第十四話:静寂の廃坑と、不協和音
北の森の深奥、かつてアイゼンガルドに莫大な富をもたらした「銀星廃坑」は、今や負の感情を煮詰めたような、重苦しい静寂に支配されていた。 馬車を降りた結弦たちの前に現れたのは、岩肌が抉れ、空間そのものが波打つように歪んだ巨大な坑道口だった。
「ひどいな……。空気が重いというより、世界そのものの強度が保てていない感じだ」
結弦が論理的に分析しながら一歩踏み出すと、背後から冷ややかな金属音が響いた。
「魔力も持たぬ異邦人が、世界の強度を語るとは滑稽だな」
振り返ると、そこには豪華な装飾を施した青い外套に身を包む、五人の魔導騎士が立っていた。先頭に立つのは、整いすぎた顔立ちに傲慢な光を宿した男、エドワード。魔導騎士団の若き精鋭である。
「ガレス隊長、貴公の正気を疑うよ。このような出自不明の男を頼りに、騎士団の命運を賭けるとは。……我ら魔導騎士団が、真の『浄化』というものを見せてやろう」
「エドワード殿。佐藤殿はすでに、この都市を一度救っている。言葉を慎むべきだ」
ガレスが毅然と言い放つが、エドワードは鼻で笑い、結弦の隣に寄り添うリリアに視線を向けた。
「そちらの麗しき女性も、このような男の横にいては身の危険がある。……よければ我が結界の中で守って差し上げよう」
リリアは結弦の腕を抱きしめる力を強め、静かだが氷のように冷たい声で返した。
「……お気遣いなく。私が守るべき方は、ここにしかおりません。そして、あなた方の言う『浄化』では、この歪みの根源には届かないでしょう」
「何だと……?」
一触即発の空気の中、結弦が静かに間に入った。
「議論をしても時間の無駄だ。エドワードさんと言ったかな。君たちの理論が正しいのか、俺のやり方が正しいのかは、あの中の結果が決めてくれる」
結弦はそう言うと、迷うことなく暗い坑道の中へと足を踏み入れた。
坑道の内部は、外気とは断絶された異界だった。 壁面には群青色の結晶が不規則に突き出し、時折、空間が物理的な音を立ててパキパキとひび割れる。 奥へ進むほど、魔導騎士たちが展開した防御結界が、歪みに押されて不快な軋み音を上げ始めた。
「くっ、これほどの密度か……。全員、詠唱を絶やすな! 出力を最大に上げろ!」
エドワードの焦燥混じりの声が響く。彼らの魔法は確かに強力だったが、それはあくまで「既存の理」に基づく力だ。崩壊し、理そのものが変質しているこの場所では、その力は砂上の楼閣のように脆い。
一方で、結弦は揺るがなかった。 彼の肉体はすでに、この世界の「理」から外れ始めている。歪みが彼を侵食しようとしても、削るべき「存在」の輪郭が曖昧なため、かえって歪みの中を泳ぐように進むことができた。
「……来るぞ。リリア、準備を」
結弦が短く告げた瞬間、坑道の奥から、どろりとした闇を纏った異形の集団が姿を現した。かつて坑道で命を落とした者たちの残影が、空間の歪みに囚われて魔獣化したもの――『忘却の亡者』だ。
「はっ、ようやく出番か! 塵に帰れ、下等な影ども!」
エドワードが杖を振りかざし、高位の火炎魔法を放つ。 爆炎が坑道を埋め尽くし、亡者たちの半数を焼き払ったかに見えた。だが――。
「な、に……!? 再生しているのか……?」
炎の中から、無傷の亡者たちが這い出してくる。彼らは世界の「欠損」そのものであり、魔法という「理」の攻撃では、その存在を消去しきれないのだ。
「無駄だ。君たちが燃やしたのは、過去の幻影に過ぎない」
結弦が静かに歩み出る。 彼はゆっくりと『無銘・現在地』の柄に手をかけた。 「……リリア」
「はい、結弦さん。……繋がります」
リリアが背後から結弦の背に密着し、その両腕を彼の肩に回した。 彼女の神性が結弦の輪郭を縁取り、消失しゆく彼の存在を、今この瞬間の「点」として強烈に固定する。
結弦の瞳が、深く、静かな群青に染まった。 彼の中の二十年間の記憶が、一滴の濃密な燃料となって刀に注がれる。
「……『現在地』。一撃で、終わらせる」
抜刀。 音はなかった。ただ、一筋の群青の閃光が坑道を横切った瞬間、再生を繰り返していた亡者たちが、その根源から「消失」した。再生の余地などない。彼らがかつてそこにいたという事実ごと、結弦の存在と等価交換に消し去られたのだ。
静寂が戻った坑道。 エドワードたちは、自分たちの最高火力が通用しなかった相手を、一振りで消滅させた結弦の姿を、ただ呆然と見つめることしかできなかった。
だが、刀を納めた結弦の右手が、月光よりも淡く透けていた。
「……っ、結弦さん……!」
リリアが必死に彼の手を包み込み、自分の熱を伝えようとする。 結弦は、少しだけ顔色を悪くしながらも、さわやかな笑みを浮かべた。
「……大丈夫だ。少し、子供の頃に通っていた公園の遊具の名前を忘れただけだよ。……それよりエドワードさん。君たちの理論の限界は、今ので証明された。先へ進んでもいいかな?」
反論する者は、もう誰もいなかった。 結弦はリリアの温もりに支えられながら、さらに深い、崩壊の核心へと歩みを進める。 その背中は、誰よりも頼もしく、そして誰よりも儚かった




