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2.母と妹のあれこれ

 アルベルトが頭を抱えて、ため息まみれになっている。

 兄が常にはない不審な行動をとっていることに、妹のエレオノーレ・ドロテアはすぐに気がついた。


 いつもなら一人旅から帰ってくると、見聞きしたことを文書にまとめたり、騎士団の訓練に参加して稽古をつけてもらったり、となにかと忙しそうにしていた。

 しかし、今回は部屋にこもり、たまに出てきたと思ったらため息ばかり、普段とは別人のようである。


「お母様、ちょっとお話が」

 苦手なお習字(カリグラフィー)の練習に飽きたエレオノーレは、目の前で刺繍をしながら自分を監視している母に話しかけた。

「なにかしら、あらたまって」

「あらたまってのお話ではないのですけれど。お兄様のご様子、おかしくありません?」

「そうねえ、予定より早く帰ってきたのもはじめてのことだし、帰ってからの様子もおかしいわねえ」


 クヴァンツ侯爵夫人マグダレーネ・テレーゼは、かなりおっとりとした話し方をする。まさに貴婦人といった風情であるが、それが見せかけであることを家族はよく知っている。

「わたくし、ああいった症状に心あたりがあるのですけれど」

「まあ、エレオノーレ。母にもありますよ」

「お母様、そのお話、ぜひお聞きしたいですわ!」


 思わずエレオノーレは食いついたが、マグダレーネは取りあわない。

「娘に聞かせるような話ではありませんよ。そうねえ、確かにちょっとうっとうしいことだし、そろそろどうにかしましょうか」

 エレオノーレは母にかわされて残念ではあったが、苦行から解放される機会は逃さなかった。

「では、休憩してお茶にしませんか? お兄様もお呼びして」


 マグダレーネはもちろん娘の意図に気づいていたが、息子の様子も気にかかってはいたので、刺繍枠をテーブルに置いてうなずいた。

「ヴェラ、お茶の用意をしてちょうだい。あと、アルベルトを呼んできて。母が呼んでいますとちゃんと言ってね」

 母が侍女に指示する言葉を聞くと、エレオノーレはいそいそと道具を片づけはじめた。


 いかにも渋々という顔で現れたアルベルトは、忙しいのですが、と言った。

「あら、お兄様、騎士団に行かれるわけでもなく、お部屋にこもりっきりですのに、なにがそのようにお忙しいのですか?」

 エレオノーレは先にお茶を飲みながら、茶菓子に手をのばしている。


「……いろいろと、今回の旅で得たことをまとめたりしているのだ」

「そのわりには、書庫には一度しか入ってないようだし、持ち出していたのも貴族年鑑だったわねえ」


 アルベルトは座ってお茶を一口飲んだところで、咳き込む。母は少し顔をしかめたが、それについてはなにも言わず、話を続けた。


「今回はアルンシュタットに行ってきたのだったかしら。最近ワインが話題になっているところね」

「……そうです。子爵自ら葡萄栽培やワイン醸造を研究したり、専門家を招いたりして、手間をかけた事業が成功していると聞いて、行ってみようと思いまして。子爵の目がよく行き届いて、領民も生き生きと働いている。とてもよい所領でしたよ」


 嘘ではない。アルンシュタット領がワイナリーを中心に人が集まり、栄えている様子には学ぶことが多いと、確かにアルベルトは考えていた。ただ、それ以上に重要なことができただけなのだ。


「そう、素晴らしいわね。ならもっと見学してくればよかったのではなくて? 予定よりはやく帰ってきたわよね」

「じ、自分でも調べて勉強してみようかと……」

「でも、書庫には行っていない」

「……」


 ふふ、とエレオノーレが吹き出して笑う。

「お母様を相手にそこまで粘れることは尊敬しますけど、ちょっと苦しいですわね。お兄様」

 そこへマグダレーネも容赦なくたたみかける。

「アルンシュタット子爵には、ご令嬢がいらしたのだったかしら」


 アルベルトは白旗をあげた。母に呼ばれたときから嫌な予感はしていたが、嫌なことほどよくあたるものである。

「で? 正直におっしゃい」

 アルベルトは仕方なく、彼がアルンシュタット領で見た最も美しい光景について、話したのであった。


「まあ! お兄様の口からそのように詩的な言葉が出てくるなんて」

 口では感心しているが、エレオノーレの表情は完全に兄を馬鹿にしている。それがわかっていても、アルベルトはなにも言い返せない。


「それで? どういうご令嬢なのか少しは調べたのでしょう。方々から届いたお手紙にはどのように書いてあったのかしら」

 マグダレーネはどこまでも現実的である。それにしても母には全てお見通しであったことに、アルベルトは愕然とする。


「ユリアーネ嬢は今年デビューしたそうですが、夜会などにはほとんど出ていないようです。子爵が愛娘の婿がねを吟味しておられるそうで。それに彼女の器は子爵令嬢にしては大きいので、見合いの申し込みが殺到しているとか」

 話しながらアルベルトはうなだれていく。やはり自分は彼女に届かないのではないか。


「ひと言も話していない女性に、そこまでの想いを抱くなんて……」

 ――ちょっとどうなの? ――


 エレオノーレは賢明な娘であったので、最後の言葉は口に出さずに呑み込んだ。

「そうね、エレオノーレの言う通りだわ」

 母の言葉に顔を上げたアルベルトの表情は、なんとも言えない情け無いものであった。


 王都の貴族令嬢たちの間では、涼やかな青の瞳が素敵だと人気を集めている人が。

 ――台無しだわ――

 エレオノーレはこれもどうにか呑み込んだ。


「『そうだ』とか『ようだ』ばかりでは、結局どのようなご令嬢なのか、少しもわからないわ。貴方のことだから、どうせ子爵がどのような方か問い合わせて、ついでにご令嬢の話をかき集めたのでしょうけれど。殿方が子爵令嬢のご様子を詳しく知っているわけがないでしょう」


 アルベルトはぐうの音もでない。さすがに可哀想になってきたので、エレオノーレは助け舟を出す。

「アルンシュタット子爵令嬢、確かになんにもお噂は聞いたことがないですわね。でもわたくしのお友だちに聞いてみたら、知ってる方も少しはいらっしゃると思いますけど」

 どうします? とにやにやして上目遣いをする妹の顔を、アルベルトは実に嫌そうに睨みつけたが、ほかに手段がないことには変わりない。

「……お願いします」


 兄の悔しそうな顔を見られて、大いに満足したエレオノーレは、チョコレートを口に放り込みながらうなずいた。

「わかりました。まあでも、王都に戻ってからでないと皆様とお話できませんから。今できるのは、お茶会にお招きしますわ、とお手紙を書くくらいですわね」

「そうね、わたくしも同じようにしておきましょう」


 顔の広い母と妹のおかげで一縷の望みがつながったが、数か月はなにもできないとは! アルベルトの表情から全てを読み取ったマグダレーネがなだめる。

「今の時期は領地にいらっしゃる方ばかりなのだから、お見合い話が進むこともないでしょう。それよりも、しっかりとやるべきことをおろそかにしない。腑抜けたままなら、協力しませんよ」

「……承知しました」


「社交界の華やかなご令嬢たちに、見向きもしなかった貴方がそれほど言う方なのだから、ご縁がつながるといいとは思うけれど。まずは、どのようなご令嬢なのかを知らないとね」

「本当に、お兄様めあてにわたくしに近づいてくる方も多いのに、全く相手になさいませんものね」


 すると、アルベルトは憤然と言い放った。

「葡萄の中にいた彼女ほど美しい人はいませんよ。可能なら絵に描かせて飾っておきたいくらいだ」


 娘が父親似であるために、あまり似ていない母娘がまったく同じ表情になった。

「……お兄様。それ、もしそのご令嬢とお近づきになれたとしても、絶対に口にしないでくださいね」

 マグダレーネはただ首を横に振っていた。

アルベルト、歳上の頼れる旦那様になるはずなんですが。

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