表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/14

第五話:境界線の騎士と、鉄の掟

 灰域世界ロスト・エリュシオンにおける「文明」との最初の接触は、鉄と魔力の匂いに満ちていた。  草原の緩やかな起伏を数時間歩き続け、結弦の視界にようやく「文明」の影が差した。それは、巨大な石造りの城壁に囲まれた、中世ヨーロッパの古都を彷彿とさせる重厚な街並みだった。


「あそこが……この世界の都市か」


「ええ。城塞都市『アイゼンガルド』。この北方に広がる『歪みの境界』を監視し、人々の生活圏を守るための、この地方最大の拠点よ」


 リリアの声は静かだった。  結弦の目から見れば、都市は活気に満ちているように見えた。高くそびえる尖塔からは、魔法の触媒と思われる淡い燐光が立ち上り、城門の前には商人の馬車が行き交っている。  だが、リリアの視線はその活気のさらに先、空の彼方に浮かぶ巨大な岩塊――「浮遊廃土」を見つめていた。


「かつての世界なら、あんなものは存在しなかった。……世界の侵食は、数年後にはこの都市をも飲み込むでしょう。人々はまだ、自分たちの足元がどれほど脆い砂の上に成り立っているのか、本当の意味では理解していないけれど」


 数年後の滅び。  それは、今日明日で世界が終わるというパニックではなく、じわじわと真綿で首を絞められるような、逃れようのない運命としてのカウントダウンだった。


 街道へと降りた二人の前に、蹄の音と共に、銀色に輝く甲冑を纏った一団が姿を現した。  十騎ほどの騎馬隊。彼らが手にする長槍や腰の剣には、精緻な装飾と共に、呼吸するように明滅する魔力回路が刻まれている。


「止まれ! 貴公ら、この街道の先は警戒区域だ。どこの所属か。……特にその男、魔力の波動が一切感じられない。空間異常に晒された脱走兵か、さもなくば魔物の類か!」


 先頭に立つのは、一際立派な羽飾りを兜につけた騎士――隊長のガレスだった。彼は馬から鮮やかに飛び降りると、抜刀と同時に切っ先を結弦の喉元へ突きつけた。


 結弦は両手を軽く挙げ、冷静に相手を観察した。  進学校で培った分析癖が、無意識に騎士の所作をデータとして読み解いていく。  鎧の重量、踏み込みの深さ、そして剣先から漏れる微かな熱気。この世界の剣術は、魔法による肉体強化を前提としている。彼らの動きは、純粋な筋力を超えた「加速」を伴っていた。


「怪しい者じゃない。少し、道に迷ってここへ辿り着いただけだ」


「問答無用! 魔力を持たぬ者が、歪みの気配が漂うこの周辺を平然と歩けるはずがない。抵抗するなら力ずくで検分させてもらう!」


 ガレスが地を蹴った。  一瞬、彼の脚部の甲冑が青白く発光する。魔法による「瞬発強化」。  常人の動体視力では捉えられないほどの高速移動。だが、結弦は動じなかった。


(速い。だが、魔法に頼りすぎている分、予備動作が分かりやすい)


 結弦は、体育の授業で習った剣道の基本――「入り身」の要領で、一歩前へ踏み出した。  スポーツ万能を自負する彼の反射神経が、ガレスが剣を振り下ろす直前の、肩と肘の僅かな揺らぎを完璧に捉える。  結弦は腰に差していた、先ほどの戦闘で拾った頑丈な枝――もはや硬質な杖に近いそれを、騎士の剣の「腹」の部分へと叩きつけた。


 ――ガキィィン!!


「なっ……!?」


 真っ向から受ければ、結弦の腕は粉砕されていただろう。しかし、彼は物理的な「ベクトルの転換」を利用した。騎士の突き出したエネルギーの方向を、最小限の力で外側へ逸らしたのだ。


 勢い余ったガレスの身体が、結弦のすぐ横をすり抜けてよろめく。  結弦はその隙を見逃さず、騎士の死角へ回り込み、杖の先端をガレスの鎧の継ぎ目――剥き出しの首筋へと添えた。


「……動かないでくれ。殺し合いをするつもりはないと言ったはずだ」


 周囲の騎士たちに、氷のような緊張が走る。  魔法という「下駄」を履いた剣術しか知らない彼らにとって、純粋な身体操作と理詰めの体術で隊長を制した結弦の動きは、不気味なほど異質に映った。


「貴様……魔力を使わず、我が『瞬光剣』を完全に受け流したというのか」


 ガレスの声に、驚愕と、わずかな敬意が混じる。  結弦はゆっくりと杖を引き、再び一歩下がった。


「俺は魔法なんて知らない。ただ、あんたの動きは効率を欠いている。力が入りすぎて、次の動作が透けて見えていた。……俺は、この世界の住人じゃない。けれど、敵でもない」


 背後でリリアが、複雑な表情でそれを見ていた。  彼女には分かっていた。結弦が今見せた驚異的な身のこなしこそ、彼が元いた世界で、自分を鍛え、高めてきた「二十年間の積み重ね」の結晶であることを。そして、彼がこの世界の戦いに身を投じ、「一撃」を放つたびに、その積み上げが「異世界の法則」へと書き換えられ、失われていくことを。


「……面白い。その腕前、そして隣の妙な女。ただの放浪者ではなさそうだな」


 ガレスは剣を収め、兜を脱いだ。現れたのは、数々の歪みとの戦いを潜り抜けてきたであろう、精悍だがどこか疲弊した顔だった。


「アイゼンガルドは今、数年後の崩壊に備えて戦力をかき集めている。不審な点は拭えんが、それだけの腕があるなら、一度都市の査問官に合わせる価値はある。……ついてこい。ただし、妙な真似をすれば即座に切り捨てるぞ」


 結弦は無言で頷き、リリアを促した。  城門の向こう側からは、西洋の古都の香りが風に乗ってやってくる。  そこにあるのは、いずれ訪れる滅びを予感しながらも、今日という日を懸命に生きる人々の営み。


 魔法と剣、そして数年後の消滅が約束された「灰域世界」での、結弦の本当の闘いが幕を開けようとしていた。


「(……結弦、無理はしないで。あなたはまだ、この世界の空気に馴染みきっていないんだから)」


「(分かっている。……馴染む前に、この世界の攻略法を見つけるだけだ)」


 結弦の瞳には冷徹なまでの闘志が宿っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ