04 転換点、すなわち分岐点
「ういっす」
次のシフトは、他店からヘルプに来た藤堂さんと一緒だった。明るい栗色に染めた頭を軽く下げ、彼は早速仕事に取りかかった。
藤堂さんはアパレルメーカーに勤務する傍ら、ダブルワークとして喫茶店「シティー・フォレスト」でも時々働いているという。年齢は俺よりも数個上だ。
手慣れた様子で作業をこなしていく藤堂さんに、俺も負けないように頑張った。牛乳ポット、飲み残しが入ったコンテナの清掃。それから、先日三好さんに教わった通りに床を綺麗にしていく。
今日は久保さんのシフトは午前中のみで、午後から大学院へ行くらしい。三好さんも来れないとのことで、やむを得ずヘルプを呼んだというわけだ。
俺がシフトを入れていなければ、もう一人ヘルプが必要だっただろう。店の人手不足は、思っていたよりもはるかに深刻であった。
「真木くんもさ、こんな暇な店じゃ退屈でしょ」
一通り掃除を終えた折、藤堂さんはレジ周りをぶらぶらと歩きながら言った。客席も僅かにしか埋まっておらず、お互い手の空いていた時間帯だった。
「いやいや、そんなこと……」
否定しかけたが、改めて店内を見渡すと客の少なさが嫌でも目に付く。まだ他の系列店へ派遣されたことはないが、一般的な水準を下回っていることは俺にも分かった。
「ここ、夜は全然お客さん来ないからね。時間の潰し方を考えといた方がいいかもよ」
にやりと笑い、藤堂さんは厨房の奥へと引っ込んでしまった。いつの間に事務所から取ってきたのか、右手には一台のノートパソコンがある。
「悪いけど、ちょっと仕事の続きをしてても大丈夫? レジが忙しくなったら、すぐそっちに応援行くからさ」
「あ、はい。了解です」
バイトの先輩相手に断れるはずもなく、俺は二つ返事で承諾した。数秒後には、軽快にキーを叩く音が鼻歌混じりに聴こえてくる。
小一時間が経った頃、不意に藤堂さんが厨房から顔を出した。
「仕事、終わったんですか」
話し相手もいないままレジに立ち続けるのは、ある種の苦行だった。我慢の限界を感じていた俺は、一握りの期待を込めて尋ねた。
「いいや。まだレイアウトの編集が終わってない」
藤堂さんがやや不機嫌そうに答える。
「ねえ真木くん、十分だけ休憩貰ってもいい?」
「いいですけど……」
俺は困惑を隠せなかった。
勤務中に休憩を取れるのは、シフトが七時間以上の場合のみと決まっている。俺と藤堂さんのシフトはどちらも六時間で、無断で休憩をとるのは給料泥棒に等しい。
「大丈夫、煙草吸ってくるだけだからさ」
何でもなさそうに言って、藤堂さんは自動ドアをくぐって店を出てしまった。客数が少なくて暇なのをいいことに、何でもありである。
正直なところ、俺は彼の態度に失望していた。
最初こそ仕事のできる先輩かと思ったが、実際は正反対だ。作業を前倒しで行ってさっさと終わらせ、自分のしたいことをしているだけだった。
『私、真木さんが入るまでは、ヘルプで来てくれる方とばかりシフトを組まされてました。正直、ちょっと寂しかったです』
三好さんの気持ちが、今ではよく分かる。もし、藤堂さんみたいな人ばかりといつも一緒に働いていたら、きっと気が滅入るに違いない。大人しくて気弱そうな三好さんは、ああいうタイプの男性を苦手にしているのかもしれなかった。
『だから、真木さんが入ってくださって嬉しい』
経緯はどうあれ、俺は彼女にある種の期待をされている。それを裏切らないよう、自分なりに一生懸命働こうと思った。
藤堂さんが一服しに行ってしまって、店に従業員は俺一人となった。
もうすでに、思いつく限りの場所は掃除し終えている。洗い物も特にない。暇を持て余し、俺も厨房の奥でスマホでもいじろうかな、と思いかけたときだった。
静かに自動ドアが開く。店内に足を踏み入れたのは、藤堂さんではなかった。まだ休憩時間の十分は経っていない。
長く伸ばしたブロンドの髪には、緩やかなウェーブがかかっている。灰色のスーツに紺のコートを羽織り、膝上のスカートから覗く足は細く長く、健康的に見えた。
久保さんより少し年上か、同年代くらいか。いずれにせよ、若く美しい女性であることに変わりはなかった。
彼女は、俺が立っている真ん中のレジへとつかつかと歩み寄った。近くに立たれると、香水の良い匂いがした。
「いらっしゃいませ」
笑顔で応対すると、女性は少し驚いたように俺の顔を見た。
「……あら。新入りさんかしら」
「はい。一週間ほど前から、ここで働かせてもらっております」
どうやら、スタッフの顔を個別に認識できるほどの常連のようだった。彼女は俺の返事を聞き、にっこりと笑った。十分に魅力的である一方で、どこか威圧するような印象をも与える笑みだった。
「そう。じゃあ、アイスカプチーノのMサイズをいただくわ」
何の確証もなかったが、この女性とは今後も顔を合わせそうな気がした。コーヒーマシンがカプチーノを注ぐ様子を眺めながら、俺はそんなことを考えていた。




