02 面接、あるいは終わりへと続く道
「今、暇だから。空いてる席に適当に座って」
そう促されて、俺は二人掛けの席についた。反対側には、このカフェの店長が腰掛ける。
なるほど、確かに店内はがらがらだった。木目調のテーブルや床材、天井から垂れ下がる小さなシャンデリアがお洒落な空間を演出している。
何となくデートっぽい構図ではあるが、男はリクルートスーツを着込み、女は店の制服らしい赤いエプロンを着ている。あくまで、これは事務的な手続きなのだ。
茶封筒に入れて提出した履歴書に、彼女はしばらく目を通していた。無言で文字を追う姿を眺め、俺はやや意外に感じていた。
随分と若い。
店長が面接するというから、もっと年上の人が出て来るのかと思っていたのだが。ぱっと見、彼女は二十代半ばくらいにしか見えない。念入りにメイクすれば、女子大生だと偽っても通りそうだ。
小柄で童顔なのも、若々しい印象を余計に強めていた。
俺の視線には気づかない様子で、彼女はやがて顔を上げた。
「履歴書ありがとうね、真木くん」
必要な書類を提出するのは当たり前で、別に礼を言われなくても良い。俺の考えに反し、店長はにこにこ笑って感謝の意を伝えてきた。
「あ、いえいえ」
つい、こちらも笑みを浮かべて返してしまう。彼女が手にしている履歴書には、「真木準也」と俺の名前が記されていた。昨夜、急いで書き上げたものだった。
「私はこの喫茶店の店長をしてる、久保梓です。よろしくお願いします」
頭を下げた拍子に、ポニーテールにした彼女の黒髪がゆらゆらと揺れた。たったそれだけのことなのに、優雅な仕草に思わず見とれかけた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
僅かな動揺を悟られぬよう、俺は無難な答えを返した。久保さんは俺の心境など知らず、再び履歴書へ視線を戻している。
「へえ、前は塾講師をしてたんだね」
彼女の目は、「職歴」の欄の辺りを行ったり来たりしていた。大学生の俺に就職した経験などないが、今までに経験したアルバイトくらいならと、簡単に記載しておいたのだ。
「はい。今は辞めてますけど」
基本的に、教育関係のバイトはスーツ着用で臨まなければならない。今日の面接に着てきたスーツも、塾講師時代に着慣れている。
「ふーん。ちなみに、何で辞めちゃったの?」
興味本位だ、というニュアンスで店長は問うてきたが、ここは慎重に応じなくてはならない。一つの仕事が長続きしない人間だと判断されれば、面接で落とされる場合がある。
「……まあ、自分に合わなかったからですかね。個人指導の塾だったんですけど、生徒が言うことを聞いてくれなくて」
なるべくオブラートに包んだ表現をしたところ、久保さんは「そうなんだ」と微笑んだ。とりあえず第一関門はクリアできたようだ。
(しかしこんなことなら、塾講師の経験なんて履歴書に書くんじゃなかったな。余計な心配が増えただけだ)
実際は、俺のプライドが仕事を続けることを許さなかったから辞めたのだ。
どいつもこいつも、うちの塾にやって来る中高生は馬鹿ばかりだった。しかも学習意欲が皆無ときていて、俺がいくら熱心に解説をしても耳を傾けてくれない。当然、宿題もろくにやらない。
偏差値六十以上と言われる進学校を卒業した俺にとって、そんな奴らを相手にするのは苦痛でしかなかった。俺は世間一般的に見て優秀な部類に入るのだ。何で俺が、底辺のお前たちの相手をして神経をすり減らさねばならんのだ。
将来性のない馬鹿どもめ、と散々心の中で罵倒した覚えがある。結局、担当していた生徒の無断欠席が相次いだことにうんざりして講師を辞めた。
つい一か月ほど前のことを回想している間にも、久保さんは履歴書の別の項目を見ていた。軽く目を見開いた仕草にも、どこか気品のようなものがあった。
「えー、四国出身なんだね。遠いなあ」
またそれか。俺は予想通りの反応を前に、何の感情も抱かなかった。
愛媛出身であると関東の人間に明かした場合、大抵は「遠いね」「蜜柑が美味しいね」としか言われない。他にも色々あるだろうにと思うが、残念ながら、四国に行ったことのある関東人自体が数少ないのだ。イメージが貧困なのもしょうがないかもしれない。
「飛行機で一時間半はかかりますよ」
具体的な数値を上げ、俺は愛想笑いを浮かべた。
「大変そう……」
久保さんは関東圏の生まれなのだろう。長い旅程を想像したのか、あらぬ方向をぼんやりと見つめている。
彼女の言う通り、実家とこっちを往復するのには費用も体力も使う。
大学受験のときなんかは本当に大変だった。受験前日の夜から当日の朝にかけてホテルに泊まり、終了と同時に慌てて空港へ向かった覚えがある。当時は関東の路線図がまるで迷宮のように思えて、電車を乗り換えるだけでも一苦労だった。
けれども、試練を乗り越えたおかげで今の俺があるのだ。さすがに、そのエピソードまでも久保さんに話すわけにはいかない。
その後もいくつか質問をされたが、面接は特に問題なく終わった。
「真木くんってラインやってる?」
書類を片付けてから、久保さんは唐突にこう尋ねてきた。
「はい、やってます」
いきなり何だろう、と訝しんだのも束の間、彼女は自分のスマートフォンをずいと差し出してきた。
「うちの店の連絡用グループに招待したいから、交換してもいいかな」
「分かりました」
頷き、コード認証でスムーズに連絡先を交換する。それが終わると、早速一件の通知が来た。
『「シティー・フォレスト東京店」に招待されました』
久保さんによると、都会の中の自然、オフィスの片隅にある憩いの場という意味らしい。
「夕勤が人手不足だったから、真木くんが入ってくれて嬉しいな」
幸せそうな笑顔を浮かべている久保さんを見て、俺はふと違和感を覚えた。
面接終了と同時に、連絡用グループに招待されたこと。「夕勤が増えて安心だ」と久保さんがほっとしていること。これらを総合して考えると、俺はシティー・フォレストに即採用されたも同然だった。
何だ、案外楽勝じゃないか。塾講師に応募したときは、実力テストみたいなものを解かされたものだ。こんなちょっとしたお喋りだけで終わりだなんて、ちょっと呆気なくさえ感じた。
「夕方から夜にかけて入れる人がね、私と三好さんしかいなかったの。真木くんが来てくれたら心強いかも」
見目麗しい女性から頼られて、嫌に思う男性はごく僅かだろう。俺はそうではない。
「頑張ります」
元気よく答えてみせ,何とはなしに店内を見渡した。
レジに立ち、てきぱきとコーヒーマシンを操作している一人の女の子がいた。今の時刻は午後六時、夕勤に該当する時間帯である。
もしかすると、あれが「三好さん」なのだろうか。地味で控えめな女性、という第一印象を受ける。お客さんに応対するときの声も少し小さめで、気弱そうな感じだった。
年齢は俺と近いように思われる。少なくとも、久保さんよりは年下だろう。
今後、新しいバイト先でどんな出来事が待っているのか、この時の俺は何も知らなかった。