表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/14

06 対峙、そして残酷な真実

 カプチーノの注がれたカップを受け取り、席についてすぐのことである。

「……ちょっと、店員さん」

 先ほどの女性が小さく片手を挙げ、ひらひらとこちらに振った。何か問題が発生したのだろうかと気が気でなく、俺はレジから出て客席に向かおうとした。

「真木くん、私が対応するよ」

 それを制し、久保さんが女性客へ申し訳なさそうに会釈したときだった。

「あなたじゃないわ。私が用のあるのは、その子」

 ブロンドの女は、大げさに首を振った。そして、俺の目を見つめて蠱惑的な微笑を浮かべた。

 今まで、こういうことを言われたのは初めてだったのだろう。久保さんは思わぬ展開に固まってしまい、風変わりな客に何も言い返せなかった。

 上等だ。相手が妙な注文をつけてくるのなら、正面から受けて立ってやる。俺は彼女の横をすり抜け、問題の客の元へ足早に向かった。

 そうすることで久保さんに良いところを見せられる、という計算があったかは分からない。


「何か、お困りでしょうか」

 テーブルの横に立ち、緊張気味に声を掛ける。女はすぐには答えず、長い足を組み替えて沈黙を守った。スカートが短いせいで、目のやり場に困る。

「ねえ、あなた」

 やがて女性の視線が上に向けられ、俺と目が合う。白い肌と赤い口紅のコントラストが、幻想的な印象を与えてくる。心なしか潜められた声は、俺たちは何か良くないことをしているのだ、と暗示するようだった。

「どう思う? この喫茶店について」

 提供したカプチーノに問題があったわけではないらしい。予期しない質問に驚きながらも、俺はなるべく無難な答えを返そうとした。

「一従業員として、良い店だと思います。床材やテーブルに木を用い、内装も木目調にすることで『都会にいながら自然を感じられる店』をコンセプトに……」

「違う、違う。そういうマニュアル的な回答を求めてるんじゃないのよ」

 俺の答えは、彼女の意に添わなかったようだ。顔の前で手を振り、ブロンドの女は失望感を隠そうともしない。

「私が聞きたいのは、この店の状況」

「……状況?」

「そう。特に、経営状況ね」

 はっとして見返しても、女は動じた様子を見せずにからからと笑った。とても楽しそうな笑い方だった。

「お客さん、数えるほどしかいないじゃない。私も何年か前からここに通っているけれど、今ほど閑散としてはいなかったわ」

「それは、そうかもしれませんが」

 一か月ほど前から働き始めた俺には、昔と現在を比較してみることはできない。だが、女の言うことは間違っていないという確信もあった。

 事実、今この店は、シティー・フォレスト東京店は絶望的に客数が少ない。客が来なければ商品も売れ残り、廃棄ロスも出る。十中八九、店は赤字経営だろうと思う。

 反論できない俺に、彼女は容赦なく言葉を並べ立ててくる。まるで、見えないマシンガンで体を蜂の巣にされているような感覚だ。現実という名の銃弾が、俺を貫いていくのだ。

「まあ、しょうがないかもしれないわね。駅前に新しくカフェもできたし、お客さんはそっちに流れちゃったんでしょ。仕方ないことよ」

 しかし、他人事のように店を馬鹿にされ、憐れまれるのには我慢ならなかった。俺は女を軽く睨みつけ、冷たい声音で言った。

「心配して下さるのは嬉しいですけど、こっちにも仕事があるので。失礼します」

 本当は、最低限やるべき業務は終わっている。それでも店員のプライドとして、俺は精一杯の意地を張って立ち去ろうとした。

「あっ、ちょっと待って」

 女の細い手が無造作に伸び、俺のシャツの袖を掴んだ。意外に強い力で俺を引き寄せ、腕と腕とを絡ませてくる。ほのかな温もりと柔らかい感触にどきりとして、俺は足を止めた。

「話したいことはもう一つあるの。……あなた、あの人のことが好きなんじゃない?」

 女は俺に悪戯な笑顔を向け、それから横目で久保さんを見やった。

 幸か不幸か、久保さんは発注業務に集中していて、こちらで行われているやり取りには気づいていないようだった。

 頬がかあっと熱くなるのを感じる。俺は無理やりに腕を振り払い、女から体を離した。呼吸が荒くなっているのを自覚した。

「何言ってるんですか。別に、そんな関係じゃないです」

「……あら、可愛くないわね」

 面白くなさそうに呟き、女は眉根を寄せた。どうやら引き止めるのを諦めてくれたらしく、俺は足早にレジへ戻った。


「真木くん、おかえり」

 俺に気がつくと、久保さんは少し心配そうにこちらを見上げてきた。

「何の話をしてたの?」

「いや、大したことじゃないですよ。カプチーノの味が前と違うとか、何とか」

 本当のことを言えるはずもない。適当に誤魔化したところ、久保さんはそれで納得してくれたようだった。

「そっかあ、カプチーノが……うーん、どこが駄目だったんだろう」

 発注用の端末から離れ、不意にぽんと手を叩く。

「よし、試しにもう一つ作ってみようか」

「えっ?」

 ぽかんとしている俺をコーヒーマシンの前へ引っ張っていき、久保さんは眩しい笑顔を向けてきた。

「もしかしたら、機械に問題があるのかもしれないし。原因を探ってみようよ」

 ああ、そうか。

 この人はどこまでも真っ直ぐで、真面目で、一生懸命で、俺がついた嘘を何の疑いもなく信じてしまえるほどに純粋なのだ。

 この人の笑顔を、幸せを守りたい。そういう衝動が不意にこみ上げてきて、俺は密かに決意した。

久保さんには、さっきの女性客の悪意に絶対に触れさせない。

 何を思ったのか、彼女は話し相手として俺を選び、目を逸らしたい事実を突きつけて攻撃した。もし久保さんが同じ目に遭えば、深く傷ついてしまうかもしれない。取り返しのつかないことになるかもしれない。

 女が指摘したように、俺は久保さんを好きなのだろうか。愛しているのだろうか。

 正直なところ、自分ではその気持ちを認めたくなかった。学生と社会人、店長と従業員という立場の違いもさることながら、いくらかの年齢差も考えるとやはり現実的でない恋だ。

 もちろん、久保さんがとても魅力的な女性であり、俺が彼女に惹かれていることは否定しがたいのだが。

 二杯目のカプチーノを作り終えてから、ふと客席を眺めた。いつの間にか、ブロンドの女は店から姿を消していた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ほろ苦い青春を突き進む主人公って感じのストーリーですかねえ? それにしてもあの金髪の常連さんは一体…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ