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怖い話

開けるな

作者: 夢野かなめ

「なにそれ……『開けるな』? 開けろ開けろ!」


 深夜に訪れた心霊スポット。雑木林の中にある池のほとりに小屋が静かに佇んでいる。その薄汚れた扉に書かれた『開けるな』の文字。


「え、マジ」


「マジ。なに、ビビってんの?」


 そう言いながらも、篤志(あつし)は自分で開けようとはしない。


「というか、此処に出る幽霊って小屋関係なくねぇ?」


 文也(ふみや)が言うと、篤志は不満げに顔を(しか)めた。


「ないけど。でも、見るからに曰くありって感──」


 その時、小屋の陰から人影が現れ、文也と篤志はぎょっとして体を強張らせた。


「この小屋、窓とかねぇのな。中覗けな──なに、ビビった?」


 二人の様子を見やって、浩輔(こうすけ)がニンマリとした笑顔を浮かべた。篤志が誤魔化すように鼻で笑う。


「ビビってねぇよ。つーか、お前ライトも持たないで此処一周したのかよ」


 雑木林の中だけあって、辺りは殆ど暗闇に近い。文也と篤志の持つスマートフォンのライトに照らされる中で、浩輔は肩をすくめた。


「まぁ、若干目も慣れたし」


 そう言って、熊のような体を屈めて小屋の扉を凝視する。


「なんだ、この落書き──開けるな? こんな小屋の話ってあったっけ?」


「ない。寧ろ小屋があるとか聞いたことない。関係ないんじゃね」


 文也が言うと、浩輔は首を捻りながらスマートフォンを取り出して、何事かを調べ始めた。


 この池での心霊話は、夜に池に向かって小石を投げると、いつの間にか後ろに男が立っていて「投げ方、教えてやろうか?」と声を掛けてくるというものだった。どうにも、その男は、その昔殺した人間の死体をこの池に投げ込んでいたのだという、本当かどうかは誰も調べないような尾ひれがついていた。もしかしたら、尾ひれではないのかもしれないが、文也達を始め、此処を心霊スポットとして訪れる者達にその真偽は関係がなかった。


「何もないなぁ。小屋に関しては」


 不満そうに言った浩輔は、スマートフォンをポケットに仕舞ってから、おもむろに取っ手に手を掛けた。


「え、お前が開けんの」


 篤志の言葉に、浩輔が手を止める。


「なんかあんの?」


 ちら、と文也を見やって問うように首を傾げる。


 文也が答えるより先に、篤志が鼻で笑った。


「いや、だって文也何もしてねーじゃん。石投げたのは俺。浩輔は運転……と、何か今此処回ってたし、度胸あるとこ示した訳じゃん。文也はまだ何もしてなくね。つーか、そこまで怖がってる風でもないし、盛り上がりに欠けるっていうかさー」


「阿呆くさ」


 そう言うと、浩輔は躊躇いなく扉を引いた。薄い板の扉は、今にも崩れそうになりながらも簡単に開いた。


 途端、中から漂ってきた臭いに顔を顰める。


「うっわ、何この臭い……」


「……くせぇ」


 何かが腐ったような、籠った臭いが鼻腔を刺激する。


「なんだこれ、マジくせぇ」


 口元を押さえながらモゴモゴと言った篤志が、ライトで小屋の中を照らし出した。


 白い光の中、背を向けるようにして、人が立っていた。


 わっ、と声を上げて篤志はスマートフォンを取り落とした。文也が慌てて手の中のスマートフォンを掲げて小屋の中を照らし出す。


 そこには、誰も居なかった。


「え……今、なんか、いた……よな?」


 文也の声に、答えるものはなかった。ゴクリ、と喉を鳴らす音だけが聞こえる。


 緊張状態を破ったのは、やはり浩輔だった。


 小屋の中に顔を突っ込むと、取り出したスマートフォンのライトで奥の方まで照らし、見回した。ふぅ、と息を吐いて体を引く。


「何も居ない」


「え、でもさ──」


「多分、壁のシミとか」


 そう言って、正面の壁を再びライトで照らす。確かに、壁にはカビのような泥のようなシミが付いていた。しかし、とても人と見間違うようなものではなかった。


「それが、人に見えたってこと? まさか。というかさ、あれだよな……人だったよな?」


 文也の声に、二人は沈黙した。不安を消し去ろうとするように文也は続けた。


「何か、ガリガリに痩せててさ。汚れた服着てて、後ろ向いてて……髪が首に張り付いてて──」


「見た。同じの」


 篤志が言った。その視線は小屋の中に釘付けになったままだ。


 突然、篤志は笑い声を上げた。


「こえぇ! すげぇ、これって心霊現象じゃん。さっきは出なかったくせに! なぁ?」


 ゲラゲラと笑い、池を振り返る。確かに池では例の男は出て来なかった。


「こっちが本当の心霊スポットってか?」


 笑い続ける篤志に、釣られるようにして二人も笑った。


 心霊スポットを訪れ、心霊現象に遭う。目的は達された訳だ。


 何処か満たされたような、不思議な高揚感を持ったまま車に戻ると、運転席の扉を開けた浩輔が「わっ」と声を上げた。


「どしたん?」


 篤志が助手席の扉を開けて、車の向こうから言った。


 文也は、硬直した浩輔の腕を引いて、その顔を覗き込んだ。


「浩輔、どうした?」


 視線を彷徨わせた浩輔は、緩く首を振ると「なんでもない」と運転席に乗り込んだ。


 帰り道、浩輔はいつも以上に言葉を発さず、妙にテンションの上がった篤志の声だけが車内に響いていた。


「じゃ、またな」


「おう、おやすみ」


 家に着いた文也は、去って行くテールランプを見やってから自宅の扉を開け──声を上げた。


「……わ、あっ⁉」


 人が、立っていた。


 明かりのない部屋の、短い廊下に──人が立っていた。


 思わず閉めてしまった扉を見つめ、辺りを見回して間違いなく自宅であることを確認する。いや、確認するまでもない。たった今自分で鍵を開けたのだから。


 ──今の……。


 人であった。しかし、小屋で見たものとは違う。今度は老人だった。曲がった腰と、縮れた白髪。


 震える手でノブを引く。


 ほの暗い廊下に、それは立ってた。


 先程よりも、僅かにこちらを向いた顔。泥で汚れた……。


 それは、瞬きをすると立ち消えてしまった。


「な、なんなんだ──」


 震える声が虚しく響く。その時、ハッとあることに思い至った文也は、スマートフォンを取り出して浩輔に電話をした。


 暫くの呼出音の後、篤志の声が「なにー? 浩輔運転中」と応えた。そうだった、と眉を寄せてから、文也は訊いた。


「あのさ、さっき車乗る時に、浩輔は何を見たのって訊いてくれる?」


「は?」


「いいから。絶対何か見た筈だから」


 電話口で篤志と浩輔が話すのを聞きながら、ちらと隣室から聞こえた音に目を向けると、隣人が迷惑そうな顔を覗かせたので、慌てて文也は自宅に入った。


 家の中の明かりという明かりを点け、落ち着かない気持ちのままワンルームの部屋を見回す。


 勿論、誰も、居ない。


 泥棒に入る程の物も持っていない。


 文也? と少し沈んだ篤志の声が言う。


「何、見たって?」


「……子供。これ、どういうこと? お前も見たんだよな?」


「見た……。腰の曲がったじーさん」


 再び電話口で二人がやり取りするのが聞こえてくる。暫くすると、篤志が更に沈んだ声で言った。


「これ、呪われたってこと?」


「……判んない」


「俺、あれからまだ見てないんだけど。俺も見るの? 子供だか、じーさんだか──」


「判んねぇって」


 思わず声を荒げると、篤志が「怒んなよ」と沈んだ声で言った。


「どうするよ」


 篤志が訊いた。電話口で浩輔が何かを話しているのが聞こえてくる。その声を聞く内に、少しだけ気分が落ち着いた文也は、喉の渇きを感じて冷蔵庫を開けた。


 自然の流れで冷蔵庫の中に手を伸ばした文也は、「わっ」と声を上げてスマートフォンを取り落とした。「おい、文也⁉」と篤志の焦った声が小さく聞こえてくる。


 ──生首だ。


 縮れた白髪が張り付いた生首が──いや、よく見れば冷蔵庫の底の方に老人の肩が見える。恐らくその先に曲がった腰がある。


 うっすらと透けながら、老人は冷蔵庫の中に生首然として収まっている。


 しかし、それも瞬きの内に消えてしまった。


 騒いでいる電話口の声を聞きながら、文也はスマートフォンを拾い上げ、耳に当てた。


「おい、戻ろうぜ! 文也になんかあったって!」


「……もしもし」


「あ、文也⁉ 何があったんだよ!」


「……また、出た」


「じーさんが⁉」


 それには答えず、文也はよろよろと部屋の中を移動し、三点ユニットバスの扉を開けた。


 ──今度は、子供……か。


 妙に静かな気持ちで、文也は次々に部屋の中の扉を開けていった。押し入れも、棚も、電子レンジも、狭い部屋の中で、扉と考えられるものは全て開けた。


 その全てに、何かが居た。


 何かが、ゆっくり、顔をこちらに向け、怯えたように、目を見開く。


「開けるな。居るから」


 そう言うと、電話口で篤志の戸惑う気配がする。


「は……はぁ?」


「開けるな」


「何言ってるんだよ。今、お前んち戻ってるから!」


「開けるな」


 その時、文也の背後の空気がずっしりと重くなった。


 まるで、押し潰されたように息が苦しくなる。


 文也はゆっくりと振り返った。そして、驚愕に目を見開いた。


 男が言う。


「開けるなって、言ったろ」




 篤志は文也の部屋のドアホンを焦れたように鳴らし、ドアを叩いた。


「おい、文也?」


 ドアを叩く内、隣室の扉が開き「さっきから煩いんだけど!」と声が響いた。


 それに僅かに頭を下げてから、浩輔がドアノブを掴んだ。篤志と目を見合わせ頷いてから引くと、あっさりと扉は開いた。


 二人が、「わっ」と声を上げると、いよいよ隣人は抗議しようと部屋を出て来ようとした。それに頭を下げながら、二人は文也の自宅に入り込んだ。しかし、すぐには玄関から動けなかった。


 どちらからともなく顔を見合わせる。


「今、居たよな……」


「居たな……女が」


 扉を開けると、短い廊下の先に、薄汚れた服を着た女が立っていた。後ろには怒れる隣人。前には正体不明の女という状況だった。女は瞬きのうちに消えていた。


「何か、横顔が不気味だったよな」


「え……向こう、向いてなかった?」


 二人の間に沈黙が落ちる。


 篤志がハッとして部屋に視線を戻した。


「ふ、文也……。そうだよ。おい、文也、何処に居るんだよ!」


 ワンルームには、何処にも文也の姿はなかった。スマートフォンは床に放り出され、雑木林を歩いた時の泥が付いたままの靴は玄関に置かれたままだった。


「何処に──うわっ」


 三点ユニットバスの扉を開けた篤志は、声を上げ、その場に尻もちをついた。


「マジで、何か居るじゃん。なにこれ……」


 言いながら、部屋の中央に佇む浩輔を見上げる。


「なに、突っ立ってんの」


 ゆっくりと篤志に視線を向けた浩輔が、青褪めた顔で口を開いた。


「さっき、文也は『開けるな』って言ったよな。『居るから』って。これを、見てた」


「だから、何。俺達呪われたんだろ。だったら、お祓いとか何とかさ、皆で──」


「あそこに、小屋についての話は残ってなかった。それは……」


 浩輔はそのまま黙り込み、押入れの扉から手を離した。呆けたように、雑多に荷物が詰め込まれただけの押入れを見つめている。その視線を追った篤志は、眉を寄せ、ハッと目を見開いた。


「え、どうすんの。扉を開けるなってこと? そんなこと、無理じゃん」


 篤志の声が震えて消える。


 ずっしりと、背後の空気が重くなっている、気がした……。


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