Believe it or not.
「非凡を願うことは平凡である」 ー William Shakespeare
少女の死を目撃した次の日、僕はいつも通りの日常を送っていた。
朝目覚めてすぐ顔を洗い歯を磨く。朝ごはんに昨日買ったコンビニ弁当を食べ、また歯を磨いて学校へ向かう。普段と何ら変わらない日だ。でも、体は動くのに頭とかそんなもの諸々がついてかない。
「先生、気分が悪いので…」
割と好きな数学の授業も頭に入らないので保健室に逃げ込むことにした。
気分が悪いのは本当だ。気持ちが悪い。この日常が異常に感じる。だって、何度考えてもおかしいんだ。
今日がいつもと変わらないなんて。
昨夜、この学校の屋上から1人の少女が飛び降りたというのに。
白い天井を見ながらただただ昨日の光景を思い出していた。何度も、何度も。
夢だったんじゃないのかと何度も思った。夢じゃなかった証拠が何もないから。
昨日、あの後。彼女が飛び降りた後に、僕はしばらく立ち尽くし怖々と彼女が立っていた場所へ行き、下をのぞいた。だが、そこに彼女の姿は見当たらなかった。
暗くて見えないだけかもしれないと思い、下へ駆けていったが何もなかった。死体も、血も。
さっきまで死体を見る恐怖に襲われていたはずなのに、今はそこにあるはずの死体がないことが、どうしようもなく恐ろしく感じた。
とにかくその場を離れたくて、無我夢中で走り、駅へと駆け込み電車に乗った。
人混みが恐怖を少し和らげる。よかった、人がいれば大丈夫だと根拠のない安心感をおぼえた。
家につき、電気をつけたままベッドに入った。
布団に顔をうずめ、何故か溢れてくる涙と震える手足を収まるのを待ちながら眠りについた。
――何かが変わる、何となくそう思った。
昨日のことを思い出していたら、保健室ですっかり熟睡してしまっていた。僕の人生を変える、とてつもなく面倒なことに巻き込まれ始めていることも知らずに・・・。
「あ、青ちゃん・・!見つけたよ、エンキの子!」
目覚めると、そこは見知らぬ世界だった――
なんてわけわなく、微かに消毒液の香る静かな保健室であった。
結局何だかんだで先生をごまかし、放課後まで保健室の布団に引きこもっていたのだ。
下校時間だからと追い出され、マフラーを巻きながら下駄箱まで向かった。
靴を履き替え顔を上げると、遠くに見える校門に誰かがいるのが見えた。
人もまばらな校門で、その2人は何とも異様に感じた。
うちの高校の制服を着た女子と...和服を着た、背の高い男?
校門に近づくにつれて、徐々に2人の顔が見えてきた。男の方は無精ひげをさすりながら、何とも眠そうに顔を垂れ、校門に寄りかかっていた。するとキョロキョロとしていた女子の方が、僕の方を見て微笑み、駆け寄ってきた。
「あのっ、君野先輩・・ですよね?」
少し興奮しながら声をかけてきたその女子はネクタイの色からして後輩だった。
蜜のように透ける明るい髪に短いスカート、ハーフのようなくっきりとした顔立ち。リュックにはパンダやクマやよくわからない生物のストラップがたくさんぶら下がっていた。見た感じ所謂ギャルというやつだ、多分。校則の緩いこの学校では別に珍しくはない。珍しいことといえば、12月のこの寒空の下、コートも羽織らずマフラーを巻かず、防寒具を一切身に着けずに生足で元気に仁王立ちしていることだろう。
戸惑う僕に彼女はまた声をかけた。
「あ、あれ?君野先輩ですよね?私、間違えてます...?」
「え、あぁ。あってますよ。えっと..なんでしょう?」
「あの!わたしは1年の日富といいます。日富恵海です!今日はその、えっと・・・」
少し振り向き、こちらをじっと見つめる和服の男に目をやった。すると男がこちらにきて右手を差し出してきた。
「やぁ、初めまして。」
「あ、どうも・・・」
よく分からないまま差し出されて右手を握り返すと、彼が早口にこういった。
「急ですまないが、生憎君のために説明している暇も義理もないんだ。君野君、一つだけ聞く。君は昨日の夜、白く光る女の子を見たかい?」
正直、誰かも分からない人に手を握られながら、早口に意味の分からないことを唐突に言われても何が何だか全く分からないわけだが、矢を射るような眼差しと白く光る女の子という言葉に強く脈打つのが分かった。手汗がにじむのを感じ、握られた右手をとっさに引き抜いた。
「――その様子だと、心当たりがあるようだ。エミリー、車を。」
「はいっ!」
エミリーこと日富恵海は軽快に返事をすると校門の外へ駆けて行った。
「あの、僕――」
「あーっと、君野君、一度だけ言う。今から俺が言うことは世界でも数十人しか知らない現在最重要の国家機密だ。もしこれを聞いた場合、君は俺らについてくるか、今日中に何らかの方法で始末されるかを選ぶことになる。それが嫌なら耳をふさぐなり全力で逃げるなり何とかしてみろ。」
頭をかきなが怠そうに、相変わらず早口にまくしたて、理解する間も考える間もなくこう続けた。
「簡単に言うと、阿保のくせに権力とか金とか持っちゃってるお偉いさんがこの世にはいるわけでさ、そのじじいが飼ってた吸血鬼が今朝逃げちゃったわけよ。理由はまぁ、後でな。とにかく、早急に捕まえないと色々と面倒なことになる。ということで、はからずもこの件の最重要人物となってしまった君には俺たちに協力してもらうことにした、以上。」
男は大きくため息を吐いた後、和服の袖からスキットルを取り出しグイッと飲んだ。
なんとなくこの人の早口スピードにも慣れてきたようで、何を言っているのかは聞き取れるようになった。しかし、相変わらず意味不明である。
まずこの人は誰なのだろうか、日富恵海との関係は?国家機密とは、吸血鬼とかさらっと言ったけどそもそも本当にいるのか?というか吸血鬼って飼うものなのか?
――というか始末されるって殺されるってことだよな?
「よく分かんないんないんですけど・・・、つまりそれって、僕に拒否権ないってことですよね?」
「正解。というわけで――」
「青さん!車、用意できましたー!」
校門の外の方から、日富恵海の叫ぶ声がした。
「おう、じゃあ行くか。」
何も分からず、今のところ何もかもが怪しすぎるこの2人についていくのは、どう考えてもおかしい。
知らない人について行くなという義務教育を忘れたわけではない。多くの場合、ロクなことにはならない。
でも、僕の足はこの男の後をついていった。なんでだろう...死にたくない恐怖から?
――いや、違う・・・。
知りたいんだ。僕が昨日見た奇妙な出来事の真実を。見られる気がした。僕が知らなかった世界を。
この二人は多分、知ってるんだ。あっち側の、所謂非日常とか非凡とかそういう類の世界を生きている、そう感じた。