一面
魂魄妖夢と橙は地底へと繋がる大穴の前に立っていた。ここに至るまでにトラブルは無く、幻想郷自体にも変化が見られなかった。
そしてここに来て、一つ目のトラブルと向き合う事になった。
穴の縁に座る黒谷ヤマメ。
その姿を確認した瞬間、魂魄妖夢が身構えた。二人の仲は特別悪いという事はなかった。しかしそもそも、黒谷ヤマメがそんな場所で何かをしている、という事自体が違和感を与えた。
「あっ、ヤマメさん! こんな所で何してるんですか?」
躊躇いも無く橙が黒谷ヤマメに近付いた。そしてそれを、しかし魂魄妖夢は止めなかった。
「やあ、橙ちゃ――」
黒谷ヤマメが挨拶をしようと手を上げた瞬間、橙が黒谷ヤマメ目掛けてビー玉の様な弾幕を放った。笑顔のまま。何の宣言もせず。
「妖夢さん! 今の内に穴に飛び込んで!」
一瞬怯んだ黒谷ヤマメだったが、橙の言葉を聞くなり即座に戦闘態勢に移行した。両手の親指を噛み千切り、その手の平に鞠程度の大きさをした青い球を一つずつ作り出した。球は血を吸い上げて歪な紫色に色を変え始める。
「瘴符「フィルドミアズマ」」
黒谷ヤマメはその二つの球を橙目掛けて放った。
魂魄妖夢は既に穴の中、橙も今にも飛び込もうというタイミングだった。それでも、橙を捉え大穴から遠ざけるには十分な弾速をして二つの球は橙に襲い掛かった。
「青鬼赤鬼」
橙はそう言いながら左袖の中から人型の白い紙を二枚取り出し、黒谷ヤマメの放った球と自分との間に投げつけた。二枚の紙はそれぞれ青と赤に勝手に染まり、一度だけ身震いをした。そして飛んできた球に一枚一個で張り付き、全身を使って一回転しながら球を黒谷ヤマメに向かって投げ返した。弾速は初速の二倍近くに達した。
「このまま行っても地底でやり合う事になりますよ。下手をすれば地底の住民全員が敵かも知れないのに」
橙は魂魄妖夢に追い付くと、更に二枚人型の紙を地上に向けて投げ付けた。四枚の鬼を前に黒谷ヤマメも流石に足を止めていた。
「ヤマメさんは相手にしちゃダメなんです。彼女の能力は……。五年前紅魔館が病気で閉門隔離していた時の犯人、ヤマメさんなんですよ」
魂魄妖夢は驚かなかった。橙が話した事は八雲姓の二人と橙以外には知り得ない事だったが、当時天狗たちが有る事無い事を散々に騒いでいた為に、今更真偽を問わず驚く様な事でもなくなっていたのだ。
「近付いて確信したんですけど、さっきの目が事件当時の目と近かったんです。そして今回の異変の首謀者の能力が有って……、辻褄が通るんです。地底の住民は恐らく全員、こいしさんに操られていると思います。策は無いんですけど、あと一分の内に考えましょう」
橙は更に上空に向けて三枚の人型の紙を投げ付けた。それで黒谷ヤマメをどれ程足止め出来るのか、橙には分からなかった。ただ、それしか出来ないのも事実だった。
旧都へ至る橋まで残り数十秒。魂魄妖夢は静かに目を閉じた。