定点観測:花神楽高校保健室の場合
A.M.8:40
朝日差し込む保健室。白を基調とした部屋は眩しく照らされている。実に爽やかな光景だ。
そんな保健室に、朝礼を終えて入ってきたのは爽やかとは程遠い、白衣を着た中年の男。白髪混じりの黒髪は櫛も通らなそうなほど絡まっており、右側しか見えない黒い目はまだ眠そうだ。
これでも男は花神楽高校の養護教諭だ。名前は深夜 霧という。37歳独身。養護教諭のイメージを根底から覆すような彼だが、生徒や教師との関係は良好である。
「さぁて、今日も頑張りますか……ま、あんまり来ないといいんだけどな」
A.M.11:00
深夜のそんな思いとは裏腹に、早くも1人目がやってきた。しかも。
「むっさん、体育休みたい。いさせて」
「おいここは休憩所じゃねぇんだぞ奈月」
体育があると1回はやってくる奈月だ。毎回追い返しているのだが、懲りずにやってくるのである。
「休むのは別に俺がどうこう言う立場じゃねぇけどな、保健室は怪我人とか病人とかが来るために開けてあるんだよ。これ言うの何回目だと思ってんだ」
「15回目くらいかな」
「数えるな。とにかく、見に行くくらいはしろ。何度来たって無駄だぞ。ほら行った行った」
奈月はめんどくさそうに保健室から出ていった。はぁ、と深夜はため息をつく。訪れる者の大半はこうして怪我人でも病人でもない。そうした意味でも「あんまり来ないといい」のである。
A.M.12:00
とはいえその後は至極暇で午前中が終わった。昼休みになると届いたお弁当を取りに職員室に行く。
保健室の前まで戻ってくると、隣の化学室から誰か出てきた。白衣を着た灰色の髪の青年だ。深夜に目もくれずそそくさと廊下を歩いていってしまった彼を深夜は目で追った。
(……あれ誰だったっけな?)
不思議に思いながらも保健室に入ると先客がいた。
「どこに行ってたんだ、むっ」
「お、テオ。来てたのか」
「当番だから当然だろう」
当番と言いながらもぐもぐと弁当を頬張り明らかに仕事をしているようには見えないが、彼は保健委員のテオ・マクニール。
「折角来たのにいないからとうとう仕事を放り出したのかと思ったぞ」
「昼飯を取りに行ってただけだっつーの。おっ、美味そうな弁当だなぁ」
「見るな!」
幸い、今日昼休みにやってきたのはテオのみであった。
かと思われたのだが。
「こんにちは~」
声が聞こえた瞬間テオが勢いよく立ち上がった。椅子が倒れる。扉が開き、赤いロングスカートが映える家庭科教師、シギュンが入ってきた。
「あれ、シギュンせ」
「シギュン先生こんにちは!どうなさったんですか!?」
「あらテオくん、保健委員の当番?」
「はい!!!」
ちなみにテオはシギュン先生の大ファンである。
「で、どうしたんですか先生」
「あぁそうそう、絆創膏をいただけないかしら?」
「絆創膏?いいですけど…ど」
「どうかしたんですかシギュン先生!?お怪我ですか!?」
「そんな大したことじゃないのよ?さっき包丁を片付けていたらうっかりちょっと指を切っちゃって…ちょうど手持ちが切れてしまっていたの」
「そういうことだったんですか。はいこれ絆創膏」
「させるか!!!」
「おぅっ」
深夜が棚から出してきた絆創膏を差し出した瞬間、テオが細い体からは想像できないほど強いタックルをかまし絆創膏を奪い取った。
「はいどうぞシギュン先生!あ、巻きましょうか?」
「あら、ありがとう」
「…お前こんな力どっから出るんだよ」
P.M.2:30
午後の授業が始まった。外では2年生が体育でサッカーをやっている。深夜はそれをぼんやりと眺めていたのだが、何やらにわかに騒がしくなった。見ると何人かの人だかり。
「こりゃ来るな……」
嫌な予感がして深夜が準備をしていると、誰かがふたりやってきた。一方がもう一方に肩を貸している。貸している方の緑髪を見るや、予感が当たったと深夜は額を押さえた。
「ユトナ、またお前かいい加減にしろ」
「つい夢中になっちまって…」
男らしい容姿と口調、だが女子、という彼女はユトナ=レインハーク。体育が大好きで、夢中になると周りが見えなくなる彼女は怪我を「させる」常習犯である。今日の犠牲者はツァオであった。
「えらい擦りむき方してんなぁ…見るにちゃんと洗ってきたみたいだな。上出来だ。座れ」
消毒液とガーゼで手際よく処置をしていく。
「打ち身してる感じもあるな。今んとこはこれで大丈夫だろうが、明日になっても痛みが引かなかったら念のため病院行っとけ。風呂は入っていいけど傷は擦るなよ」
「はい」
処置の様子をしょんぼりと見ていたユトナに深夜は手を差し出した。
「ほらユトナも。肘擦りむいてるだろ、貸せ。消毒くらいしとく」
「えっ、あっ大丈夫だよこれくらい!」
「いいから」
結局ユトナはおとなしく従った。
P.M.3:00
「深夜先生!」
授業も終わる頃。少し慌てて数学教師のソウル・ミオウレアがやってきた。隣にいるのは明らかに調子が悪そうなフェネアレスト・ディリス。歴史教師だが保健室の常連でもある。
「レスト先生…またですか」
「職員室でぐったりしてまして」
「とりあえず寝ててください。熱計りましょう」
「…すみません……」
熱を計っている間、深夜はソウルと少し話をした。気になったことがあったからだ。
「そういやお昼頃隣の化学室から誰か出てきたんですけど、あれ誰でしたっけ?」
「あぁ、それグレイですよ」
「グレイ?」
「うちの理科教師です。オレの友達でもあるんですけど。今日あいつ珍しく弁当取りに出てきたんですよ」
「へぇ…。あ、鳴りましたね。失礼。あー…熱ありますね。今日はもう帰ってください」
レストは割と頻繁に体調を崩して保健室に運ばれてくる。体調が悪いのを自覚してもなお仕事をしようとするので性質が悪い。度々こうしてドクターストップをかけているのだ。
(真面目すぎるのも考えもんだな…)
P.M.5:15
日も落ち始めた放課後。部活で怪我をした生徒がちらほら来たものの比較的平和に過ぎていった。そこにバタバタと飛び込んできた影。
「深夜先生いるかい!?」
「そんな大きな声で言わなくても分かりますよアレックス先生。あととりあえず祐未を降ろしてやって…」
体育教師のアレックス・ラドフォードが2年の白井祐未を姫抱きして仁王立ちしていた。祐未は全力で抵抗していて今にも落ちそうだ。
「一体どうしたんだ?」
「帰ろうとしたら近くで喧嘩が起きててよ。止めに入ったらそいつカッター持ってやがって」
「騒ぎを聞いて私が駆けつけてその場は収まったんだが、折れた刃が祐未の腕に刺さってしまったんだよ!」
どうやら止血はされているらしい。だが傷口はあまり浅くはないようだ。
「じゃあ早く病院行ってくださいよ。アレックス先生保健の先生なんだし応急処置はできてるでしょう」
「頭が真っ白になってしまってね…気がついたらここまで走ってきていた!」
「はぁ…先生でも焦ることあるんですね…とりあえず包帯巻いとくんで病院行ってきてください…」
「分かったありがとう!」
深夜が処置を終えるとアレックスは有無を言わさず再び祐未を抱き上げ保健室を出ていった。祐未が騒いでいるのが聞こえたがこの際気にしないことにした。
小さな嵐が過ぎ去り、深夜は深くため息をついた。