5.クヴァンツ侯爵家のあれこれ
「で、マグダレーネはどうしようというのかな?」
細い銀髪に緑の瞳の紳士は、クヴァンツ侯爵ゲオルク・ルートヴィヒである。身にまとう色合いも顔立ちも、娘のエレオノーレによく似ている。
妻マグダレーネが言い出したらきかない性格であることを、一番よくわかっている。だからこそ、慎重に話を進める。
「わたくしもユリアーネちゃんがとても気に入りましたの。ですから、ゾフィーちゃんにまたお友だちを連れていらっしゃい、とお誘いして、ユリアーネちゃんもクヴァンツ領へお招きしたらどうかと。そうしたら、旦那様もアルベルトも、ユリアーネちゃんとお話できますでしょう?」
「そうだね、マグダレーネがそこまで言うご令嬢なら会ってみたいね。しかしアルンシュタット卿が許すかな?」
「ええ、ですから今回はわたくしからもユリアーネちゃんにお手紙を書きますわ」
夫とふたりになると、マグダレーネは母ではなく妻の顔になる。
それは新婚当初から変わらない可愛らしい妻のままで、ゲオルクが妻に甘くなる所以である。
「それがいいだろうね。大切なご令嬢をお預かりするわけだから。ユリアーネ嬢がアルベルトに好意を持ったことをアルンシュタット卿はご存知かな」
「ゾフィーちゃんは、ユリアーネちゃんはお父様にもうお話ししていると思う、と言っていたわ。わたくしも十七歳ならきっとそうするわね」
「なるほど、それではきっとご心労をおかけしていることだろうね」
ゲオルクもまた娘を持つ父である。子爵はさらに愛妻の遺した一人娘であることを考えると、心中を察して余りあるというものだ。
「ふむ、では私からもアルンシュタット卿に、少し働きかけてみることにしようか。妻がご令嬢に会いたがっていると」
夫の言葉にマグダレーネはふと、強かな笑みを返す。
「そう言ってくださると思っていましたわ」
「これだから、敵わないな」
クヴァンツ侯爵家は、侯爵夫人を中心に回っている。
三通の手紙が用意された。
シュトルベルク伯爵夫人と令嬢へ、クヴァンツ領への招待と、アルンシュタット子爵令嬢への誘いの依頼する書簡。
クヴァンツ侯爵からアルンシュタット子爵へ「妻がご令嬢と休暇を過ごしたいとわがままを言いまして」という言い訳の書簡。
そしてアルンシュタット子爵令嬢ユリアーネへの招待状である。
手紙はそれぞれの役目を果たした。
ゾフィーはあらためてユリアーネをクヴァンツ領へ誘い、初恋の人にまた会えると、ユリアーネは涙を浮かべて喜んだ。
クヴァンツ侯爵の書簡は、ユリアーネの父、オスカーを大いに困惑させた。侯爵夫人がユリアーネを気に入り、会いたがっているから領地へ招待したいという。
しかし、そこにはユリアーネが一目惚れをした次期侯爵もいるはずである。
本当に侯爵夫人のわがままなのか、なにか別の意図があるのか。
まさか、と思いつつもオスカーは、侯爵夫人の手紙を手に許可を求めに来たユリアーネに、うなずくしかなかった。
その後、マグダレーネのもとには二通の返信が届いた。
ユリアーネからの「喜んでうかがいます」と、ゾフィーからの「ユリアは泣いて喜んでいました」という、どちらも非常に満足できる内容であった。
娘のお習字を監視しながら手紙を読んでいたマグダレーネは、嬉しそうに言った。
「ユリアーネちゃん、泣いて喜んでいたのですって。かわいいわねえ、早く会いたいわ」
エレオノーレは手を止めて、少し考えてから口を開いた。
「お母様、お兄様にユリアーネ様も一目惚れしたらしいって、言ってませんよね?」
「ええ、言っていませんよ。さすがにまだ話したこともないのに。上手くいけばいいとは思うけれど、いざ会ってみたら、ということもありますからね」
母娘はうなずき合う。
「では『泣いて喜んでいた』も、言わないほうがよろしいですね。腑抜けになってお迎えしたのでは、百年の恋も冷めてしまいますわ」
「そうね、『印象は悪くなかったそうですよ』としておきましょう。それだけでも、浮かれてしまいそうだけど。またルイーゼ様たちと、向こうに行ってからのことを相談しないといけないわね」
エレオノーレはすかさず言った。
「それなら、わたくしがお手紙を書きますわ」
「そうねえ、ならそのままお書きなさい。ちょうどいいわ」
「ええぇ、普通に書きますわ……。人にお見せできないです」
「あら、わかっているのね。なら、ちゃんと練習して、終わったらお手紙を書きなさいね」
やっぱり母には敵わない、とエレオノーレはため息を吐いた。
クヴァンツ侯爵家での作戦会議も三度目となった。今回はアルベルトも同席することを許されたが、その場の全員に自分の恋心を知られていると思うと、なかなかに恥ずかしい。
「この度はいろいろとご尽力いただきまして、ありがとうございます」
「いいえ、侯爵領にお招きいただけるなんて光栄ですわ。グリュークス城はとても美しいそうですわね。楽しみですわ」
アルベルトの心情を察したルイーゼは、大人の対応をとる。
「ええ、城の近くに湖もありまして、馬で湖畔を巡ったり、舟遊びをしたりできますから、お楽しみいただけると思いますよ」
アルベルトの言葉を聞いたエレオノーレが、唐突にそれだわ! と大きな声を出した。
「なんですか、エレオノーレ、お客様の前で」
「失礼しました。あ、でも、そう、皆様は乗馬はされますの?」
「母とわたくしはまあ人並みに、でしょうか。ユリアはあまり機会がないようでしたから、乗れるけれど苦手だと言っていましたわ」
エレオノーレはにんまりと口角をあげる。兄はそれを見て眉をひそめた。
「どうやって、ユリアーネ様とお兄様が話す機会を作るか、考えていましたの。まさかお部屋でふたりきりにするわけにはいかないでしょう? 馬で湖へお誘いして、わたくしたちはちょっと走らせて先に行きましょう。ユリアーネ様は遅れてしまうでしょうから、お兄様はそこに寄り添って、ゆっくりお話しながらいらっしゃればよろしいわ」
まあ、と女性陣は感心し、アルベルトは妹のどうかしら? という自信に満ちた顔を苦々しく思いながらも、名案だと認めた。
「そうね。それなら、完全にふたりきりになることもなく、自然に会話ができるわね。そうしましょう。アルベルト、ここまでお膳立てしてあげるのだから、わかっているのでしょうね。あとは貴方が頑張るしかないのよ」
「……承知しました」
ゾフィーは次期侯爵の社交界での評判と、目の前のいささか情け無い姿との落差に驚いた。
――大丈夫かしら。でもユリアのあんな様子もはじめてなのよね。アルベルト様も同じなのかもしれないわね――
「アルベルト様、ユリアーネはアルベルト様に好感を持っているようですし、根が真っ直ぐな子なのです。ですから回りくどいことは、おすすめしませんわ。素直にお気持ちを伝えてあげてくださいませ」
大切な親友ですからと言われ、アルベルトはうなずく。
「貴女のような友人がいらっしゃることも、大変好ましいですね。心強いことです」
「そういう言葉をユリアーネちゃんにも、さらっと言えればよいのに」
優雅にティーカップを持つマグダレーネはおっとりと、しかし、的確に息子の弱点を突くのであった。
花が少なくなり、代わりに青々とした木々の葉が繁るようになる頃、クヴァンツ侯爵領のグリュークス城では、次期侯爵が朝から落ち着かない様子で歩き回っていた。
「……うっとうしいわ」
歩き回る息子によく似た顔立ちのマグダレーネは、常であれば美しい眉をゆがめてつぶやいた。
隣に座った侯爵は無表情でうなずく。
「お兄様、あと少し待つだけなのですから、せめて座っていらしたら?」
エレオノーレも朝から兄にいらいらさせられている。
母の美貌が損なわれないためにも、早く到着しないかしらと思っていると、家令が入ってきた。
「お着きになられたようですよ」
応接室を飛び出していくアルベルトを横目に、残りの侯爵家の人びともゆっくり立ち上がる。
玄関ホールへ向かうと、主賓の伯爵夫人よりも先に、子爵令嬢を迎え入れている次期侯爵が見え、三者三様の形で首を振るのであった。