自家焙煎珈琲ピーベリー
「どうしよう⋯。」
初めてお客様から飴ちゃんを貰ってしまった。仕事中に何か貰うわけにはいかないのに⋯。
取り敢えず、店長に報告?
キッチンの奥の焙煎部屋。扉の奥から聞こえてくるのは、寄せては返す波音の様な焙煎中の豆の音。
ノックをするとくぐもった「はい」と返事がある。
「店長、お忙しい所すみません。お客様から⋯」
「ちょっとだけ待ってくれるか?」
ガラスの小さな覗き窓から、店長は機械の中の生豆を凝視する。
回転させながら生豆に火を入れていくと、次第にパチッパチッと爆ぜる音がし始め、店長の手書きノートを見る真剣な顔つきに緊張が走る。
部屋に充満するたまり醤油のような独特な香りは、珈琲の香りとはかけ離れているのにあの美味しさが生まれるのか不思議でならない。
時折豆の状態をチェックする為素早く専用スプーンで出しては入れて、その手捌きに見惚れてしまう。
店長が機械のノズルに手をかけると同時に、豆を排出し冷ます工程へ。その勢いに思わず「わぁ」と声が出てしまった。
「びっくりしたか?⋯よし。話があったのか?なんだった?」
一瞬記憶が飛んだように、ぼうっとしてしまったが直ぐに飴ちゃんを店長に見せる。
「これをお客様から頂いてしまって。」
「⋯律儀だな。」
「はい。いつもありがとう、と⋯。」
「違うよ。佐々木さんが律儀だなって話。普通、報告しないでパクって食べちゃうよ?」
クスクス笑う店長は、冷ましていた焙煎後の豆を瓶に詰めながら話す。
「嬉しいけどね、僕は。お客様から頂いた事自体を話してくれる律儀な従業員で助かるよ。それは持って帰りな?佐々木さんにくれた飴ちゃんだから。頑張ってくれてる証拠だ。さっ!仕事に戻って?」
「はい。失礼します。」
閉めた扉の奥で高い鈴の音の様に聞こえてくるのは、新たに生豆を焙煎機械のステンレス投入口に入れる音。今焼き始めた生豆は、これからお客様に提供するまで2日以上経たなければ飲むことが出来ないことになっている。
じっくりと掛けられた時間は、短い幸せの為に砕けて抽出される。一口で得られる幸せは治癒魔法の様に人々を癒す力を持つが、その儚い時間に消えてしまう。
私は今日もその時間を少しでも長く、高純度の魔法になるよう努める補助魔法師としてこの【自家焙煎珈琲ピーベリー】で働いているに過ぎない。
「いらっしゃいませ。2名様ですね。どうぞ。」
カップルは並んでひとつのメニュー表から選ぶ。肩が触れ、互いに覗き込み、顔を見合わせる。それが思い出のひとときになるのなら、敢えてもう一つメニュー表を持っては行かない。
「すみませーん。ブレンド珈琲と抹茶ラテ、あと⋯珈琲ゼリーとガトーショコラをください。」
「かしこまりました。お待ち下さい。」
珈琲豆を挽きフィルターへセットして、湯を円を描くように3回に分け投入してゆく。その間に濃茶を点て、そこへフォームドミルクを注ぎ抹茶の粉末を振りかける。
デザートのガトーショコラと珈琲ゼリーには生クリームを添え、ミントと粉糖でおめかし。
ちょっとした戦場と化すが、何とか乗り切った。補助魔法師としては上出来だ。
「お待たせいたしました。こちらブレンド珈琲と抹茶ラテ、珈琲ゼリーとガトーショコラ、です。カトラリーはこちらからお使いください。ごゆっくりどうぞ。」
一つずつ皿を置く度に「わぁ!」と声を上げて笑顔が溢れる彼女を、照れながら見つめ嬉しそうな彼氏。⋯ちょっと羨ましい。
キッチンへと戻ってくると、洗い物の現実が待っている。チャチャッと洗って次の戦場に備えなければいけない。羨ましがっている場合では無いと自分を奮い立たせる。
「「ご馳走様でした。」」
「またのご来店お待ちしております。」
――カランカラン−−⋯
彼氏の押すドアから彼女は終始笑顔で店を出る。店頭の道路を歩く手を繋いだ二人の影は、明るい街灯に伸び無邪気に揺れては去っていった。
店頭の看板を外し、入り口を施錠する。
これにて【自家焙煎珈琲ピーベリー】は本日の営業を終えた。
キッチンの洗い物を片付けテーブルは拭き上げ、ホールを掃いてパチンッと電気を消す。
誰も居なくて静まり返った真っ暗な店内を見るこの時、少し淋しい気がするのは何故だろう。
「お疲れ様〜上がって〜!」
「お疲れ様でした。お先に失礼します。」
スタッフルームでエプロンを脱ぐと、コツンッとポケットの中から音がした。弄るとお客様から貰った飴ちゃんだった。
「ハッカ、飴⋯」
ぴりっと破いて口へ放り込んだ瞬間、鼻をスーッと通る清涼感が口いっぱいに広がる。
自分の小さな鞄にゴミを入れバックヤードから外へ出る。
夜空には一番星が輝きを増し、遠くにあるお月様が目を細め私を見下ろしている。
風が頬を撫でると、吸い込んだ空気があまりにも冷たくて身震いする。この飴のせいだろうか?それとも他人の恋模様に触発されて人恋しくなったのか?
「ふふっ。」
柄にもないことを考えて不意に笑ってしまった。変人に見られたかとキョロキョロと辺りを見渡したが、大通りでは余計に目立ってしまう。
紛らわすように口の中で転がした飴ちゃんで、この飴ちゃんをくれたお客さんの顔を思い出す。
いつも来てくれるお客さん。4人で楽しそうに話している姿は同級生とつるむ学生の様で、何処か懐かしさとその頃自分が思い描いていた理想の友人関係のようだった。
その友人関係は私にはなくなってしまった。“ズッ友”なんて儚いものだ。皆大きくなって、環境が変わって、人間関係が変わって、疎遠になる事は自然の摂理⋯。
そんな些細な事は大きく息を吸って清涼感で消し飛ばす。
「ハッカ⋯良いかも。」
小さくなった飴ちゃんをガリッと音を立てて噛み砕けば、気持ちもスカッとした。
今日の仕事を終えた私は、家路に続くぼんやりとした街灯のランウェイで鼻歌を歌ってのんびりと歩く――。




