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東方咀毒異変  作者: 彩丸
22/25

三途の河原で

「どうしたもんかねえ」

 小野塚小町はあからさまに困っていた。

 デイジーが八雲橙から離れようとしないのだ。今の彼女に手足は無くとも。八雲橙の足の後ろに隠れている。

 小野塚小町は鼻で溜息を一つ。

「アンタも同行してくれないかい? ……説教はされるだろうけどさ、それは往復分の運賃免除と交換ってことでさ」

「や、三途の川って渡ったら戻って来れないんじゃ……」

 溜息をまた一つ。

 小野塚小町は背後を流れている川へと振り返った。

 川幅は広く霧がぼんやりと立ち込めている為に向こう岸は全く見えなかった。

 しかし小野塚小町が何も無い空間を掴んでグイッと引き寄せると、カメラを覗き込んだままズームをする様に川の向こうから陸地が現れ、あっという間に地続きとなった。不思議な事には、耳を澄ませば目の前に水が流れている様だった。

「職員用の通路も有るんだけどさ。それは教えちゃあいけない決まりだから、これで勘弁しておくれよ?」

 そう言うと振り返ることもなく小野塚小町は前進していった。何かを跨いだ様子も無く、対岸らしき場所に当然の様に踏み入った。砂利を踏んだ音が確かにした。

 八雲橙の耳には川の上で砂利の音がした様な奇妙な情景が刻み込まれた。が、進退窮まっている訳にもいかなかった。

 八雲橙は屈んでデイジーを抱き上げ、恐る恐る踏み出した。靴の下では踏まれた砂利が逃げようと他の砂利を押し退けていた。その感触が彼女の足から怯えを消した。

 途端に霧は晴れ。百メートルも歩けば着きそうな距離に是非曲直庁が聳えていた。

「それにしてもまあ、二百年も経つと妖怪も変わるもんだねえ。八雲藍よりもおっかない気質が滲み出てるよ」

 事件以降尾の数は二本に戻し妖力も極力抑えていたにも関わらず小野塚小町は気付いた。そんな事は些事でしかなく、二百年という数字を口にした事に八雲橙は目を丸くした。驚きの声も思わず漏れていた。

「ああ。四季様に言われて彼岸まで逃げてたからさ。本当におっかなかったよ。誰も漕いでない船が勝手に霊を乗せて此岸まで戻ってくんだからさ。そんで仕事しなくて済むと思ったら出張が急に入るしさ……。まあ、なんにしてもそんな感じ。――。ん、入ったら真直ぐ行きゃ四季様に会えるよ。あたいはほら、行ったら仕事さぼってるって説教されちゃうからさ。外で待っててあげるからゆっくり話しといで」

 是非曲直庁に着くと小野塚小町は入り口のすぐ隣の壁に寄り掛かって腕を組み、目を閉じた。

 開きっ放しの扉の向こうには判決を待つ霊魂が数人ばかりだが並んでおり、裁判官席では四季映姫・ヤマザナドゥが凛として彼らの行き先を並べていた。その景色をして小野塚小町にしてみれば、仕事はしたとでも主張したいのだろうか。彼女の上司が見れば間違いなく咎められるようでもあるが。

 八雲橙は霊魂の列に並び、その時が来るのを待った。まるで子猫を抱えて撫でる様に、デイジーの頭らしき場所をゆったりと撫でながら。

 それから数分と経たずして八雲橙は証人席に立った。見上げた四季映姫・ヤマザナドゥの表情には何の感情も表れていないものの裁判官席の高さの都合で見下している様だった。

 彼女は口を閉じたまま。つい一人前までは迷い無く、ルーチンワークのお役所仕事の様に捌いていたのに、だ。

 沈黙と静寂は重く、八雲橙はまるで自分が裁かれているかの如くに息を呑んで立ち尽くした。

 時間は五分も十分も経ったようで。

「白、ですね」

 四季映姫・ヤマザナドゥは徐に目を閉じた。

「非常に幼く欲に溺れやすいその性質は貴女を取り巻く環境によって善にも悪にも染まり得るでしょう。が、その事に今言及する事は本質的ではなく、また半日前の人里における振る舞いは称賛に値するものです。捕食量も他の妖怪に比べれば極めて少ないですが、それもまあ本題からは逸れますね。貴女自身からの要望が無い限り順を待って転生で良いでしょう」

 そして彼女は瞼を開き。

 彼女の左手に在る、次の生へと続く扉がひとりでに開かれた。その向こうには一粒の光も無く。見ているだけで眩暈がしそうな程に深い黒が広がっていた。

 胸を撫で下ろし。

 八雲橙はデイジーをそっと降ろしてやった。生前の彼女をそうした様に。弔いと幸福な来世を願いながら。

 しかしそれは見飽きたドラマの様に。

 デイジーの魂は別れを嫌がる童の様に八雲橙の足元から動こうとしなかった。抱き着くこともできずただ身を寄せるだけ。

 八雲橙も困った表情をして。

 何もしないまま時間だけが過ぎようとしていた。

 四季映姫・ヤマザナドゥは机の上の筆を取り走らせ始める。裁判官机に隠れて何をしているのかは彼女以外から見る事は叶わないのだが、議事録を作っている訳ではない事は彼女の雰囲気からして察するに難くなかった。

 八雲橙は焦り、デイジーを説得し始めた。彼女に対する情も無くはないのだがそれ以上に、ルーミアに対する憐憫が蟠っていた。彼女とは特別親しかった訳でも親しい訳でもなかった。ただ、ルーミアが地底に居たことへの勝手な考察が八雲橙を動かしていた。

 そして四季映姫・ヤマザナドゥが手を止め。

 何の前触れも無くデイジーは扉の向こうへと吸い込まれていった。瞬く間に露も残さず消えていった。文字通りに。

 扉は静かにゆっくりと閉り。

 茫然と扉に向かって手を伸ばしている八雲橙に四季映姫・ヤマザナドゥが声を掛けた。

「貴女も帰りなさ。この場所には本来、傍聴人席は無いのですから。それと小町に伝えて頂けますか? 勤務終了後にここへ来るように、と」

 それきり四季映姫・ヤマザナドゥは口を開かず。

 八雲橙は手をはたりと落とし。それから裁判官に礼を述べて一礼し、つかつかと是非曲直庁を出て行った。

「だそうですよ、小野塚さん」

 小野塚小町は起きていた。壁に寄り掛かったまま遠くの方をぼんやりと眺めて。

 八雲橙は彼女の呼吸音からその事を知っていた。

「ここで一眠りしてから行くよ。帰り道はまぁ、お好きに。さっき縮めたのはアタイとアンタとあの子の座標だけだからさ。他の魂は渡って来れやしないよ」

 すれ違いざまに二人はそんなやり取りをし。振り返るも引き止めるも四季映姫・ヤマザナドゥの目には不自然になると察していた。故に八雲橙は通り過ぎてから耳を二度上下させ、自分が猫であることを小野塚小町に意識させた。小野塚小町も小野塚小町でそれを見ずして、どうせ猫だから聞こえるだろうと高を括って独り言ちていた。

 八雲橙は二本の尾でひらひらと別れの挨拶をし、小野塚小町もそれに右手で応えた。

 接続された此岸の先には見えるだけでも一人の霊魂が彷徨っているが、小野塚小町は既に四季映姫・ヤマザナドゥと話し込んでいる様だった。

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