まどろみの潮騒
急ぐと傷に障る。本当は振動を与えたく無いが、思ったよりも山賊のアジトがブルスタン側で数時間でも到着出来そうだった。
ここは無理にでも急ぐ必要が有る、アギラオには耐えてもらうしかない。不味い事に意識も無く、きつく包帯を巻き固定したが応急処置に過ぎない。
おまけにシンタの妹のマリナの体力も心配だ。今出来る限界の消化の良い食事をして貰ったら緊張が解けた性か気絶する様に眠ってしまった。
2人の体を少しでも振動から守ろうとノルドとシンタが抱き、動けるのはマリだけなので御者を任せている。フォルクには傷に効きそうな調べを奏でてもらう。
こんな時に敵に会わないか不安で俺達も疲労が溜まるが、数時間後。俺達はブルスタンの前まで無事に辿り着いた。
何度か小さな敵襲があったがマリが魔法で瞬殺してくれたので停める必要が無くて助かった。シンタはかなりストレスだったのか、また眉間の皺を刻んでいた。もう癖になってしまっているんだろう。
--ブルスタン--
ここは山間に築かれた村で入り口と出口は門構えになっていて防衛に向いた造りになっている。
流石に素通りは出来ず、門番の青年に呼び止められる。
「君達、悪いが停まってくれ。そんなに急いで何処に行くというのか。敵対の意思が無いなら述べよ」
内心、うっとおしいと思ったが揉めるだけ無駄だ。
「仲間が重体なんだ、病人も居る。直ぐに通すか医者の案内を頼む!」
ノルドが荷台の中を示し見せると一刻を争う状態なのが判ったらしく、門を閉じ付近の村人に怪我人を連れて行く旨を伝え、緊急交代要員を頼み俺達に同行した。
どうやら、たまたま滞在中の医者が逗留しているからと紹介してくれる積もりみたいだ。
技量の程は未知数だが、素人がわちゃわちゃするよりかはマシな筈だ。
逗留先は村長宅。
門番の機転のお陰ですんなりと村長と接触出来た。
「彼等が近くを根城にする山賊に襲われ、重傷を受けた仲間に治療を受けさせたいそうです。残念ながら山賊頭は捕り逃したそうですが、半壊には追い込んだとの事」
「頭はガレオと言う火の化創士と言う情報です。如何致しましょう?」
門番君が丁寧に現状を纏めてくれたお陰で、村長も素早く現状を理解出来た。門番に指示を与え、俺達は直ぐに医者を紹介してくれる事になった。
彼は近隣に強力な山賊が出て村では扱えないとの村長の要請で大きな町に依頼に行く事になった為に早馬で出発。
入れ違いで2階の客室に篭もっていた医者を村長が連れて来てくれた。
医者は老婆の様だったが背筋がピンと伸び、眼光には力が有った。名はイラクシと言う。
町医者で広く浅くだが実践に強いと言う。受けるも何も患者を診なければ何とも言えぬと場所を移動。
広く清潔な部屋が、村長宅にしか無いので借り受けて中に運び込み、まずは傷の具合を確認してもらった。
アギラオの包帯の下はまだ血が乾き切っておらず、傷口は潰されて歪んでいる。難しい顔をするイラクシに息を呑む俺達。
暫くあれこれ見た後、ノルドを見るイラクシ。
「うむ、あまり楽観は出来ないがやってみよう。途中、強い薬を使わなければならないが了承するかね?」
「治るのなら文句はありません、やって下さい」
間髪入れずに答えるノルド。
「わかった。申し訳無いがわし1人では人手が足らん、誰か手伝いは出来るかの?」
目を細めうっすらと微笑むイラクシ。
「この中でなら俺だろう。よろしく頼みます」
やはりノルドが立候補した。
マリナの方は状況を聞く限り、単なる運動不足と栄養失調だろう。翌日もう一度見る事にして2階の1室にマリとマリナで部屋を借り、男は一纏めに少し大きな部屋を借りて2人の容態が安定するまでは置いて貰えるとの事。
勿論、部屋代と食費は払う。
小さい村だから宿屋など無いのでこれが普通らしい。村長も貸している間は村の願いを幾らか任せるとも言っていたので気に病む事は無いと言ってくれた。
良い村だなとシンタは思った。
一方、その頃イラクシ達はアギラオの手術を始めていた。先に言っていた薬を飲ませたイラクシが傷口をしっかり綺麗に洗ってもアギラオはビクともしなかった。
「麻酔だよ。最近じゃとんと見なくなったが効果はこの通りさ、ヒヒッ」
楽しそうに笑うイラクシが少し怖い。
調合の仕方は教えて貰えなかったがグラゲ草がヒントだよと洩らす。簡単に教えて良いのかと思いつつ頭の片隅に覚えて置く事にして手術を続ける。
傷は洗い流すと本当に深くて酷い、肩口は特に酷く骨が少し見えている。
ノルドに体を支えさせて小さく古語で魔法を唱え繭藻の糸で内部からしっかりと縫い合わせ、上から2種類の軟膏を塗り、清潔な布を押し当て包帯を巻き直した。思ったより時間が掛かっていたらしく村は静まり返っている。
ノルド自信、緊張を保つのもそろそろ限界で辛い。
「お疲れ様、ノルドとか言ったね。術式は上手くいったと思うよ、安心おし……、ただあれだけの傷だ痕は大きく残ってしまうね」
「後は高熱が暫く続くだろうからこれとこの薬を混ぜ合わせて包帯を巻き直す度に塗り直しなさい。粉の方は熱冷ましだから間違えるじゃないよ。容態が急変する様なら呼びな」
細々とした配慮までして貰い、やっと息を吐けた。
「わしゃ疲れたよ、お前さんも少しお休み……、根を詰めても良い事ないさ」
去り際、跪くノルドの目元を擦るイラクシ。
ノルドは気付かぬ内に声も無く涙を流していたみたいで少し驚く。
後ろ手で手をヒラヒラしながら退室したイラクシにノルドは自然と敬礼をしていた。
アギラオは夢を見ていた。
思う様に動かない体と高熱で意識は途切れては眠る。
夢の中でも感覚は薄く、心は冷たく薄っすらとした光だけを感じていた。
「俺、死ぬのかな?」
なんとなく確信な様に思えた。
心にはずっと声が流れていた。何を喋っているのかは判然としない。
それが俺は何故か悲しかった。
『泥に塗れても 翼をもがれても 忘れるな』
『吹き抜ける 風は謡う 深遠の水底にさえ』
『深く 泡の鼓動が聞こえる』
聞こえたのは潮騒……。