第8話::イオリーンの憂鬱
運営様よりR18指定を受けたため、大幅修正をいたしました。(2019年3月1日)
元の小説は修正作業が終わり次第『ノクターン』に掲載予定です。
女心と秋の空、とはよく言ったものだと、窓辺から庭を眺める少女は思った。
「お嬢様、自分の心に素直になったのでしたら行動に移さなくてはいけませんですぞ」
「もう、分かっているわよ!
そんな小言を言う暇があるならお菓子でも作ってきなさい!」
「今日のおやつはもう食べたじゃないですか!」
「ちっ!」
少女――ウォルター家の当主であるイオリーン・ウォルターは執事のコヘージを睨む。
先ほどの発言は今日のおやつをもう一度食べられるかも、という思いからの返しだったのだがあっさりと突っ込まれてしまう辺りが彼女の人間性の表れだろう。
イオリーンは今、物思いにふけっている。
「お嬢様、何度でも言いますがこの世には素晴らしい名言があるのです。『女は行動力』!」
「その行動を起こすための作戦を考えているんだから邪魔しないでっ!」
イオリーンの悩みというか考え事というか。まぁ、ぶっちゃけてしまえば“掃除屋”イングリッドのことだ。
それなりに難易度の高い依頼を高飛車な態度で押しつけて反応を楽しんでいたかつての彼女は、使えるようなら雇ってやろうという考えからイングリッドを指名依頼した。
しかし、やってきたイングリッドと対面し、彼女の強さとカッコ良さにイオリーンは心を奪われたのだ。
仕事柄、多くの人間を見てきたイオリーンとて、イングリッド程に抜きんでた圧倒的なまでのカッコ良さに惚れたのは必然と言えよう。
「(あれは本当に衝撃的出会いだったわね……)」
ぐびり、とカップを傾けて紅茶を飲み干すイオリーンにおかわりを素早く注ぐコヘージ。
イングリッドは依頼そのものもチャチャっと完遂し、出会ってその日に彼女はイングリッドに抱きしめられ、報酬としてほっぺにチュッとしたのだ。
初めてだった。自分が誰かを好きになるだなんて感情があることに驚いた。
だけどイオリーンは貴族で、イングリッドは掃除屋。
高貴な身分に生まれた人間は、その生涯のすべてを通して人の上に立つべき人間であることを示し続けなければならない。
そんな信条のウォルター家に生まれ、血筋だけでなく経営手腕にも優れたイオリーンは全てを捨てることが出来るほど身軽な身分ではない。
自分のことだけなら全てを捨ててでもイングリッドの元に向かったかも知れないが、彼女の仕事は多くの下々の者たちに欠かすことのできない第三次産業の恒久的で安定した需要を満たすという崇高な使命感がある。
「まったく……、ままならないものだわ」
執事コヘージの淹れた紅茶を熱々のまま、ぐびぐびと飲み干す。これでもう9杯目だ。
それでも渇きは治まらない。体の火照りは熱々の紅茶すら冷水のように感じられるほど。
渇きとは反対に、たぽたぽに満たされたお腹はまるでイングリッドの愛で満たされているかのように熱を帯びている。
イングリッドの触手から放たれた愛を限界まで注ぎ込まれた時のことを思い出してしまうのだ。(実際には紅茶の熱さだが)
この熱をイングリッドへの愛だと感じたイオリーンは一人決意した。思いのたけを思いきりぶつけようと。
そして時は動き出す。彼女は停滞という無間地獄めいた思考の迷路を抜けだし、『女は行動力』という太古のことわざに従って動く。
◆ ◆ ◆
「待っていたわ、イングリッド。
話は簡単、あなた、私のものになりなさい」
掃除屋ギルドにて待ち伏せし、鼻唄混じりに入って来たイングリッドを出迎えたのは顔を真っ赤にして高圧的な口調のイオリーンだった。
これは借りを返すためなどではない。イングリッドによって目覚めた一人の百合として、女を上げるためだ。
イオリーンは、そう思うことで必死に絞った勇気で出た言葉なのだが、コレでは彼女の気持ちなど伝わるはずもないだろう。普通なら。
「……なるほど。OK、万事分かった」
「へ? んむぅ!?」
衆人環視の中、照れも恥じらいも一切なくイングリッドはイオリーンを抱き寄せるとそのほっぺに自分の唇をチュッと重ねる。
「ぷはぁ……、ワタシに用が合ってここに来た。
そして用事ってのはコレだろ?」
「な、なんで……」
なんで分かったのか。そう問おうとしたイオリーンの唇は再びイングリッドの手によって塞がれた。
一瞬、思考が停止するほどの衝撃。
再びイオリーンのほっぺにイングリッドの唇がチュッとした。
貴族たるイオリーンのほっぺに! たかが掃除屋でしかないイングリッドは平気な顔をしてチュッとしてくる。
背筋がゾクゾクする感覚と同時に今まで感じたことの無いほどの快楽に染め上げられ、思わず失禁してしまいそうなほどに力が抜けてくる。
それを見たイングリッドは、今日一番の慈しみ溢れる笑顔と声で語りかける。
「一つ、百合は声無き声を聞けってやつさ。
百合たる者、相手が言いたいことくらい目を見りゃ分かるってものさ。
なんてったって、ワタシはイオリーンを愛しているからな」
イングリッドにしてみれば世界中の女性は全て自分の恋人、と考えているからこそのセリフであるのだが、イオリーンにとっては初恋の相手からの言葉だ。
イングリッドの言葉が心を暖かく満たすまでに時間はかからない。
「でも……、私は貴族だし、仕事も大切だから一緒にいられる時間もあまり無いし……」
「関係ないさ。会える時間が短くても、ワタシはお前を愛している。
そこに嘘偽りはない」
ギルド内に居る他の掃除屋なりギルド事務員はまるで物語の感動シーンを観ているかのように二人の美しい百合の告白現場を応援していた。
周囲の声無き声が、さらにイオリーンの背中を押す。
「(頑張れ)」「(応援してるわ)」「(イングリッドさん素敵)」「(愛は最強)」
皆それぞれにイングリッドに憧れ、彼女の恋人として愛し愛される面々の心からの声援である。
イオリーンもそれを感じ、イングリッドへの愛情を素直に表現しようとする。
だが、言葉にならない。彼女が普段から強気な発言ばかりしているのは、臆病で弱虫な自分の反動からなのだ。
「大丈夫。焦ることはないさ。
ワタシは待てるし、気持ちは変わらない。
ゆっくりと落ち着いて行こうや」
微笑むイングリッドの目を直視してしまい、さらに真っ赤になってうつむくイオリーン。
こともなげに愛を誓う主の姿に毎度お馴染みのあきれ顔を見せるクラミルはこの後の展開を予想し、本日最大級の溜息を吐く。
「それじゃあ、イオリーン。そう言う訳でワタシの家に来なよ。
一緒に暮らそう、そうしよう♪」
「え?」
かくして! ドレバス・シティにおける最強の一角、一人要塞でもあるイングリッドの自宅には新たな恋人が同居することとなったのである!