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暫くは呆然としてしまっていたけれど、急がなければいけないのだということを思い出す。
まずはそうだ、きちんと整理して考えてみよう。
俺に電話をしてくれたのは松尾さん、これは間違えないことなんだよね?
どうして電話番号を知っているかという問いには、祭ちゃんに教わったのだという答えが、もう既に返されている。
そもそも、電話を掛けてきた理由は?
それは、それは……。
松尾さんの父親が俺のことを呼んでいるという、その理由が気になる理由ではあるのだが、松尾さんはそう言っていた。
整理すればするほど、混乱へと陥っていくようであった。どうしよう。
①考える ②外へ出る ③逃げ出す
ーここも②となりますかー
家の外で待っていてくれると嬉しい、松尾さんのその言葉は、家の外へ出て待っていろという命令よりも、その効果をより絶大に持っているようであった。
いつ迎えが来るのかわからないのだし、とりあえず、適当な準備をしたらば外で待っているとしよう。
持ち物とかは何も言われていないけれど、何か必要なものでもあるのだろうか。
それとも荷物を持っていくこと自体が、邪魔と言われるようなことなのだろうか。
相変わらず正解というものが見つからないものだから、せめて余計なことをしてしまいはしないようにと、手ぶらで家の外へと出た。
そうして少し待っていれば、これで間違えないのだろうという車が走ってきた。
「早くお乗りください。ご主人様とお嬢様がお待ちですので、さあ客人、お急ぎ頂けはしないでしょうか?」
向こうも俺に気付いたらしい。
車に詳しくない俺でも、相当の高級車だろうとわかる黒い車から、黒いスーツを着た紳士的な風貌の男性が出て来て、少し冷たい言いぶりながらも俺を車に乗せようとする。
完全に俺とは住む世界が違うといった様子である。どうしよう。
①乗る ②乗らない ③逃げる
ーここで①を選ばなければ進みませんよー
森鴎外の高瀬舟、だったっけか? あれに乗せられる気分だ。
どういう話だったか詳しいことは知らないけど。
「あ、あの、松尾さんはなんと仰っていましたか? 本当に怒ってはいませんでしたか?」
沈黙が気まずくて、何か言わなければいけないとは思ったけれど、どうしてこんな話題にしてしまったのだろう。
もっと気の紛らわされるような、内容のない話で十分だった。
いやでも、初対面の人と世間話をするほどのコミュ力を俺が持っているとでも?
そんなのは持っていないに決まっている。
「あぁ、お嬢様ですか。お怒りの様子は見えませんでしたね。むしろお喜びなくらいに見えましたけれど、……このような質問をなさるということは、何か怒らせるようなことをなさったと。心当たりがあるのだということでしょうか?」
お付きの人とかだろうし、松尾さんのことは俺よりもずっとわかっているだろう。
そんな人が喜んでいるように見えたというのだから、確かに松尾さんは怒ってなどおらず、喜んでいるということだ。
しかし、喜ばせるようなこともしていない。その理由もなくないか?
運転をしてくれているから、会った時点で感じた刺のある鋭い視線はさすがにないけれど、刺のある言い方で、こちらを向いてもいないのに睨みを感じさせてくる。
一つ間違えたら殺される、そんな緊張感があった。どうしよう。
①肯定 ②否定 ③無言
ーここは即座に②を選びましょうー
「ま、まさか、そんなことはありません。けれど、無意識に何かをしてしまったのかと思いまして、だってそうでなければ、松尾さんのような方に俺なんかが呼ばれる理由がわかりませんし」
慌ててしまっては、動揺してしまっては、より怪しまれるだろうとはわかったこと。
怒られるようなことをしていないのは真実なのだから、もっと堂々とするべきであるのに、俺のメンタルはこの緊張感に勝てなかった。
話を振ったこと、それ自体が間違った選択だった?
いやいやいやいやいや、無言沈黙その空間、絶対に耐えられない!
松尾さんの家どこさ、早く着いてよ。
電話からそう経たないうちに迎えが来たんだから、それくらいしか掛からないはずなのに、もう五、六時間は経っている気分だ。
この時間、頼むから早く終わってくれ。
「到着です。お嬢様がお待ちですから、急いでそちらへと向かわれるように」
漸くその声あって、車の扉を開けてもらえる。
勝手に圧倒されるほどの豪邸を想像してしまっていたので、それほどではないと思ってしまったが、そこは庭の広い洋風の一軒家であった。
玄関の前で松尾さんが待っている。どうしよう。
①走っていく ②歩いていく ③遠ざかる
ーここは①を選びましょうよー
お待ちだとは何度か言われたけれど、ここまで直立不動で、それもこの暑いのに外で待っているなどとは思わなかった。
「あっ、やっと来たよ~。ようこそ、松尾家へっ。ささ、入って入って」
背中を押してそのままリビングと思われる部屋にまで連れて行かれ、椅子に座らされる。隣には松尾さん、テーブルを挟み向かいには中年の男性が座っていた。
上品な雰囲気があり、穏やかながらも厳かな雰囲気を持つ男性だった。




