第九話 手を貸す日
朝、丘の空気がいつもと少し違っていた。
風がある。
昨日までとは違い、草がはっきりと揺れている。
ミツキは屋根の下で空を見上げた。
「……今日か」
理由はないが、そう思った。
屋根に目をやる。
葉の向き、重なり、隙間。
昨日、カイが言った言葉が頭をよぎる。
――葉を増やすんじゃなく、向きを変えろ。
脚立代わりに丸太を置き、屋根に手を伸ばす。
葉を一度外し、角度を変えて重ね直す。
風が吹くたび、葉が揺れ、音を立てる。
「……やりにくい」
手を止めた、その時だった。
「お、今日はやる気だな」
聞き覚えのある声。
振り向くと、ギンが立っていた。
釣り竿を肩にかけ、いつもの気楽な顔だ。
「風、出てきたろ」
「こういう日は、屋根いじると癖が分かる」
言いながら、丘を上がってくる。
「……来たんですか」
「たまたま川行く途中」
「見えたから寄っただけ」
ギンは屋根を見上げ、少し首をかしげる。
「この角度、悪くない」
「でも一人じゃ危ねえな」
そう言って、何の断りもなく丸太を押さえた。
「……いいんですか」
「いいも悪いもねえだろ」
「落ちたら、釣りどころじゃなくなる」
言葉は軽いが、手はしっかりしている。
葉を押さえ直し、結び目を締める。
一人でやるより、格段に楽だった。
しばらくして、別の足音が近づく。
「やっぱり、ここだった」
リラだった。
籠を抱え、丘を上がってくる。
「屋根、直す日?」
「……そんな感じです」
「じゃあ、手空いてるわ」
当然のように言い、葉を運び始める。
「え、でも」
「いいのいいの」
「畑は、今日は休み」
それから、もう一人。
「やっぱり、やってたか」
低い声。
振り向くと、カイが立っていた。
道具袋は持っているが、やはり手は出さない。
「……見るだけ、ですか」
「最初はな」
そう言って、作業を一通り眺める。
「……そこ」
短く指示が飛ぶ。
「葉、逆だ」
「風、逃げねえ」
ミツキが直すと、カイはそれ以上言わなかった。
不思議だった。
誰も仕切らない。
誰も完成を急がせない。
それぞれが、できることだけをやっている。
昼頃には、屋根の形がはっきり変わっていた。
隙間は減り、風の音が違う。
「……だいぶ、落ち着きました」
「そりゃそうだ」
ギンが満足そうにうなずく。
「人の手、三つ分入ってる」
リラが笑う。
「一人より、早いでしょ」
「……はい」
でも、急かされた感じはなかった。
カイは最後に屋根を見上げ、短く言う。
「これでいい」
それだけだった。
誰も拍手しない。
完成を祝う声もない。
それでも、確かな変化があった。
丘に風が通り、屋根がそれを受け流す。
ミツキは屋根の下に座り、息をついた。
「……ありがとうございました」
「いいって」
ギンは釣り竿を担ぎ直す。
「また手足りなくなったら声かけろ」
リラは籠を持ち直す。
「今度は、服の直し、お願いしようかしら」
冗談めかした声に、ミツキは一瞬だけ戸惑い、うなずいた。
カイは何も言わず、丘を下りていく。
――一人で始めた家に、
――少しずつ、人の手が加わっていく。
それは、完成に近づくというより、
暮らしに近づいていく感覚だった。
何も起きない村で、
今日という日は、静かに形を残した。




