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07 再訪、つまり目を逸らせない

 この頃は、バイト仲間ともだいぶ打ち解けてきた。よく顔を合わせる三好さんも例外ではない。

 最初は口数の少なかった彼女も、一緒に仕事をする中で、ちょっとずつ自分のことを話してくれるようになった。

 三好さんは都内にある私大の文学部に在籍していて、現在は二年生だという。俺より一つ年下だ。シティー・フォレストでは、大学に入ってすぐの時期から今まで働き続けている。バイト先を転々としてきた俺とは大違いで、一つの物事にコツコツと取り組めるタイプなのだろうと思う。彼女は真面目なのだ。

 今日のシフトは、三好さんと俺の二人きり。久保さんは大学院の講義があるとかで、早々に帰ってしまった。

 相変わらず空きが目立つ客席をレジから眺め、俺は何とはなしにため息を吐いた。清掃は大方完了したものの、閉店まで腐るほど時間が余っている。

「今日も暇になりそうだな」

「ですね」

 三好さんが困ったように微笑む。

 バイトでは先輩なのだから、彼女には敬語を使うべきなのかもしれない。しかし、俺の方が年齢は上だ。

 控えめな三好さんは、俺がどう呼ぼうが嫌な顔を見せることはない。いや、相手が誰であっても不快感を露わにはしないだろう。タメで話すのが何となく定着してしまっているので、今はとりあえずそれで通している。

「……アイスコーヒーの残り、ありますよ」

 しばらく間があって、三好さんが声をひそめて言った。

 うちの店ではアイスコーヒーを一定量作り置きしていて、余った分は廃棄処分することになっている。だが、それは表向きの話。「どうせ捨てられるのなら、使わなきゃもったいない」との考えに基づき、従業員たちが仕事の合間に一杯飲んでいる。

もちろん久保さんに見つかったら怒られるから、犯行は彼女が帰ってからなされるのが通例である。

「俺はいいよ。あんまり喉乾いてないし」

 軽く首を振って、俺は答えた。半分は本音で、もう半分は嘘だった。

 一度だけ、休憩がてらに飲んだことがある。確かに美味しかった。ありきたりな薄いコーヒーとは違い、良い豆を使った濃厚な味。これだけ美味いものをただで飲めるなんて、素晴らしい職場だと感動したほどである。

 しかし一方では、久保さんを裏切った罪悪感に襲われた。彼女は純粋な人だから、きっとアルバイトの俺たちは真面目に仕事をしていると思っている。その信頼を捨ててまで、この一杯を口にする価値はあるのか。砂糖をたくさん入れたはずなのに、気づけば口の中には苦い味が広がっていた。

 バレなきゃいい、という問題ではない。俺の心がそれを許さないのだ。

「それより、三好さん飲んできなよ。レジは見とくからさ」

 誤魔化すように言うと、彼女は小さく会釈し、はにかむように笑った。

「すみません。じゃあ、ちょっとだけ失礼します」

 三好さんがいそいそと厨房に引っ込むのを目で追っていて、レジの前に客が立っていることに気がつくのが遅れた。気配を感じ、俺は慌てて正面へ向き直った。

「いらっしゃいませ」

 そして、見慣れた顔の客と視線がぶつかった。

「あら、また会ったわね」

 ブロンドの女は妖艶な笑みを浮かべ、いつものメニューを注文した。迷う素振りもなかった。

「アイスカプチーノのMサイズをいただくわ」


 ドリンクを手渡してから、一分もしないうちの出来事である。席に着いた女は手を挙げ、俺に見えるようにひらひらと振った。こっちへ来い、ということらしい。

 彼女が腰掛けているのは、二人掛けのテーブルの一方である。

(もし他に客が来ても、三好さんが対応してくれるはずだ。少し話をするだけなら、問題ないだろう)

 彼女と話すのは気が進まないが、客を無視してクレームをつけられても面倒だ。ひとまずは対応せざるを得ない。

 俺はレジを抜け、女の反対側の席に座った。一応仕事中なので、制服のエプロンは外さないままだ。

「何でしょうか」

 また店の経営状況を危ぶんだり、俺の久保さんへの気持ちを邪推するつもりだろうか。もしそうならば容赦しない。そういう思いを言外に込めたつもりだったのだが、女は意に介さなかった。

「あなたに忠告しておこうと思って」

「……俺に?」

 怪訝な表情をつくった俺に、彼女は笑みを崩さずに続けた。

「そろそろ、身の振り方を考えておいた方が良いんじゃないかしら」

「どういう意味ですか、それは」

 会話が微妙に噛み合っていない。混乱しつつ、俺は質問を重ねた。

「文字通りの意味よ」

 そう言って女は腰を屈め、テーブルの下に置いた鞄からノートパソコンを取り出した。藤堂さんが使っていたものよりも、さらに薄いモデルだ。

 パソコンを起動させ、細い指がキーボード上を滑らかに移動する。画面に目を向け、女は自分の作業と俺との会話を並行して進めた。案外、忙しい人なのかもしれない。

「分からない? この店が、じきに潰れるってこと」

 明日の天気の話でもするかのような、何気ない口ぶり。彼女の残酷な台詞に、俺は少しの間言葉を失っていた。


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