む
帰ってこい、俺。
ここで良い結果を残させてあげれば、これからも俺に勉強を教えるよう頼んでくれるかもしれない。
将来を考えて、ここはふざけるのではなく真面目に教えるべき。
それから、二時間が過ぎていた。
一人で勉強をしていても、そんなに集中力が保つことは絶対にないので、雪乃さんに悟られないようにしながらも、俺は時計を二度見し驚いていた。
遅くまで滞在するつもりはなかったのだが、時刻はもう七時半。
普通に高校生ならば出歩いていてもなんら不自然でない時間だが、俺からしてみれば十分な夜である。
家でゆっくりしているか、銭湯に行っているかくらいの時間なので、帰宅後勉強のみというのはありえない時間帯である。どうしよう。
①急いで帰る ②泊めてもらう ③ほんとどうしよう
ーここも③となってしまいますー
まさか、こんな予定ではなかったのだ。
真面目に勉強しようとは思っていたのだけれど、三十分もすれば春香ちゃんがやってきて、結局は遊んでしまうんだと思っていたんだ。
二時間も集中して、時間を忘れて勉強をしていただなんて。
いつの間にか、提出物も半分近くが終わっている。
「ありがとう。あんたのおかげで、それなりに問題を解けるようになった気がするわ。もし良かったらなんだけど、明日も教えてくんない? まだ一教科しか終わっていないじゃない。明日は他の教科もお願いよ」
筆記用具を片付けている俺に、雪乃さんは言う。
これってもしかして、テスト当日まで放課後は雪乃さんの家に来れるってことじゃない?
このような奇跡、本当に起こってしまっても良いのだろうか。どうしよう。
①許可 ②喜んで ③却下
ーここは②を選びましょうかー
雪乃さんがせっかく誘ってくれているというのに、断る意味なんてないだろう。
「はい。雪乃さんに教えるという話ですが、俺の方がたくさん教えてもらえていますよ。雪乃さんさえ良いのなら、喜んで明日も一緒にお勉強致しましょう」
断る意味なんて一つもない。
だからこの返事は本心だったはずなのだが、雪乃さんは少し、困ったような苦笑いを浮かべているようだった。
「無理はしなくて良いのよ? 嫌なら嫌って言ってくれても良いんだから。私はあんたの君主じゃないもの」
無理なんてしているつもりはなかったのだが、雪乃さんにはそう見えてしまったのだろうか。
君主じゃない、か。
俺は本当に嬉しいのに、それは雪乃さんには伝わっていなかったらしい。どうしよう。
①無理なんてしていない ②それなら、君主になってくれませんか?
ー意味がわかりませんがここで②を選ぶのですー
今更、無理をしていない、なんて否定したって逆効果に決まっている。
”ほらまた、きみは無理をして、そうやって笑うんだね……”
何事にも無頓着そうな元気キャラにそう言われて、それ以来振り向いてくれなくなって、攻略失敗となってしまった痛い思い出が俺の中に蘇る。
今こそ、ゲームで培った恋愛力を発揮するとき。
「それなら、君主になってくれませんか?」
無理をしていると、そのことを認めているわけではない。否定するわけでもない。だからといって、無理に話題を逸らすわけでもない。
雪乃さんの言葉をよく聞いて、俺はそう答えた。
雪乃さんが俺の君主じゃないと言うのなら、いっそそうなってもらえば良いのである。
そういった立場を作っておいた方が、友だちという曖昧な関係よりもきっと、彼女だって俺のことを信頼してくれる。酷使してくれるって、そうも思うし。
友だちだと言われると、どこか遠慮してしまいがちだろう? だから。
ここで勘違いしないで欲しいのは、酷使して欲しいわけじゃないってことね。
「な、何をそんな、理解が出来ないことを言っているの? 君主になれって、私があんたのっ?」
驚き戸惑うこの反応は、予想通りである。
これでなんとか誤魔化せたのなら、俺の作戦は成功。これからもきっと、雪乃さんと一緒に勉強出来る。
そう思ったのだが、雪乃さんはしばらく考えると、答えを出したのだ。
「まあ、どうしてもって言うなら、別に良いわよ? あんたの君主になってあげる。だけど、裏切りとかは絶対に駄目だからね」
まさかの了承である。
願わくば了承してもらえらば、でもまあ、無理をしているという言葉を誤魔化せればそれで良い。その程度の思いで発した言葉なので、雪乃さんからの答えに驚きは隠せない。
本当に彼女と主従関係が結べるのだろうか。どうしよう。
①交渉成立 ②裏切るかも ③願い下げだ!
ーここはもちろん①ですよー
裏切りなんてするわけがない。だって裏切る場所なんてないのだから。雪乃さん以外に、俺を受け入れてくれる物好きなんていないだろう。
そう考えたときに、いくつかの顔が浮かんだ。
堂本さん。彼女は自分をクズと卑下して、俺と近い視点から物事を見てくれる。俺にとっては、初めて出来た友だちといえるかもしれない存在だ。
天沢さん。彼女は学校内で常に完璧美少女としての仮面を被っているが、実際はかなりの残念系美少女である。その姿を俺にだけ見せてくれる。本当に俺だけに見せる素なのだとしたら、俺を信じてくれているということなのではないだろうか。ただの哀れみではないと、そういうことなのではないだろうか。
琴音さん。彼女は八百屋赤羽で買い物をする際に出会った、自惚れ美女である。俺との接点は少ないが、確か話し相手になってくれると言っていたような気がする。つまり話し掛ければ、適当だとしても嫌々だとしても、対応してくれるということなのではないだろうか。
彼女たちならば……。
しかしそれは裏切りとは呼ばないはずだし、雪乃さんだって俺を束縛したいと望むわけがない。
だから俺は強く頷き、肯定の意を込めて大きく返事をした。




