09 閉鎖、いずれ来る終局
それは、突然告げられた。
カフェ「シティー・フォレスト」東京店の連絡用グループで、久保さんから一件のメッセージが届いていた。
『皆さま、とても残念なお知らせがあります。業績不振により、当店は来月末で営業を終了することになりました。つきましては……』
スマートフォンの画面を凝視したまま、俺は凍りついていた。もぞもぞとベッドから這い出し、何気なく通知をチェックしようとした矢先の出来事だった。
この数か月間、俺が働いてきた喫茶店が閉店する。文章を理解してはいても、頭が現実を受け止め切れずにいた。
久保さんからのメッセージは長々と綴られ、彼女もまた心を痛めているのだということは容易に推察できた。当たり前だ。人手不足の中、久保さんが一生懸命に切り盛りしてきた店なのだから。
系列店の中でも利益を上げられておらず、「シティー・フォレスト」グループを運営する親会社から通達があったこと。閉店までに在庫を処分するため、来月からは大幅な値下げを行うこと。何かを諦めたように、彼女は事実ばかりを淡々と羅列していた。
店を閉めることになったと知れば、田村さんは悲しみ、同時に喜ぶだろうなと思う。
(ほら、私の言った通りだったでしょう)
前と同じ、勝ち誇った笑みを浮かべて彼女は続ける。
(この店は割と気に入ってたから、ちょっと残念ね)
田村さんの思い通りに事態が進んでいるのが、どうも気に食わなかった。
俺は再びベッドに横になり、眠くもないのに何度も寝返りを打った。のんびりと朝食をとる気にはなれなかった。
翌日、俺はどんな顔をして店に行けば良かったのだろう。
シフトを休むわけにもいかず、俺はいつもの時間に出勤した。事務所で制服の茶色にエプロンを着て、さっそくレジに入る。
三好さんが俺を見て、ぺこりと頭を下げた。相変わらず礼儀正しい人だ。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
軽く頷き、俺は仕事に取りかかろうとした。
まずはコーヒーマシンの掃除からだ。時々手入れをしてやらないと、この働き者は内部にコーヒー豆の残りかすを溜め込み、詰まらせてしまう。
清掃用のミニブラシを手にマシンと向き合い、あくまで平静を装って言う。
「三好さんも、店長からの連絡見た?」
「はい」
心なしか、彼女の表情は強張っていた。
「これからどうなるんだろうな、俺たち」
豆の残りかすが溜まった容器の中身を、ブラシを使ってゴミ袋の中に落としていく。作業をしながらでないと、俺は落ち着いて会話ができそうになかった。
「私は……」
三好さんが何か言いかけたそのとき、厨房の奥から久保さんが顔を出した。いつになく真剣な眼差しで、俺を見つめてくる。
「……そのことなんだけど、真木くん、ちょっといいかな」
普段なら既に仕事を終え、大学院に行っているはずの時間である。店に残り、俺に話を持ち掛けてくるということは、それなりの事情があるに違いなかった。
「分かりました」
少しの間三好さんにレジを任せ、俺たちは空いている席に向かい合って座った。
思えば、初めてこの店を訪れたときも酷似した構図だった。
客席に俺と久保さんが腰掛け、レジには三好さんが立っている。ただしあのときと違うのは、採用されるための面接ではなく、閉店に伴い、半強制的に解雇されるのだと知らしめるための面談であることだ。
久保さんも、もはやにこやかな笑顔を浮かべてはいない。張り詰めた硬い表情で、おもむろに話し始める。
「確か、真木くんにも前に言ったよね。私は大学院で経営を勉強してて、いつか自分のお店を持ちたいと思ってるって」
「はい。覚えてます」
仕事も勉強も頑張っていて、素敵な大人の女性だと感じたものだ。しかし、それが閉店の件とどう関係してくるのだろうか。
「……真木くん」
久保さんは上目遣いに俺を見て、囁くように言った。流れ星に願い事をするようなその仕草は、ささやかな祈りに似ていた。
「シティー・フォレストが閉まった後、私のお店に来るつもりはない?」
「久保さんのお店に……?」
呆然とした俺に、彼女は一転、営業用らしいスマイルで続けた。
「独立して、新しくカフェを始めるつもりなの。思ったよりも早い開店になりそうだけど、資金面は準備してあるから大丈夫だよ」
渡りに船というか、タイミングが良すぎる。
もしかすると久保さんは、近いうちにこの店が閉まることを予測していたのではないか。店長という立場なら、店の経営悪化に気づかなかったはずはない。
もちろん、彼女だって店を立て直すために努力したに違いない。けれども、物事には限界というものがある。いくら頑張っても、どうにも変えられないことがあるのだ。だから久保さんは、沈没しかかっている船からボートで逃げ出そうとするように、第二の選択肢を用意していたのかもしれない。
「でも、人手が足りなくてね。真木くんみたいに仕事ができる人が来てくれたら、すごく助かるな」
次の言葉を聞くまでは、悪くない提案だと思えた。
「……できれば、正社員として長期間働いてもらえると嬉しいな」
一瞬、俺は耳を疑った。
俺が体を硬くしたのに気づいたのだろうか、久保さんは精一杯の笑顔でセールストークを続けた。
「真木くん、そろそろ就活とかやるんでしょ? 慣れた職場の方がいいかなあ、なんて」