勇者は引退したのに
「変わらないな……」
体育館であんなやりとりをしたあとだったから正直どうかなと思ってたんだけど、アリスはアリスのままだった。
その事実に安心する。
たとえまた敵対することになったとしても、アリスにはアリスらしくいてほしい――。
「……ずいぶん嬉しそうね」
「うお!?」
ぼんやりと空を見あげていたら、いきなり正面に腕組みした魔王さまが仁王立ちしていた。
「なんだよ急に……」
「よかったわね、アリスティアが諦めないでくれて」
「また聞いてたのか」
「聞こえたの」
ふいと視線をそらし、ルーテシアが並んでくる。
「あたしは、変えるから」
「なにを?」
「魔王の意味」
素っ気なく言って、前を見る。
「魔王は人と敵対する魔族の長で、その強大な魔力によって人を恐怖のどん底に陥れる存在……その意味を変えてみせる」
「……ふーん」
「反応が薄い!」
「いや、いきなりそんなこと言われてもな。正直よくわからんし」
「あんたが先に言いはじめたことでしょ! 周りに勇気を与えるのが勇者だって」
「ああ、あのこっぱずかしいやつ……」
「自分で恥ずかしいとか言うな……参考にしたあたしがバカみたいじゃない」
「バカだろ。勇者の願いを叶えるためにあやうく死にそうになったバカな魔王さまだろ」
「うぅぅっ、むかつくぅぅ……!」
いずれにせよ、魔王になる決心はついたらしい。
これならもう変なスイッチが入ってヒキコモリになったり、とんでもなく大規模な母娘ゲンカをすることもないだろう。
人見知りも少しずつ治っていき、誰かを頼ったりすることもなくなる。
それは本当に素晴らしいことだ。
――具体的に、俺が普通の高校生活を送れるという意味で。
やっと……やっと勇者の呪縛から解放される。
ほのかに灯った未来への希望に、俺はいてもたってもいられなくなった。
「んじゃま、がんばってな。本当に、ほんとーに困ったときだけ命言使って呼んでくれ」
そのあいだに俺はリア充になる――!
「ちょ――ま、『待ちなさい!!』」
……いきなり本当に困ったとききたこれ。
ぴたりと止まったまま微動だにしない足を忌々しく見つめ、仕方なく振り返る。
「なんだよ……」
普通の高校生活を送るために一秒だって惜しいんだ。
そんなニュアンスを声にこめると、ルーテシアは目に見えてうろたえ、
「あ……え、えと」とか「だから……その」などとめんどくさい感じになり、しまいには靴先で地面に文字を書き出した。
靴に出さないで口に出せ! そう言おうとしたら。
「あんたも、一緒に……いるのよ」
聞こえるか聞こえないか、ぎりぎりのか細い声でそんなことをささやかれて。
恐ろしい想定が、俺の頭をよぎった。
「……ちょっと待て。まさかお前までこっちの世界に残るとか言わないよな……?」
「………………まだウインドウショッピングしてないし、学校もちゃんと通えてないし」
「んなの向こうの世界でしてろよ!! ニュー魔王のお披露目かねて堂々と人間の街にでも出かけたらいいじゃねーか!」
「で、できるわけないでしょ! それに――人間、怖いし」
「怖かったら魔法で消し飛ばせ! 向こうでやるぶんには止めねえから!」
「ひど……それが勇者の言い草? だいたい――そんなことしたらまた喚ばれるわよ?」
「――――」
正論だった。
まったく反論のしようもないほどに。
勝ち誇るでもなく、ちらちらとこちらを見てくるルーテシアに、俺は頭を抱えこもうとして。
「やはり、あなたが最後の敵でしたか」
音もなく正面に現れたのは、潔い黒髪の妹勇者さま。
「ふ、ふふふ……少し異世界に飛ばされていただけでこの有様とは……油断も隙もありませんね。――この女狐」
妙にすれた感じの目をした菊花が鬱々とつぶやきながら虚空からすらりと真剣を抜く。
「き、菊花……よくわからんけど、たぶん誤解してるぞ?」
「兄さんは黙っていてください。これは私たちの問題ですから」
やばいやばいやばい、アリスに跳ばされたこともあって相当キてるぞこれ。
早く逃げないと――そう思ってルーテシアの手を取ろうとしたら、やんわりと拒まれた。
「ふん……あたしも一度戦わないとダメだと思っていたところよ」
どういうわけか魔王さまがやる気だ。
切りつけるような『菊一文字』の眼差しを正面から受けて立っている。
そんなルーテシアの態度を見て、不敵に微笑む菊花。
「その身の程知らずな覚悟だけは買ってあげましょう」
「そっちこそ以前までのあたしだと思っていたら大ケガするわよ」
その言葉を合図に菊花が真剣を構え、ルーテシアが右手に魔力を集めはじめる。
勇者と魔王。
文字どおり一触即発の状況に、俺はなけなしの勇気を無駄遣いして割り込む。
「二人とも冷静になれって! 普通に見られるから!」
「もちろん人避けの結界は張ってあります」
「人がいなくても道は――」
と、そこで聞き覚えのある着信音が流れだした。
確認するまでもなく俺のケータイだ。
ディスプレイを見てみると、発信先の表示にアストリッドとある。
……いや番号登録した覚えがねえんだけど。
通話ボタンを押して出てみると、
『どうも~。シアお嬢さまが電話に出ないので、こちらにかけさせてもらいました』
「……そのお嬢さまならすぐそばにいるけど。急用か?」
『急用というほどのことじゃないのかもしれないんですけど~』
「だったらあとにしてくれ。今取り込んでて――」
『隷従の契約に関する重要事項が判明しました~』
「急用だろそれ」
『そうですか~? まあじゃあ手っ取り早く言いますと、キスじゃダメみたいでした』
「……は?」
『キスだけじゃちゃんとした魔力のパスが通わないんですよ~。一定の効果はあるみたいなんですが、すぐに切れちゃうらしくて。シアお嬢さまに死にたくなかったら命言も魔法も使わないように言ってもらえますか~?」
などと言っているそばから、右手を光らせていたルーテシアがふらつきだした。
「……?」
頭を押さえて不思議そうにしている魔王さまに気づいた様子はない。
気づけよ!
「もう手遅れだ! どうすりゃいいんだ!?」
『あらら~、切れてしまったのなら大至急キスしてもらうしかないですね』
「――」
『というか、魔法を使わなくても定期的にしてくださいね~キス』
「………………冗談だよな?」
『面倒だったら手っ取り早くヤっちゃってもらってもいいですよ~。そうすると永久の契約が結ばれますけど。ああ、アルディラさまがその件で話したいことがあるそうなので、近々またそちらにお邪魔します~』
ぷつっ、と一方的に切られた電話と共に、均衡状態にあった二人が動き出した。
「覚悟しなさい、魔王ルーテシア!」
「望むところよ、勇者キッカ!」
目の前で勇者と魔王がぶつかりあっていることなどそっちのけで、俺は混乱する頭を整理する。
アリスはこちらの世界に残り、今後も俺を(いろんな意味で)狙うつもりらしい。
そのアリスによって異世界へ飛ばされた菊花は、実は別の異世界の勇者で、どうやら俺のことでルーテシアと敵対している。
そしてそのルーテシアは晴れて魔王になったはいいが、魔力のパスを更新するため定期的に俺とキスをしなければならない。
ということはつまり。
俺は異世界の姫のアタックをかわしつつ、妹勇者の暴走を止め、魔王に定期的にキスをしなければならない?
なんだよそれ――
「勇者は引退したのに……!」
嘆いたところで、俺の望む平穏な日常はまだまだ訪れそうになかった。
ひとまずこれにて完結です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!




