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東方咀毒異変  作者: 彩丸
21/25

Ex道中

 八雲橙は人里の中ほどに聳え立つ矢倉の上に身を潜めていた。幻想郷縁起と射命丸文の情報から見るに、この数日の内に○○が例の事件を起こす可能性が高いと考えたのだ。それに伴って射命丸文が人里に取材に行く頻度も少しばかり高くなっていた。あくまでも取材をする名目でだが。


 利害は一致した。そして八雲橙の言葉の裏に有るものも理解した。故に射命丸文は彼女の目となることを承諾した。

 それから八雲橙はふっと息を潜めた。これ以上主人の手を煩わせない為に。或いは橙として振る舞う為の準備として。

 異次元大図書館への出入りも極力減らすようにしていた。博麗霊夢が就任する頃になれば、直に紅霧異変が起きる。それまでにパチュリー・ノーレッジが彼女の親友とやり直す時間がどれ程有るのかを八雲橙は把握していなかったし、そもそも聞かされていなかったからだ。

 博麗神楽が妖怪の山へ赴く姿は往年まで目撃情報が絶えなかった。彼女の友人か何かがそこに居るのではないかと噂が立つことも何度も有ったが、結局その理由は後任の博麗霊夢でさえも知ることは無かった。

 こうして八雲橙は広域に亘って史実から少しずつ逸脱しながら二十年という月日を過ごしていった。尤もそれらの殆どは修正されることもないままに。


 八雲橙は矢倉の中で寝そべって頭の後ろで手を組み、天井から下げられた何の変哲も変化も無い鐘をぼんやりと見ていた。

 不安で、不安で堪らないのだ。

 彼女に出来る事は事件を知らせる鐘を鳴らす事と中心人物たちに気付かれない様にしながら現場を覗き見る事。デコイを射命丸文に一任してはいるものの。

 ○○がした事は決して許される様な事ではなかった。状況によっては咀毒異変の黒幕と同じ瀬に立たされていただろう。博麗神社に知らせに行った筈の子供が怨霊に襲われていたら、射命丸文が居合わせなかったら、パチュリー・ノーレッジの体調が悪かったら、……。

 一方で誰も○○を咎めなかった。事件当時、彼は被害者であると認識されていた。また彼自身と彼の起こした事件とによって、一部にしか認識されていない事ではあるが、守矢の二柱は救われ、紅魔のメイド長は安らかな眠りに就き、人里での防衛意識は高められていた。

 この事件は再現される必要が有る。さもなければ、もしかすれば件の異変とは並べられない様な事柄が永い将来に亘って幾つも起きるかもしれないのだから。

 数分後に鳴らす事になるであろう鐘を眺めながら、八雲橙は深く息を吐いた。

 初秋の昼下がり。空に雲は数える程も無く、風も全く吹いていない。矢倉の足元からは時折元気な子供の声や女性らの井戸端会議が聞こえてくるばかり。

 もし用事が何も無かったならば、今頃橙は山猫たちと戯れていただろうか。或いは冬に備えて少しずつ食糧確保の計画を立て始めていただろうか。この頃にもなると当時でも一部の山猫たちは彼女に協力的だった。

 八雲橙はまた一つ溜息を吐いた。


 ふっと。


 向こうの方から悲鳴が上がった。○○屋から、少し枯れた男女の声と少年の声が。前二人の声はあっという間にフェードアウトし、少年だけがいつまでも怯えていた。

 八雲橙はすぐさま壁に掛けられた金槌を手に取って五度、六度と鐘を叩いた。そして鐘の音に負けない程大きな声で叫んだ。

「妖怪だ! ○○屋で妖怪が出たぞ!」

 その一声に里中から不安と恐怖が湧き上がった。こと○○屋の付近では少年の悲鳴も有って、蜘蛛の子を散らす様にしてあっという間に皆が逃げ去った。それを口火に人々は○○屋から出来るだけ遠くに(しかし人里からは出ない程度に)避難し始めた。少年も漸く動き始めたらしく、博麗神社の方へと駆け出した。

 八雲橙は一息吐いて床にへたり込んだ。

 彼女の耳の奥では未だに鈍い金属音が響いていた。

「やっぱりこんな事するんじゃなかったなー。まぁ、あとは文さん待ち、かな」

 

 それから程無くして博麗の巫女と守矢の二柱が人里に到着した。その頃になると里人の避難は完了し、代わりに二、三の怨霊が里の中を闊歩していた。

 八雲橙は式神を数枚起こして怨霊の監視をさせつつ、彼女自身は事の成り行きを矢倉の上から見守った。耳鳴りも大分治まった様で、彼女の視線は射命丸文のみに向けられていた。

 現場は緊迫している様だった。博麗霊夢は相変わらず悠長に構えている様だったが、八坂神奈子は酷く狼狽し洩矢諏訪子は大凡普段の彼女からは考えられない程に真面目な口調で何かを主張していた。

 そして洩矢諏訪子がスペルカード宣言をした。『二拝二拍一拝』。八雲橙も何度か目にした事のあるカードだが、礼拝の作法に違わず賑やかなものだった。しかし今彼女が耳にしたのは宛らビンタの様な、一度きりの乾いた音だった。それが弾幕勝負でなく、異常事態なのだという事には察しが付いていた。その上で彼女は傍観を決め込んだ。何かあれば八雲紫がどうにかするだろう、と。

「文、居るんでしょう?」

 博麗霊夢がそんな事を言い出した。彼女に射命丸文がその場に居合わせている事は知らせていないし、見付からない様に取材するよう打ち合わせていた筈だった。

 八雲橙の心臓がまるで悪戯がバレた童の様にぴくんと跳ねた。

 どれ程ズレたのか。誤差で収まるだろうか。

 一時前の気楽さなど忘れたかの様に八雲橙は事態の収拾を付けようと頭を働かせ始めた。が、その直後の射命丸文と博麗霊夢の会話を聞いてふっと或る事を思い出し、そしてまた傍観者の位置に腰を落ち着けた。

 ○○が紅魔館に居る理由。事件だけを見ればパチュリー・ノーレッジが人里に居合わせた事も不思議と言わざるを得なかったが、二百年前の文々。新聞でも確かに事件発生直後からの現場状況が記されていた。入念な聞き込みをしたという可能性も有ったが。

 何事かの取引を終えると射命丸文が一瞬紅魔館に向けて飛び、彼女らの視界から外れた事を確認した上で八雲橙の元に飛んで来た。

「速報ですよ。お目当ての方は今のところ○○屋から出て来てないですし、恐らく私が戻って来るまでも出て来ないでしょう。と言うよりも膠着してますね、たぶん。私が遣わされたのもそれを破る為でしょうし。あっ、破るのは私ではなくてパチュリーさんですかね。例の魔法の実戦投入も有り得そうですし……。ま、そういう訳なので私はこれから紅魔館へ向かいますが、今の内に何か質問は有りますか?」

「いや、大丈夫です。ありがとうございます」

 八雲橙が礼を言うと射命丸文は向こうの空へとあっと言う間に消えて行った。急かされている風でもなく、その目には確固たる意志を宿している様だった。

 八雲橙が彼女のそんな表情を目にしたのはほんの一瞬だったが、そう感じ取るには十分だった。

 一時の休息の中で賢者の式は或る疑念を抱いた。何故膠着しているのか。何故どちらも手を出せないのか。例えば○○が完全に怨霊に意識を食われていたらこんなにも静かな時間は訪れなかっただろう。逆に○○の意識が彼の中に未だ有り少しでも覚めていたのなら或いは事件はこれ程大事にはならずに既に解決していたのではないか、と。彼の能力を以てすればそのどちらも容易いのだから。つまり他の要因が存在することになる。そして彼女は迷い無く或る仮説に辿り着く。そこにデイジーが居るという事。何十年か前の八雲紫の言葉とも矛盾はしなかった。

 ともすれば尚の事、彼女は確保されるべきだった。射命丸文の過去の記事によれば、○○はパチュリー・ノーレッジと洩矢諏訪子の猛襲の中を生き残ったのだという。それが全てデイジーの手で為されたのであれば、例え博麗霊夢や十六夜咲夜の魂を喰らわずとも地底に渡った時点で八雲橙の手に負えなくなるのは明白だった。

 葛藤。

 今八雲橙が動いたとして、博麗霊夢が気付かない筈がなかった。況して彼女には八雲としての姿を晒した事が一度も無かったのだ。しかしとて、橙がこれ程緊迫した場に現れたとして片手間に払われるだろう。或いはパチュリー・ノーレッジと共に現れれば或る程度の立場は確保出来るだろうか。

 八雲橙がそんな事を考えている内に射命丸文がパチュリー・ノーレッジを背に乗せて戻って来た。正味の時間は十分と経っていなかっただろう。

 現場に着くなりパチュリー・ノーレッジは洩矢諏訪子に相談を持ち掛けた。その内容は一方的な命令の様にも聞こえたが、洩矢諏訪子がそれに難色を示す事はなかった。

 そして次の瞬間、僅か五秒足らずの間に事態は終息した。

 人里の外にいる妖怪までもが束の間呼吸することをすら忘れてしまう程の魔力が吹き上がり一帯に拡散したかと思うと、○○が倒れる音がしたのだ。会話を盗み聞きしていた八雲橙は洩矢諏訪子がその一瞬で何かをした事も理解は出来ていた。本来であれば身の毛も弥立つ様な出来事も、しかしどうでもよくなる程に圧倒的な量・質をした魔力だった。

 軍神は嘆き。魔女と祟神が他愛もない腹の探り合いをし。巫女は一足先に神社に帰るようだった。

 史実通りであれば事件はこれで幕を閉じる。

 パチュリー・ノーレッジが○○に背負われて紅魔館へと帰り、二柱は射命丸文と共に神社へと帰っていく。人間は間も無くして何も無かったかの様に日常へと戻っていく。○○の両親の遺体は日が暮れる前に命蓮寺へと運び込まれ、家屋は後日博麗霊夢が然る処理を行ったのち空き家として売り出される事になる。

 デイジーの霊魂はどのタイミングで地底に移ったのか。八雲橙の頭の中でそんな疑問が巡り始める。

「目標の方は見付かりませんでしたが、寺子屋近くの貸本屋で古明地さとりを見掛けました。私はこれから博麗神社で取材が有るのでそっちに行きますね。報告は以上です」

 射命丸文がそう言った。その場に居合わせる者は誰もその発言に反応していない様だった。或いは彼女らの可聴域の外で発声したのか。

 八雲橙は人間の可聴域の外で礼を述べると屋根伝いに古明地さとりの元へと急いだ。それ以外に頼るべき情報はもう無いのだから。


 覚妖怪は貸本屋に居た。店主すらも未だ戻っていない店の軒先で一人立ち読みをしていた。その傍に、足元に広げられた風呂敷の上には何冊かの本が積み上げられていた。彼女の性格と日頃の行動、噂に鑑みるに店主が戻って来るのを待っているのだろう。他人の無意識に潜り込めるようになったからと言って窃盗をした事は一度も無いようだった。

 八雲橙は屋根の上から彼女を見張った。もし能力を使って姿を眩ます様であれば式神で取り押さえる事も視野に入れていた。すぐに行動を起こしていないのは、八雲橙の知る限りで目の前の古明地さとりは未だ異常行動をとっていないからだった。

 刻一刻と時間は過ぎ。里の外郭沿いでは避難していた人たちの安堵の声が漏れ始める。足音がてんでんに鳴り始める。

 意識は視覚から聴覚へと分散し。いつの間にか隠すことを忘れられた九本の尾は銘々に小さく揺れ。

 狭くなり始めた視界の端に、気が付くとそれは入り込んでいた。

 それはただの霊魂で。他の怨霊に紛れていたら、見張っていたのが八雲橙以外であったら。

 一見当ても無く彷徨っている様で、しかし見方によっては古明地さとりの元へと引き寄せられている様でもあった。

 八雲橙はそっと屋根から降り霊魂に歩み寄った。矢鱈と足音や気配は殺さず。霊魂は殊更に強い意志が有る様ではなく、進路をふらりと八雲橙の方へと変えた。

 それがしかし、裏目に出たのだろうか。

 古明地さとりはぱたりと読んでいた本を閉じると振り向き、足音の主へと言った。

「ああ、誰も何も盗んでませんよ? 私もいつも通り……。って、なんだ妖怪ですか……。そんな警戒しなくても大丈夫ですよ。ちょっと心を読むだけですから。それにそんなに敵意を剥き出されては隣にいる子も怯えてしまいますよ? まぁ、何もしてこなければ私も店主が戻るまで読書に勤しむだけですから、ご自由に」

 そう言うと古明地さとりは何事も無かったかの様に読書へと戻ろうとした。

「貴女たち以外の覚妖怪が居る事は知っています。……もしさとりさんが良ければ彼女に合わせてもらえませんか?」

 古明地さとりは小説に目を落としたまま。肩越しに第三の目だけが這い出でて八雲橙を怪訝そうに睨んだ。

「たぐりの事ですか。知っているならお好きにどうぞ? 居場所も知っているようですし……。ああ、律儀にも許可が欲しい、と。良いですよ。お燐にも話を通しておきますから、明日以降であればお好きな時にどうぞ。私もほとほと手を焼いていましたから。まあ、たぐりの言葉を理解した時点で彼女の奴隷も同然なので、それだけは留意しておくと良いかもしれませんね。健闘を祈りますよ」

 それだけ言うと第三の目は瞬きを一つして振り返り、古明地さとりの向こうへゆるりと戻っていった。

 それが彼女の能力であるかどうかは大した問題ではなく。

 八雲橙は少しの間茫然とし。

 まるで心配そうに見上げてくる我が子を抱き寄せる母親の様に、八雲橙ははっとして霊魂を抱き上げた。彼女は嫌がることもなく彼女の腕の中で落ち着いて動かなくなった。

「ありがとう……ございます……。近い内にお邪魔させてもらいます」

 後ろ手に手を振る古明地さとりに一礼し、八雲橙はその場を去った。

 後ろの方では古明地さとりがさっきと同じセリフを渋い声をした男性に言っていた。

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