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12 誤解、悲劇の連鎖

 閉店が告知され、在庫処分のため商品の大幅な値下げが行われるようになると、徐々に客足が増えた。もっとも、焼け石に水程度のものではあるのだが。

 常連が足を運ぶ頻度も高くなったような気がする。田村さんもその中の一人だった。

「さすがに今日は混んでるわね」

 きょろきょろと店内を見回し、空いた席にハンドバッグを置いてからレジへと足を向ける。俺がレジに立っているときを狙ったかのようだ。

「アイスカプチーノのLサイズをいただくわ」

 普段よりもワンサイズ大きい。少し驚いた俺に、田村さんがチャーミングな笑顔を向けてくる。

「最後くらい、売り上げに貢献してあげる」

 

 マシンがカプチーノを注ぎ終わるまでには、いくらか時間がかかる。レジに並ぶ列が一瞬途切れたのをいいことに、田村さんはレジのカウンターへ身を乗り出し、俺の方へ顔を近づけてきた。

 甘い香りが鼻孔をくすぐる。灰色のスーツに包まれた胸元から目を逸らし、俺は作業を続けようとした。この人と関わると、ろくなことにならない気がする。田村さんはいつも俺の心をかき乱し、動揺させてくる。

「本当に閉店になっちゃったね。どう? 考え直すつもりはない?」

「何がですか」

 素っ気なく返した俺に、彼女は執拗に迫る。

「決まってるでしょ。私の仕事の手伝いをしに来ないか、って話」

「それは」

 言いかけて、マシンがドリンクを作り終えたのに気づく。慌ててカップを手に取り、田村さんの元へ運ぶ。

 俺の将来のことは俺が決めますから、とか何とか。断るための文句は色々と考えついた。

 けれども、それを口にする前に、俺たち二人の間に第三者が割って入ったのだ。カプチーノを田村さんに渡してすぐだった。

「……真木さんから離れて下さい」

 床清掃のためレジを離れていたはずの、三好さんの姿がそこにあった。いつの間に戻ってきたのだろうか。田村さんを前にしても怯む素振りを見せず、凛とした声音で言い放つ。

「お願いです。これ以上、真木さんを困らせないで下さい」

「あら。店員の分際で、客に対する態度が悪いわね」

 田村さんが柳眉を逆立て、苛立ったようにブロンドの髪の毛先を弄ぶ。

「あなたに口出しされる筋合いはないわ。これは、私と彼との問題だもの」

「いえ、あります」

 三好さんは、僅かに逡巡したかに見えた。続いた言葉は俺にとって予想外で、衝撃を伴うものだった。

「真木さんは、私にとって大切な人ですから」

 さすがの田村さんも、これにはすぐに言い返せなかった。何事かをぶつぶつと呟きながら、カプチーノを手に席へ戻っていく。

 それを見届けて、三好さんはようやく溜めていた息を吐き出した。俺の方を振り向き、照れ笑いを浮かべる。

「……これで、もう大丈夫ですね」

「あ、ああ」

 突然のことに、俺の理解はなかなか追いつかなかった。

 不意に手首を掴まれて、どきりとした。三好さんが俺の手を引き、レジ奥から続く厨房へと連れて行こうとする。

 あそこなら客席からは見えないし、監視カメラもない。仕事が暇なときにずる休みをするにはうってつけのスペースなのだが、今日ばかりは使用目的が異なるように思えた。

 戸惑ったままの俺を厨房の隅へ誘い込み、三好さんはいきなり俺の胸に飛び込んできた。目には涙さえ浮かべている。

「真木さんっ」

「……三好さん、一旦落ち着いてくれ」

 こんなことは間違っている。そう思って密着した体を引き剥がそうとしたのだが、彼女の細い腕には予想以上に強い力がこもっていて、振りほどくことができない。

 いや、男の俺が全力を出せば、突き飛ばすことだってできたかもしれない。ただ、俺の中の何かがそれを押し止めたのだ。そんなことをしてはいけない、現状を維持せよと。

 彼女の体温が、鼓動がじかに伝わってきて、どぎまぎしてしまう。三好さんは俺の言葉が聞こえなかったのか、震える声で独白を続けた。

「私、今までずっと一人でした。お願いです。私を離さないで」

 そして上目遣いに俺を見て、甘えるような声を出した。とろけそうな笑顔もセットだった。

「私も、一生懸命に真木さんのことを愛しますから」


 そうか、と俺は悟った。

 俺はとんでもない過ちを犯してしまったのだ。以前、三好さんに向けて言ったあの台詞を、彼女は告白を意味したものだと解釈している。

(違うんだ、三好さん。俺はそういうつもりで言ったんじゃない)

 本当は、そんな風に叫んでしまいたかった。だが、理性が真実を告げることを許さない。

 三好さんの心は不安定で、脆い。きっと、今までの人生も辛いことの連続で、何かに縋ることでしか生きていけないのだろう。彼女の支えになってやれるのは、おそらく俺だけだ。

 そんな彼女に、本当の気持ちを言えばどうなるか。あれは告白などではなく、俺は君のことを愛してはいないのだと明かせば三好さんはどんな反応を見せるか。

 好きな相手と異性が会話しているのを見ただけで、先刻のように取り乱すくらいなのだ。俺の本心を告げれば、彼女の心は壊れてしまうだろう。勘違いして舞い上がっていた自分を嫌悪し、果てしない暗闇の中へと三好さんへ沈んでいってしまうかもしれない。

 それだけは、絶対に回避せねばならなかった。ゆえに俺は嘘をついた。傍から見れば、罪深い嘘かもしれない。

「俺も、三好さんのことが好きだ」

 彼女の腰に優しく手を回し、抱き寄せる。耳元で囁かれた愛の言葉に、三好さんは幸せに包まれて悶えているに違いなかった。


 三好さんがお手洗いに立った隙に、田村さんがまたレジへやって来た。性懲りもない人だ、と心底うんざりする。

 もう一杯何かオーダーするわけではなく、彼女はにやにやと笑いながら俺を見つめるばかりだ。

「ねえ」

「何ですか」

 もし同じ話を繰り返そうとしてきたら、すぐにでも追い返すつもりだった。ところが、そうではなかった。

「君は、あの子のこと好きなの?」

 予期せぬ質問に、俺は絶句した。

 愛しているわけがなかった。俺が本当に憧れているのは、別の人物なのだ。

 我ながら、無様な姿を晒していただろうと思う。口を半開きにしたまま何も言えずにいる俺に、田村さんは愛玩するような眼差しを向けていた。

「……悲しい片思いだね」

 それは、三好さんが俺を好きでいるということか。あるいは―。

 真意を明らかにせず、田村さんは静かに立ち去った。

 三好さんに強い剣幕で言われたのが効いたのか、一か月後の閉店までの間、彼女はそれからほとんど姿を見せなかった。



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