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もし本当にそうだとしたら、俺は自分のことを、包み隠さず全て教えたって良いくらいんだんだけどな。
そんなわけないか。どうしよう。
①さりげない努力 ②あからさまな努力 ③頑張れない
ーここは①を選んで頑張りたいと思いますー
下心に気付かれないように気を付けながらも、俺なりに努力してみよう。
彼女に、この美しい彼女に、少しでも近付くために。
「あ、あのさ、その……ゆっ、あぅえ」
というわけで努力しようとしたのだが、無理だったみたいです。
手は握っているが、春香ちゃんに話そうと言うつもりはないようだし、結局沈黙が広がってしまっていた。
気不味いところだが、これは自分から話題を降るチャンスだ!
そう思った。自分にとって都合の良い話題を広げ、他愛のない話に見せ掛けて、彼女の個人情報を収集できるのだと思った。
しかし、そんなに簡単なものではなかったらしい。
名前で呼ぼうとして、まず俺はたじろいでしまう。
春香ちゃんだったら迷わずに名前で呼べるのに。そもそも、琴音さんのような美女も、名前で呼べるではないか。
それならどうして、彼女のことは呼ぶことができないのだろう。
ゆ、雪乃……さん。
無理だった。脳内ですら、スムーズに名前を再生できないようだった。どうしよう。
①頑張る ②諦める ③絶望する
ーここでも①を選びますよー
どうしてなんだろうか。
彼女のことだけは、軽々しく名前でなんか呼んではいけないんだって、そう感じるのであった。
「雪乃と呼んでくれて大丈夫よ。そうしないとわかりにくいでしょう? 苗字で呼ぶつもり? 言っとくけど、姉妹なんだから、それだと春香だって同じになるわよ」
するとどこで俺が迷っているのかが伝わってしまったらしく、彼女はそのように言ってくれた。
確かに苗字で呼んでしまえば、春香ちゃんとも一緒になっちゃうよ。
そうだよね。彼女自身だってそう言っているんだから、下の名前で呼ぶしか、ないよね……。うん、大丈夫、俺ならできる。
彼女が許可してくれているんだから。
「あっそうですか? わかりました。ゆ、ゆっ、雪乃さん……」
なんとか声にはできたのだが、ボッと顔から火が出るような感覚がした。
恥ずかしいなんて言ったレベルではない。
これだけのことなのに、どうして俺はこんなにも。女性耐久値も経験値も低い俺だけれど、まっまさか、ここまでではあるまい?
名前を呼ぶことくらいは、許可を貰えれば自然とできたはずだ。
少なくとも、照れるくらいで恥ずかしがることはなかったはずだ。どうしよう。
①やっぱり苗字で ②頑張ってみる ③アダ名とか
ーここでなんと③を選ぶようですよー
でも頑張ろうにも、雪乃さん、なんて呼べない。
「どうして真っ赤になってるの? おじさんったら変なのー」
からかうような口調で、春香ちゃんがそう言ってくる。
どうしてこう子供というのは、人の痛いところを突いてくるのだろうか。
素直で無邪気なところは可愛いと思うし、子供の特権と魅力だと思うけれど、こういう場合には傷付くのでやめて欲しいと思う。
変だって、自覚しているから。
「その……、じゃあ、アダ名とかで呼んではいけませんか? やっぱり同級生の女の子を、下の名前で呼ぶということにあんまり慣れなくて、嬉しいんですけど、かっ、関係が疑われるというか。だからその、アダ名とかの方が、友だちって感じがして良いかな、とか思うんですけど、どうでしょう」
挙動不審だ。完全に怪しまれてる。
今更ながら自分の口下手さを痛感した。
もうこんな状態じゃ、絶対に怪しまれる、そうに決まっている。嫌だ、帰りたい。
「ふん、随分と面白いことを言うのね」
しかし当の彼女の方は、訝しむとか怪しむとか警戒するとかではなく、楽しそうに笑っていた。
鼻で笑うような笑い方だけれど、決して馬鹿にしているような笑い方ではなかった。どうしよう。
①喜ぶ ②頑張る ③死ぬ
ーここは②を選びましょうー
引いている様子はないから、もう一頑張りしてみようかな。
俺にこんな美女はもったいないし、釣り合うはずもないし、俺なんか彼女の視界にも映っているかどうかってところだろう。
偶然、春香ちゃんが俺に懐いてくれたから。
偶然、俺と同じ学校で、俺と同じ学年だったから。
偶然、テスト前の期間に会ったから。
そんないくつかの偶然が重なって、今は一緒にいるというだけ。
そして一緒にいるという事実は、彼女が俺のことをなんとも思っていない、証拠でもあるような気がした。
「昇降口で出会して、教室まで一緒に行った日を覚えているかしら? あの日のあんたも言ってたわよ。あんまり慣れなくて、って。何もかもが慣れていないのね。今まで、どうやって生きてきたの? それに私、思うのよ」
軽く落ち込んでいた俺に、彼女は優しくそう言い出した。
その言い方は冷たいものだったけれど、突き放すようだったけれど、俺にとってはひどく優しいものに感じられたのだ。
彼女の声に聴き惚れながら、彼女の言葉に喜んでいると、思わせ振りな微笑みで言葉を区切った。
思うのよ。と言ってから、少しの沈黙を作るのだから、彼女はテクニシャンだと思う。
こんなにも意地が悪いこと、きっと俺にはできないから。
こんなにも鼓動が早くなるなんて、触れ合っているわけでもないのに、愛を囁かれたわけでもないのに。どうしよう。
①問い返す ②待つ ③耳を塞ぐ
ーここも②を選ぶとしましょうかー
一体、彼女はその先にどんな言葉を紡ぐつもりなのだろうか。
それを待つのは不安で、春香ちゃんと繋いでいる手に、少し力を込めてしまっていた。




