3.伯爵夫人と伯爵令嬢のあれこれ
侯爵家の兄妹は、エレオノーレが友人と約束をしたから、と侯爵を言いくるめて、例年よりも少しはやく王都の別邸へと戻った。
侯爵夫妻は領地の仕事が残っていたため、兄妹ふたりだけでの帰京である。侯爵は多少訝しんでいるようであったが、「妹のわがままにつき合って、兄が護衛代わりを務める」ことは容認してくれた。
エレオノーレは早速、同じくはやく王都に戻っていた友人を招いてお茶会を開き、情報収集に勤しんだ。
アルベルトが自力で得た情報の通り、アルンシュタット子爵令嬢は夜会どころか、お茶会にすら出席していない。
子爵は事業に忙しく、子爵夫人が早くに亡くなっていることもあり、社交界とは縁遠くなっているようだ、と思われている。
同時に、子爵が見合いの相手を選んでいる間は、外に出さないようにしているのではないか、という話もあった。
そして、エレオノーレはアルベルトが舌を巻くほどのはやさで、彼女につながる人物にたどり着いた。
「子爵夫人の親友であったシュトルベルク伯爵夫人とその令嬢とは、社交界とは関係なく交流があるようだ」という重大な情報であった。
エレオノーレは、したり顔でアルベルトに伝えて兄のほおけた顔に満足すると、王都へ戻ったマグダレーネにもそれを知らせた。
「シュトルベルク伯爵夫人ね、伯爵も夫人も実直なお人柄で信用のおける方だわ。ご令嬢も控えめで素敵なお嬢様だったわね。あの方たちと家ぐるみでおつき合いなさっているのなら、まずは一安心ね」
門の前に並ぶ許可は得られそうだ、とアルベルトは安堵した。門に入れるかどうかはまだわからないが。
「そうねえ、そういうことなら、個人的に伯爵夫人とお嬢様をお誘いして、お話をうかがってみましょうか」
翌週にはシュトルベルク伯爵夫人とご令嬢が、クヴァンツ侯爵邸へ招かれた。
お茶会には何度か招待されたことのある侯爵夫人から、個人的にご令嬢も一緒に話をしたい、との手紙を受け取ったシュトルベルク伯爵夫人ルイーゼ・アマーリエは、大いに困惑した。
侯爵夫人に含むところはないが、唐突すぎる誘いに警戒心を抱くのは当然である。だが、断れる相手ではないので、とにかく失礼のないようにと娘のゾフィー・ヘレーネに言い聞かせ、親しくしているアルンシュタット家のワインを手土産に侯爵邸を訪れた。
「よくいらしてくださいましたわ、ルイーゼ様。ゾフィー様も、お久しぶりですわね」
「お招きにあずかりまして、ありがとうございます」
伯爵夫人はあえて、困惑の表情を隠さずに挨拶をした。マグダレーネにもそれは正しく伝わっていた。
「突然で驚かれましたでしょう? どうしてもおふたりにお聞きしたいことがありまして、失礼を承知でお手紙を差し上げましたの。お許しくださいね」
いえ、そんなことは、とこたえつつも伯爵家の母娘は戸惑うばかりである。そこへ、お茶の準備をする侍女とともにエレオノーレが入ってきた。
「娘のエレオノーレですわ。親しくお話しすることはあまりなかったかしら」
「エレオノーレです。これを機に仲良くしていただけたら嬉しいですわ。ゾフィー様はおいくつですの? わたくしは今年十九になりますわ」
「わたくしは十八になります。こちらこそよろしくお願いいたします」
少し場が和み、お茶を口にしたところで、マグダレーネが話しはじめた。
「お持ちいただいたワイン、アルンシュタット産でしたわね。近頃随分と評判がよいようですね」
「ええ、国王陛下に献上して、とてもお気に召していただけたとかで。実は、アルンシュタット子爵の亡くなられた奥様とは子どもの頃からの友人でしたの。忘れ形見のお嬢様もゾフィーと歳が近いものですから、今でも仲良くしていだいてますわ」
マグダレーネは、意外にはやく本題に到達したことに満足してうなずいた。そして、ルイーゼの様子を見て正攻法で進めることに決めた。
「もう正直に申し上げますわね。そのアルンシュタット子爵のご令嬢のことをお聞きしたくて、お呼びたてしたのです」
「ユリアーネのことを、ですか?」
今度はゾフィーが怪訝な表情になるが、マグダレーネはそれを打ち消すかのように、にっこりと美しい笑みを見せる。
「そう、ユリアーネ様でしたわね。これからお話しすることは、この場に留めていただきたいのですけど、よろしいかしら」
もちろん否やはないのであるが、ルイーゼの困惑が深まる。ゾフィーはと言えば、エレオノーレと顔を見合わせて、少し話が見えてきたらしい。
「承知しました」
「実はですね、我が家の長男のことなのですけど。毎年領地に帰ると、ふらりとひとりで出かけてしまうのですよ。各地を見て勉強して回っている、とか申してはいるのですけれど」
クヴァンツ侯爵家の嫡男と言えば、青玉の瞳を持つ美丈夫で将来有望、貴族のご令嬢の間ではかなり人気のある青年である。という噂はゾフィーはもちろん、ルイーゼも知っていた。
「アルベルト様ですわね。とても優秀でいらっしゃるとうかがっておりますわ」
「いえいえ。まあその愚息がですね、アルンシュタット領のワインに興味を持って、先頃実際にアルンシュタットへ行ったらしいのです」
うなずくルイーゼにも事情がわかってきた。エレオノーレが話を引き継ぐ。
「そこで兄はユリアーネ様をお見かけして、どうやら一目惚れしてしまったようなのです。でもユリアーネ様は社交界においでにならないでしょう? どのような方か存じ上げなくて。そうしたら、友人にシュトルベルク伯爵家と親しくしていらっしゃると聞いたものですから、おふたりにお話をうかがえないかと思ったのですわ」
ルイーゼは難しい顔をしている。話自体はとても微笑ましいことだが、諸々の事情がすぐに頭の中に浮かんだのである。
「……アルベルト様はおいくつでしたでしょうか」
「今、二十三ですわ。ただ、これまで社交界でもどちらのご令嬢とも親しくすることのなかった朴念仁でして、今回も本当にお見かけしただけで、ユリアーネ様とは口もきいていない有様なのです」
情け無いことでお恥ずかしいですわ、とマグダレーネは眉を下げる。おそらく本音だろうとルイーゼは思った。
「ユリアーネは十七になったところですから、歳の頃に問題はないとして、でも子爵家は……」
ルイーゼの言わんとすることは当然、婿取りのことである。マグダレーネも大きくうなずく。
「ええ、事情は存じておりますわ。ただ、わたくしもユリアーネ様を存じませんし、アルベルト自身もですからね。どのようなお嬢様なのかうかがった上で、ルイーゼ様のご意見をお訊きしたいのです」
ルイーゼは考え込んだ。ユリアーネは亡き親友の大事な一人娘、実の娘と同じく幸せになってほしいと心から願っている。
侯爵家の令息に見初められたというのも、本来なら喜ばしいことかもしれない。
「ユリアーネは本当に素直ないい娘ですわ。私、ゾフィーと同様に大切に思っておりますの。もちろんお父様である子爵も、それはもう大切にされています。今も見合い話の中から、これはという候補者を、吟味されているそうですわ。ただ、やっぱり本人の気持ちですわね。ユリアーネはおそらく、アルベルト様のことを噂にも知らないと思いますわ。どこかで引き合わせて、気持ちが向くことがあるなら、ほかのことはそれからでもよろしいのではないでしょうか」
マグダレーネは安心して微笑んだ。ルイーゼがこのように思うご令嬢であれば、少なくともアルベルトに頭ごなしに諦めろと言う必要はないだろう。
「そうですわね、各地の皆様も王都に戻られたでしょうし、近々お茶会を開く予定ですの。もちろんおふたりにも招待状をお届けしますわ。……ですが、ルイーゼ様、申し訳ないのですけれど、欠席していただけません?」
こうして、アルベルトとユリアーネを引き合わせるためのお茶会が計画された。
ただし、ルイーゼは「ユリアーネの気持ちがアルベルトに向かないようなら、諦める」ことは譲らなかった。もちろんマグダレーネも確かに、と約束したのであった。