しろいもの。
静かな朝の空気の中で、ページを捲る音が重なる。
返却機が短く鳴るたび、返ってきた本が台車の上へ積み重なっていく。
小さな咳払いが聞こえ、窓から差し込む白い光が本棚の列を静かになぞっている。
溜まった返却本を見て、棚のほうへ目を向ける。
立ち上がり、台車から溢れそうな返却本を数冊抱え上げた。持った途端に電子音が鳴り、空いたところに返却本がまた溜まっていく。
背表紙の分類シールを目で追いながら棚へ向かう途中、視界の端を見慣れた黒い染みが横切った。
足を止めずに背表紙を揃え、本を一冊ずつ棚へ戻していく。
最後の一冊を差し込んだところで顔を上げると、本棚の向こうに白いものが立っていた。
俯いた細い背中の白いシャツだけが、光を受けて浮いて見えた。だが、そのまま視線を戻した。
貸出機の席へ戻って腰を下ろす。向かいでは同僚が修理本を開き、紙を捲る乾いた音だけが返却機の電子音へ溶け込んでいた。
同僚が首に下げている名札を指先でいじって裏返しにするのを一瞥し、足元の箱から別の一冊を取り出して破損箇所を指先で確かめる。
糊へ手を伸ばした拍子に、棚が視界に入る。黒い染みは動かず、白もまだ立っていた。
振り返ると同僚と目が合い、棚の黒い染みを顎で示す。同僚は首を傾げ、肩をすくめた。
返却機が連続で鳴り、積まれた本が増えていくのを横目で見て席を立ち、数冊抱えてもう一度棚へ向かう。
本棚の分類番号を追いながら歩いていると、窓から差し込む光が棚の角だけを白く照らし、その向こう側――さっきまで一番奥にいた白が、一つ手前へ移っていた。
近い。
棚の本に触れず、背表紙も見るでもなく俯いたまま立っているが、返却本だけ見て歩き、すべて棚へと戻していく。
カウンターへと戻ると、時計の短針が真上を示していたので返却機のある席の者と交替して腰掛けた。
同僚が返却本を抱えて棚のほうへ向かったのを目で追っている途中で、あの白いものがまた。
近い。
さっきまで文芸書棚だった。
昼へと時間が近づいた頃、最初の時間と同じように同僚と向かい合って貸出機の席についた。
足元の箱から修理本を選んで取り出し表紙を開くと、ボールペンで書き込まれた箇所が目に入る。
道具を探していた手が止まり、はっきりとあの白が視界の中に映り込む。
近い。
さっきまで雑誌の新刊棚だった。
視界を遮ったのは本を抱えた利用者の姿で、貸出手続きをして少しだけ言葉を交わす。
新聞を読む常連が大きめの音を立てて閉じ、べつの新聞を引っ張り出している。
返却台車に徐々に本が増え始め、棚に行っている担当の者が戻って来る様子がないので立ち上がる。
数冊抱えた腕越しに同僚と目が合い、少しだけ眉を下げてみせると、彼女はまた肩を軽くすくめた。
棚に戻したばかりの本を、後ろから伸びた手が静かに引き抜いていく。
すれ違う利用者と距離を保ちつつ歩いていると、あれが目に入る。
近い。
白が大きい。
さっきまで貸出カウンターから二列目だった。
白いシャツの袖口だけが棚の隙間から覗き、その下に伸びた指先は空のままで、貸出券も、本も、雑誌も、何一つ持っていない。
席へ戻って腰を下ろす。同僚が小さく息をつき、軽く上げた手にはまっている指輪を薬指に移した。
落書きのあるページに消しゴムをかけていたが、また返却本が積み上がっているのが目に入り、立ち上がった。
腕に数冊抱えて振り向くと、さっきまで貸出カウンター近くにいた白が、いつの間にか同僚の前へ立っていた。
「恋人います?」
その声を静かに受けた彼女は迷いなく左手を少し持ち上げ、薬指に光るそれを若い男に見せた。
黒い染みはまだ同じ場所に残っていた。
※この物語は、実際に図書館で勤務していた頃の経験をもとに再構成したフィクションです。




