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私に張り付いている不可視の使い魔のうち、術者不明だった2匹のうちの1匹は王家に仕える魔術師のものだと発覚したのは収穫だった。
(もう1匹は誰のものだろう…)
という推測では
「おそらく、何処かの権力者に仕える魔術師だ」
という答えがはじき出される。
「…グルゴレットヒル侯爵家に仕える魔術師?」
の可能性は高い。
私が子供の頃からーー
それこそ森の隠れ家で両親と暮らしてた頃から付き纏っていた使い魔だ。
(…私はエヴェリー達がパパとママを助けてくれなかった事を恨んでるけど、考えてみたら、不可視の使い魔を張り付けて監視してた人達はみんなそうだったんだよね…)
と思うと、今更ながら寂しく感じる。
「護ってくれる、助けてくれる」
そんな人達の視線と
「護ってくれない、助けてくれない」
そんな人達の視線とでは余りにも違う。
どうしても思ってしまう。
「幸せな人達は、彼らを愛し慈しむ視線の中で育ったのだろう」
「不幸せな人達は、彼らを憎み卑しめる視線の中で育ったのだろう」
と。
周囲からの好悪感情は心的環境を作り出すし、心的環境は人の性格に影響を及ぼす。
そして性格は考え方までをも誘導して、当人の中に内在する要素を引き出す。
人の人生はどうしようもなく環境に左右される。
しかし世の中にはそれを否定する者達もいる。
「運命も偶然も如何なる星も人生の成功と失敗を支配しない、貴方の手以外は何者も」
という考え方を支持する人達だ。
そういった人達は
「全ては自分次第」
「全ては当人次第」
「全ては自己責任」
といった考え方をする。
「私が苦境の中でも心折れる事なく生きられて、貧困から抜け出せたのは、私がそう為るように生きたからだ」
「誰かが救い出してくれた訳じゃないので、今度は私が誰かを救うなどと思う必要はない」
と、社会的互助意識の連鎖を断ち切る。
他者からの好意で活かされた人が
「自分が成功したのは自分の手柄だ」
と主張し
「自分は誰からの恩も受けていないので恩返しする必要はない」
と思い込む。
どこまで本気でそう思えるのかは謎だが…
その手の人種は
「引き上げてくれた人達に恩返しする気がない」
「他人には言えない後ろ暗いコネで成り上がっている事を自覚したくない」
「そうした自分自身の卑劣さを自覚も反省もしたくない」
と思っているように見える。
その手の考え方は
「どんなに奪って豊かになってもノブレスオブリージュも持たない人種や民族に多く見られる」
考え方だと思う。
よその国へ集団で入り込み組織的に活動。
在住地の富を啜り啜った富を現地人へは還元せず自分達で分け合う。
運命共同体単位で引き起こしている寄生搾取による蝕害ホロコースト。
そうした罪を犯しながら自覚も反省もしない人達は
「宿主側の病み衰えと自分達の繁栄との間に罪深い関連がある」
事を知ろうともしない。
無邪気に自分達を誇り
「ルサンチマンを切り捨てる事は選ばれし者達の特権だ」
と思う倒錯した優越意識を持つのだろう。
狂っているようにさえ見える集団的自尊利己主義の正当化…。
一方でーー
集団的自虐利他主義に罹患させられる人達もいる。
集団的自虐利他主義を美化して、その実践を身内弱者に強いる人達…。
余りにも狂っている。
他人を食い物にするキチガイと
他人に自分を食い物にさせるキチガイ。
方向性が真逆のキチガイが共依存的に釣り合ってでもいるのか…。
(…そう言えば、前世のお義父さんとお義母さんが信仰していた宗教は色々おかしかったな…)
と今更痛感する。
某宗教…。
何故、舅親達があんなものに引っかかって、心から心酔していたのか謎だ…。
教祖は百数十年まえの女性ーー。
地主の家に生まれて、別の地方の地主の家に嫁いだ人。
元々「神」を信じていたらしい。
その教祖は神の神託を受け取る巫女となる前は複数の子を持つ主婦だった訳だが…
ある日、他人の子を預かっている時に、預かり子が病気になってしまったとかで、神へ誠心誠意祈りを捧げた。
それこそ寝食も忘れて祈った。
「長男以外の我が子の命を代わりに差し上げますから、預かり子の命をお救いください」
と。
その時点でマトモな人間なら
(ろくな女じゃないな)
と分かる筈だ。
そんな女が
「神の神託を受け取る巫女になった」
と言い張ったとして、一体誰が信じるというのか。
しかし、そんな女を教祖と崇める者達が出てきたから、その女は教祖となり、宗教が出来上がったのだ。
当人の自称では
「神様が最初に作った人間の夫婦の妻のほう」
つまり
「人類の母」
として生きた前世を持つ、いわゆる母神的位置付けの存在らしい。
信者に言わせると
「可愛い我が子を犠牲にしてでも他人の子を分け隔てなく思いやり救おうとした、まさに人類の母」
という事になるらしいのだが…
普通に考えてオカシイ。
可愛い我が子ではなく
可愛くない我が子だから
平気で犠牲にできたのだ。
自分の子を可愛がれるのは自分だけだ。
他人の子なら、その子の親がいる。
ちゃんと親のいる子どもを他の大人が可愛がってやる必要などない。
「我が子をこそ可愛がる」
べきなのだ。
「我が子には自分しかいない」
のだから。
そんな物の道理を…
何故か、その宗教は無視していた。
(まるであの宗教自体が、あの国の国民を「民族的自虐利他主義」へと誘導していた釣り針みたいだ…)
と感じてしまう…。
寄生虫に蝕み殺される宿主が、自分を殺す寄生虫に対して
「分け隔てなく慈しんだ」
かのように欺瞞に耽る倒錯。狂気。
おかしな価値観が蔓延する【世界】…。
あの【世界】から逃げ出す以外に
あの【世界】の狂気から抜け出せなかった。
だからこそ、やはり思うのだ。
「幸せな人達は、彼らを愛し慈しむ視線の中で育ったのだろう」
「不幸せな人達は、彼らを憎み卑しめる視線の中で育ったのだろう」
と。
人の人生はどうしようもなく環境に左右されるのだと。
周囲の人達が自分に向ける感情や人物像の投影から影響を受けるのだと…。




