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第四話:敗北の女神と、断絶の告白

 魔獣が消滅した後の草原には、耳が痛くなるほどの静寂が降りていた。  抉り取られた大地の裂け目から、この世界の「理」に馴染めない異質な火花がパチパチと爆ぜては消えていく。結弦はその光景を、肩で息をしながら、ただ冷めた目で見つめていた。


 右手の感覚が、ひどく希薄だ。  痛みがあるわけではない。ただ、そこにあるはずの「自分の肉体」という実感が、霧に溶けるように淡くなっている。一方で、隣に立ち尽くす女神――リリアの存在感は、先ほどまでとは比較にならないほど重く、痛々しいものに変わっていた。


「……話してくれ。リリア」


 結弦は、不自然に軽くなった身体を無理やり支えて座り込んだ。  スポーツ万能を自負していた身体が、まるで他人の器になったような違和感を訴えている。


「ここはどこで、俺は何を支払った? そして……君はなぜ、俺をここへ引きずり込んだんだ」


 リリアは、銀色の髪を震わせ、力なく首を振った。彼女の瞳には、一筋の涙が浮かんでいる。


「……ここは、『灰域世界ロスト・エリュシオン』。かつて私が守り、そして一度……完全に滅び去った世界の残骸よ」


 リリアは、絞り出すような声で語り始めた。


「私は、この世界の管理者だった。けれど、ある時始まった『世界の歪み』によって、あらゆる生命と法則が食い尽くされ、最後の一人も救えずに世界は終わったの。私は……禁忌を犯した。残された神性のすべてを燃やし、時を遡ることで、この『崩壊が始まる直前』の地点へと舞い戻った。……そう、これは二度目の絶望なのよ」


 リリアの告白に、結弦は眉をひそめる。彼女の瞳に宿る、何千年も一人で絶望を反芻はんすうしてきたような深い陰りの正体を、ようやく理解した。


「二度目……。けれど、過去に戻ったところで君の力だけでは足りなかった、ということか」


「ええ。結末を変えるには、この世界の理の外側にいる『異物』の力が必要だった。だから……私は絶望の淵で、別の世界の境界に手を伸ばした。それが、あなただったのよ、佐藤結弦」


 リリアは、震える指先で結弦の胸元を指した。


「あなたが先ほど放ったあの一撃。あれは、あなたが元いた世界の『確かな現実』を、この崩れかけた世界に叩きつけることで引き起こされる矛盾の爆発よ。……けれど、その力を使うたびに、あなたの内側にある『元の世界の成分』が燃え尽きていく」


 結弦は、自分の手を見つめた。  あの一撃の代償。それは単なる体力の消耗ではない。


「あの一撃を放つたび、あなたの『存在』は書き換えられる。元の世界での足跡、生きてきた証……それらが失われる代わりに、あなたは少しずつ、この『灰域世界』の存在へと作り替えられていく。……すべてが入れ替わった時、あなたは元の世界との繋がりを完全に断たれ、この呪われた世界の住人として、逃れられない運命の一部になる」


 沈黙が流れた。  風が吹き抜け、結弦の爽やかな顔立ちを影が覆う。  努力して積み上げてきた人生が、一撃ごとに消え、見知らぬ世界の泥へと変わっていく。  だが、結弦は、どこか冷静だった。


「……なるほど。俺は『外部から持ち込まれた、もっとも純度の高い部品』というわけか。俺が俺でなくなる代わりに、この世界に新しいくさびが打ち込まれる」


「結弦……恨みなさいよ。私は、自分の世界が惜しくて、あなたの未来を盗んだ。やり直しのチャンスを得るために、無関係なあなたを生贄にしたの……!」


 リリアは、結弦の足元に縋り付き、声をあげて泣いた。  かつて世界を一度失い、今また一人の青年の人生を犠牲にしようとしている己の罪。その重さに耐えかねて、崩れ落ちた一人の女性がそこにはいた。


 結弦は、ゆっくりと手を伸ばし、リリアの震える肩に触れた。  その手は、先ほどまでよりもずっと、この「灰域世界」の重力に馴染んでいるように感じられた。


「……恨んでも、過去は戻らない。それに、君が俺を選んだ理由がもう一つあるはずだ。ただの部品なら、誰でもよかったはずだろ」


 リリアは涙に濡れた顔を上げ、結弦を見つめた。


「……ええ。あなたの『意志』よ。空間の歪みに干渉されながら、パニックに陥らず、周囲の状況を冷静に見極めようとしたあなたの……その強靭な精神と身体能力。それがあれば、あなたが完全に異世界の住人へと変質してしまう前に、崩壊の根源を断てるかもしれないと思った。……私は、あなたという可能性に賭けたの」


 結弦は、フッと短く笑った。  スポーツ万能で、勉強も努力で積み上げてきた。  その結果が、タイムリープした女神が縋る「最後の希望」だというのなら、それも悪くない。


「いいよ、リリア。乗ってやる。……努力で積み上げてきた俺の人生が、世界を救う一撃に変わるって言うなら、その価値を最大限に引き出してやるのが俺のやり方だ」


「結弦……」


「ただし、条件がある。俺の存在が完全にこの世界に溶け去るその時まで……最後まで、俺の隣で、俺の変化を見届けていろ。逃げることは許さない。それが、俺を呼んだ君の責任だ」


 リリアは、大きく目を見開いた後、嗚咽を堪えながら、強く、強く頷いた。


「ええ……約束するわ。あなたのすべてがこの世界に染まり切るその瞬間まで、私は、あなたの伴走者として、決して離れない。……私の魂にかけて」


 草原に、新たな風が吹いた。  元の世界への帰還。灰域世界の救済。そして、自己の変質。  矛盾し合う複数の運命を抱えたまま、大学生・佐藤結弦は、二度目の世界を生きる女神と共に立ち上がった。


 空には、相変わらず不条理な岩塊が浮いている。  だが、結弦の目には、その風景の中に、攻略すべき「世界の理」の糸口が、微かに見え始めていた。

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