平穏は魔王様のおかげ?
結局、地獄の言い訳タイムは菊花の登校時間ぎりぎりまで続いた。
ルーテシアについては『入学式で意気投合した友達』で押し通し、もちろん異世界云々の話は伏せる。
あとは『変な関係じゃない』『信じてくれ』の二点セットをひたすら繰り返した。
菊花は終始不満そうだったし、俺も内心綱渡り状態だったけど、ルーテシアを別室に隔離できたのと、時間制限があったのが大きかったかもしれない。
「……続きは帰ってから聞きます」
菊花からその言葉を引き出した時点で勝負あり。
無事妹さまの尋問を乗り切ることに成功した。
……続きは、と言っていたので完全に乗り切れたわけじゃないかもしれないが、というか絶対また問い詰められるので全然乗り切れていないが、乗り切れたことにしたい。切に。
ともあれ。
「朝から疲れた……」
「自業自得でしょ」
つんとあごを上向ける諸悪の根源は、通学路を歩きながらぼやいた俺に容赦のかけらもない。
「そもそも変に隠そうとするから疑われるのよ。最初から全部言っておけばいいのに」
「実は異世界の元勇者で今は魔王の娘の従者やってますって……? んなこと言ったら正気を疑われるわ」
「隠して疑われるよりはましじゃない」
「逆だ逆。たとえ疑われても隠したほうがいいんだよ」
「ふん…………は、裸は隠してなかったくせに」
「ぶっ、いきなりなんの話だおい! つーか隠してたよ!? どこ見てんだおまえは!!」
「ど、どこも見てないわよっ、兄妹で裸を見せあってたヘンタイのあんたたちと一緒にしないで!」
「見せあってねーし! そもそもスカートはいてなかったおまえに変態とか言われたくないんだよ、この露出魔王!」
「な、こ、この……っ、黙り――」
変なタイミングで口をつぐんだルーテシアは、ぐっと息を飲んでから引きつった笑みを浮かべる。
「ふ……ふん、あーあ、気分が悪くなったわ。今日はもう学校に行くのはやめようかしら」
「おお、そうしろそうしろ。そうすりゃ俺も心置きなく普通の学校生活を送れるぜ」
「なに言ってるの。あんたも帰るのよ」
「は?」
「主人が帰るって行ってるんだから、奴隷がおともするのは当然でしょ」
「ふざけんな、誰がおまえの言うことなんか――」
「《黙りなさい》」
いきなり使われた命言に、俺はなすすべなく口を閉じる。
「勘違いしてるみたいだから、言っておくけど」
黙りこんだ俺を見て、ルーテシアは腕を組んで余裕ぶった表情で言う。
「あんたが学校に通えるのはあたしのおかげなのよ? わかってる?」
「……」
「わかったら態度には気をつけなさい。いつだって命言は使えるんだからね」
わざとらしく金髪をかきあげ、悠々と先を行くルーテシア。
くそ……昨日はあんなにテンパっていたくせに。
命言は連発しなければ平気だということを知って、すっかり調子を取り戻したらしい。
その余裕ぶりときたら、約束の時間までにアストリッドが帰ってこなくても「まあいいわ」の一言ですませ、わざわざ朝ドラの録画予約まで俺に命じてしてみせるほどだ。
この感じはまずい。
非常にまずい。
どうにかして主導権を取り返さないと――
そんな俺の願いは、幸いにもすぐにかなえられた。
事前に読んだ学校案内によると、月宮学園は『なにごとも積極的に楽しめ』という校訓のもとに、生徒主体で様々なイベントを行っているらしい。
特に四月は新入生をターゲットにした催しが多いようで、学校に近づくにつれて上級生からやたらと声をかけられるようになった。
だいたいが部活や委員会の勧誘目的だったが、中にはルーテシアを見て『新入生限定ミスコンに出ないか』と熱心に誘ってくる男の先輩もいたりして。
結果的に――俺の隣を歩くそいつの挙動があからさまにおかしくなった。
具体的に言うと。
「……くっつきすぎじゃね?」
さっきまで堂々と前を歩いていたルーテシアが、いつのまにか俺にぴったり寄り添って、制服の裾を掴んでいる。
「――ち、違うわよっ」
「なにが」
「これは……そう、あんたを逃がさないためであって」
「学校を目の前にして逃げるわけねえだろ」
「……そ、そうね」
そう言いながら手を離したルーテシアは、再び男子の先輩が近づいてくると、瞬時に俺の袖を握ってきた。
「……」
なにこれ。
天丼ネタ? 同じボケを繰り返す天丼ネタなの?
と突っ込みたかったが、下手に機嫌を損ねて帰るとか言われても面倒だったのでしばらく黙って様子を見ていると、決定的なことがわかってきた。
まずルーテシアが過剰な反応をするのは男子に対してだけ。
女子の先輩がどれだけ接近してきてもそこまで変なリアクションはしない。
常に俺を壁にして隠れているが、相手が丁寧であれば熱心に耳を傾けることもあるほどだ。
そしてその反面、男子への対応が異常。
目が合うだけでびくりと身体を震わせ、そわそわしだし、声をかけられたりした日には露骨に脅えてみせる。
だからこれは、ようするに。
「お前男が苦手なの?」
「ななななにを根拠にそんな妄言を――」
「あ、前から陸上部の男子が集団で走ってくる」
「ひっ」
「……嘘だけどな」
「――なっ、なっ」
「と思ったら、柔道部の男子が乱取りしながらこっちに」
「ひぃぃぃぃっ!」
「…………」
「……え? ま、まさかまた嘘っ? あ、あんた、そうやって人の嫌なことばっかりしてろくな死に方しないんだからね!」
「やっぱ嫌なことなんじゃねえか」
「あ」
しまった、と言わんばかりに口を押さえるルーテシア。
いろいろと手遅れすぎる。
「お前……魔王のくせに人間の男が苦手とか」
「べ、別に苦手じゃないもん! 慣れてないだけ!」
「慣れてない?」
「男なんて向こうではほとんど見なかったから、まだちょっと怖……対応に自信がないだけよ」
「ほとんど見なかったって――ああ、ヒキコモリだったからか」
魔族には女しかいないので、男を見るためには外に出る必要がある。
このヒキコモリ姫は本当にほとんど外出しなかったんだろうな……。
「男なんて顔を見せたらすぐに襲ってくるケダモノよ……そんなケダモノばかりがいる空間で素顔をさらし続けたりしたら――――」
なぜかそこで顔を赤くする魔王さま。
「なにを想像した」
「――ななななにも想像してにゃいわよっ!」
「噛んでる噛んでる」
こほん、と咳払いをして、ルーテシアは目をそらしつつ言う。
「とにかく。まだ慣れていないだけで、少し時間が経てば平気になるの」
「その自信はどこからくるんだろうな……」
「あんたよ」
「俺?」
「あんたに慣れることができたんだから、他の男にだってすぐ慣れるに決まってるでしょ」
自分に言い聞かせるようにうなずくルーテシアに、俺は「……いやそれ命言あったからじゃね?」という言葉を飲み込んだ。
……自信を持つことって大事だしね。
たとえ根拠がなくても、大丈夫だと思い込むことでつらい現実を乗り越えていける――
なんて適当な理屈をこねていたら、その現実にものすごいものを目にした。
「お……おい、ルーテシア、後ろ」
「なによ」
「後ろ見ろ、後ろ! なんかやたらと肉付きのいい男たちが走ってきてる!」
「……あのねぇ、引っかかるわけないでしょ? 三回目よ、三回目。どんなバカだって学ぶわよ」
「今度はマジだって!」
「そんな必死なふりしたって――――ひぅっ!?」
振り返ったルーテシアが目にしたのは、さぞかし恐ろしい光景だったろう。
『相撲部』と書かれたTシャツを着た、汗まみれのむっちり男子たちが大挙してこちらに迫ってきていたのだから。
「……い――いやああぁ!! 犯されるうぅぅっ!」
「あ、こら、待てバカ!」
俺の制止もなんのその。
ルーテシアはとんでもない叫び声をまき散らしながら全力で逃げ出した。