撃できなかったことを残念がっており、クヴァンツ領へきてからはゾフィーよりもはしゃいでいる。
「どうでしょう、旦那様。ユリアーネちゃん、いいお嬢様でしょう?」
「うん、確かに。マグダレーネが気に入るわけだ。なにより、アルベルトがあのような顔をするとはね」
クヴァンツ侯爵が賛成したなら、ここからは侯爵家と子爵家の話し合いとなるだろう。静かにふたりを眺めていたゾフィーは、嬉しそうにアルベルトと話すユリアーネが、望む未来を得られるようにと心から願った。
「さて、ではどう進めるかな。まずアルベルト、確認しておくが、ユリアーネ嬢に一目惚れしたときには、彼女がどこの誰かまったく知らなかった、これは間違いないな?」
無事に客人を見送り、クヴァンツ侯爵家の家族会議である。
「はい、その通りですが、もう彼女以外の女性は考えられません」
きっぱりと言うアルベルトに、しかし母と妹は相変わらず厳しい。
「そうでしょうねえ」
「むしろお兄様にユリアは、もったいない気がしますわ」
「エレオノーレ、お前いつからユリアと」
「そこですの? 『可愛い妹が欲しかったの。ユリアと呼んでいいかしら?』と聞いたら、『嬉しいです! お姉様』と言ってくれましたよ。とっても可愛らしく!」
エレオノーレは、アルベルトが世間話の域を出られないままであったことを、もちろん知っている。
「まあ、『アルベルトがユリアーネちゃんを見初めました』と言ってもおかしくないくらいには、仲良くなれたのではないかしら。アルンシュタット卿がどうお考えになるかは、わかりませんけれど」
ゲオルクは腕を組みながらうなずいた。
「アルンシュタット領のワイナリーは当代子爵が、一から育て上げたと言っても過言ではない。それを愛娘とその婿に継がせたいと考えるのは自然なことだ。しかし、ユリアーネ嬢をアルベルトに、となるとそれが難しくなる」
「そうですわねえ。でも、愛娘をとても大事にされているわけですから、ユリアーネちゃんがアルベルトがいい、と言ってくれれば、お話は聞いてくださるのではないかしら」
マグダレーネの言うことはもっともであるが、アルベルトにはそれほどの自信があるわけではない。
「父上、仮にアルンシュタット卿がこの話を受けてくださった場合、家名をクヴァンツ=アルンシュタットとすることは許されますか?」
ゲオルクはアルベルトの覚悟が、そこまでのものかと驚いた。二重姓にするということは、クヴァンツ侯爵家がアルンシュタット領を属領とするのではなく、クヴァンツ領とアルンシュタット領をあわせたクヴァンツ=アルンシュタット家を起こすということである。侯爵家と子爵家の婚姻では、通常考えられない。
「うん、それも一案ではあるな。アルンシュタット家は子爵家とはいえ、子爵の領主としての評価は高い。この話がなくても、いずれ陞爵されるのではないかと噂になっている。私はそうなっても構わんが、それもアルンシュタット卿がどう考えるかだ」
「逆に子爵様のほうが、家格の違いを気にされるかもしれませんわね。ユリアと話していると、きっとお父様も謙虚な方なのだろうと思いましたわ」
「もしそうなら、私の器をユリアーネ嬢に補ってほしいと言えば、アルンシュタット卿は納得してくださるでしょうか」
これには家族皆が息を呑んだ。アルベルトが精霊の器が小さいことに、大きな劣等感を持っていることは皆知っている。
最も持ち出したくない材料を使ってでも、ユリアーネを得たいのだ。ゲオルクは苦笑する。
「まあ、それも織り混ぜつつだな。前面におし出す話ではない。もし、婚約が成って国王陛下にお許しをいただくとなれば、それを理由にすることにはなるだろうがな」
ゲオルクはあごを撫でながら少し考えていたが、ひとつうなずくと当主としての決断を下した。
「よし、アルンシュタット卿に婚約を申し込もう。我が家からの正式な申し込みであれば、門前払いとはなるまい。他家への牽制にもなる。ユリアーネ嬢はいつ相手が決まってもおかしくないだろうし、はやいほうがいい」
「ありがとうございます、父上!」
アルベルトの満面の笑みに、息子の知らなかった一面を見て、ゲオルクはこのところ驚くことばかりである。
「私は正式な書簡を用意するから、アルベルトはユリアーネ嬢への手紙を書きなさい」
そこまで言って、ゲオルクはアルベルトをまじまじと見た。
「……そうだな、封をする前にエレオノーレに文面を確認してもらうこと」
「はあ?! どうしてそのようなことを!」
「子爵様がお許しになっても、ユリアが嫌だと言えば終わりですわよ」
妹の冷たい視線に、言い返せない。
アルベルトは恋文を妹に添削される、というこれ以上ない屈辱を受け入れるしかなかった。
こうして、アルンシュタット子爵オスカー・ヒエロニムスのもとへ正式な婚約の申し込みが届けられた。
子爵は驚愕と困惑に襲われたが、どこかでこうなるような気配を感じていたので、半ば諦めの境地であった。
なにより目の前で頬を染めて喜ぶ愛娘に、絆されないわけがない。
受諾の書簡をクヴァンツ侯爵へ送った。
次の春、まだ冬のなごりが多く残る頃。
王都に戻った両家の間で使者が交わされ、婚約式の日取りが社交シーズンの終わり頃に決まった。
婚約披露のパーティーの招待客については、クヴァンツ侯爵とアルンシュタット子爵の話し合いのもとに名簿が作られることになった。
「アルンシュタット卿、このようにすんなりと受けていただけるとは思っておりませんでしたよ」
ゲオルクは正直な気持ちを告げる。オスカーは苦笑を返した。
「いや、まあ単純に大事な娘を嫁にやりたくない、という気持ちはまだありますよ。ただ、娘はアルベルト殿のお姿を拝見して、すぐに『あの方の妻になります!』と言いましてね。相手は侯爵家のご嫡男なのだから無理だと言っても、聞く耳を持ちませんでした。それが、このようなお話をいただいて、一目惚れした初恋の人に嫁げるなど、どれほどの幸運かと思ったら、反対できませんでした」
家の事情もありますが、娘の幸せを優先してしまいました、と少し恥ずかしそうにオスカーは言った。
ゲオルクはなるほどと笑顔を返し、ふと思いついたことを口にする。
「実は、卿に断られる覚悟もしておりましたので、いろいろと説得の材料は準備していたのですよ」
オスカーは怪訝そうな表情を見せる。今度はゲオルクが苦笑する。
「当家のほうにも事情があることは、ご存知かと思いますが」
「アルベルト殿の器のことですかな?」
オスカーが不快感を隠そうとしなかったので、ゲオルクは慌てて続ける。
「いや、もし卿が家格の違いを理由にされるなら、それで納得していただけないかと、アルベルトが申したのです。まあ、むしろご不快になるだろうと思い至らないのは、あれもまだまだということです」
話が見えないオスカーは、手を止めてゲオルクの様子をうかがう。
「あれの器が侯爵として不足であるのは事実です。ですから、後継者に指名する際には魔力の不足を補う実力を身につけろと命じました」
オスカーは少なからず驚いた。アルベルトは直系の唯一の男子である。器が小さくとも貴族籍であれば、侯爵家を継ぐのは当然だと思っていた。
「あれも思うところはあったようで、王都を離れる間はひとりで各地を巡って、社会勉強をするようになりまして、昨年の秋はアルンシュタット領を訪れたようです」
「それは存じませんでした」
「大袈裟にならないように、一人旅をしておりますからな。まあ、それで卿の葡萄栽培やワイナリーを見学しているときに、葡萄踏みをしていた美しいお嬢さんに一目惚れをしたと」
「え?」
「そのお嬢さんがどなたなのか調べてみたら、アルンシュタット子爵のご令嬢だったというわけです」
「それでは、アルベルト殿も一目惚れであったと?」
オスカーの目がこれ以上ないほど大きく開かれ、ゲオルクは愉快そうに笑う。
「そういうことらしいです。私はそれほどロマンチストではないつもりですが、アルベルトが一目惚れした相手が、当家に最も必要な条件を持っていた、というのはさすがに出来過ぎのような気がしますよ。精霊のお導きですかな」
オスカーはこれまでの不自然な流れが、仕組まれたことであったとわかり、やっと安心した。
「納得しました。そういうことならこちらに否やはまったくありません。あらためてよろしくお願いします。いや、しかしそんなことが」
「こちらこそ、まだまだ未熟な息子ですが。アルンシュタット卿の事業についても、本気で学びたいと思っているようですので、よしなにお導きください。子爵家の跡継ぎについては」
ゲオルクがそこまで言うと、オスカーが手をあげて続きを制した。
「それについては、お心にとめてくださっているだけで充分です。私もまだやりたいこともありますしね。そういえばユリアーネが最初に、男の子をふたり産むから問題ないと申しました。それに期待してもいいでしょう」
侯爵と子爵は同時に声をあげて笑い出した。